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ガソリン値下げの既成事実で政治の流れが変わる。①   JANJAN記者 中田良太

2008年04月07日 03時40分37秒 | 時事問題
★風仲間の岐阜の近藤さんからねJANJANの記事の紹介がありました。
   
                      ネット虫
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 政府は暫定税率延長の再議決はできない。自民から「造反」議員が出るのは必至だからだ。日本人は既成事実に弱い。いったんガソリンが値下げされれば、それが既成事実となり、戻らない。民主党が暫定税率廃止最優先の戦略を考えるさい、この点に着目して作戦を立てたのなら、見事だ。福田政権は連休明けに危険水域に入るだろう。

    目 次

 ◆「暫定税率は復活しない」とあえて予言する!
 ◆既成事実がモノをいう社会
 ◆スジ論なら廃止か本則税率アップの二者択一
 ◆既成事実が歴史をつくった!
 ◆日米開戦の不条理
 ◆野党が既成事実をつくれたワンチャンス
 (P.2)
 ◆「復活」宣言は福田だけ
 ◆政権は危険水域に
 ◆民主政治が分かっていない新聞論調
 ◆地方首長は役人の論理だけ
 ◆メディアは官僚支配の秩序がお好き?

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◆「暫定税率は復活しない」とあえて予言する!

 とうとう記念すべき4月1日を迎えた。政府・与党が実現させたくないガソリン値下げが実現したのである。

 もの書きのはしくれだから、下手な予言は慎まなければならない。予知能力はもちろんないのだから、推測ということになる。その推測が外れたら、書くもの全体の信ぴょう性が疑われてしまう。

 その禁を犯して、あえてこの段階で書いておこう。暫定税率を延長する法案を衆院で再議決することはできない。自民党議員の中から「造反」が出て、3分の2以上の多数が得られない。その情勢をあらかじめ読んで、3分の2再議決を放棄するか、それとも賛成票が3分の2を下回ることを覚悟で、改めて衆院本会議で議決するのか。福田康夫政権は苦しい選択を迫られるはずだ。

◆既成事実がモノをいう社会

 どうして造反者が出るのか。日本人は既成事実に弱いからだ。「日本人は……」と書きたくないから、日本社会では既成事実が幅を効かすから、と改めよう。

 既成事実がモノをいう社会だからこそ、暫定税率が34年間も生きてきたのである。揮発油税などに暫定税率を創設する租税特別措置法改正が成立したのは1974年の通常国会。田中角栄政権下で蔵相は福田赳夫だった。衆院大蔵委員長は安倍晋太郎で、委員会採決に先だって賛成討論したのは小泉純一郎だった。現在政界のスターたちの父親たちが主役で、かろうじて脇役に小泉が登場しているという情景である。

 福田赳夫が提案理由の説明を行ったが、「資源の節約、消費の抑制、道路財源の充実」が3本柱だった。

 前年10月、第4次中東戦争が起き、石油輸出機構(OPEC)がイスラエル支持国への対抗措置として、原油価格引き上げ・供給削減などの石油戦略を発動した。第1次石油ショックである。日本中のスーパーで、主婦たちがトイレットペーパーを奪い合う騒ぎになった。

◆スジ論なら廃止か本則税率アップの二者択一

 この特殊な状況下で「暫定税率」が上乗せされたのである。日本の社会が、既成事実よりもスジ論を重んじるのなら、その後の措置として

 (1)その特殊な状況は解消されたのだから暫定税率は廃止

 (2)道路整備に要するカネは、「上乗せ」分がなければまかなえないことが分かったのだから本則税率を上げる

 のどちらかが選択されたはずだ。

 しかし現実には、74年度に始まった暫定税率が、その後3度の引き上げと7度の延長を経て、2007年度まで続いていたのである。その長期間、政治は、廃止かあるいは本則税率の引き上げかを選び、スジの通った制度に移行するエネルギーを持ちえなかったといえる。特殊事情がなくなったのに、「暫定」を続けるという非合理的な状況を長期間続けてきたのは、政治の無力ぶりの証明でもある。

◆既成事実が歴史をつくった!

 政治も言論も既成事実に弱い体質は、日本にとって深刻な問題である。第2次大戦への参戦(日米開戦)への道も、1931(昭和6)年9月、関東軍が引き起こした満州事変という既成事実が発端だった。事件は関東軍参謀だった板垣征四郎大佐、石原莞爾中佐、花谷正少佐らが筋書きをつくり、河本末広中尉と部下数人が鉄道爆破を実行したものであった。ときの政府(第2次若槻礼次郎内閣)は「不拡大方針」を表明したが、関東軍は守備範囲を超えて吉林省へ進撃を開始し、朝鮮軍司令官の林銑十郎も、独断で朝鮮軍を満州へ派兵、「越境将軍」と呼ばれることになった。

 中国の主権を無視した満州における日本の行動は、国際社会の批判を呼び、国際連盟によるリットン調査団の派遣という事態を招いた。それに対して陸軍は、満州国建国(1932=昭和7年3月)へと突っ走った。33年2月、国際連盟はリットン報告書を承認、満州国不承認の対日勧告案を決議。当時の日本政府(犬養毅内閣、外相は満鉄総裁だった内田康哉)は国際連盟脱退に踏み切った。総会議場で連盟脱退を宣言、そのまま退席した松岡洋右代表は、帰国のさい歓呼の声で迎えられた。

◆日米開戦の不条理

 満州事変という独断専行が「国策」として追認され、最終的には日米開戦にまで発展してしまった。1941年の開戦時、米国と日本の国力の差はあまりに大きかった。国民総生産は11.8倍、粗鋼生産で12.1倍、航空機生産で5.2倍、商船建造で5.0倍だったという。それなのに当時の支配者たちは「今後ABCD包囲網(※注参照)によって、この格差はもっと大きくなる。相対的にはいまが有利」という奇妙な理屈で開戦を決めた。つまり当時の支配者であった軍部は、勝利の展望が皆無である「敗戦必至の戦争」に日本国民を引きずり込んだのである。

 (注)Aはアメリカ、BはBritainで英国、CはChinaで中国、DはDutchでオランダ。これら当時の日本に対する資源供給国=英国はマレー半島、オランダはインドネシアなどを支配していた)が、資源供給をストップしているという認識にもとづく言葉。
 《(注)終わり》

◆野党が既成事実をつくれたワンチャンス

 今回民主党などが暫定税率廃止を最優先した戦略戦術をつくるにあたって、既成事実に弱い日本の政治と世論の体質がどの程度意識されていたか、私には取材する術がない。それにしても通常、既成事実をつくることができるのは、ときの政府や官僚、つまり支配者たちである。しかし暫定税率というシステムなら、参院で多数を占めるだけの野党でも既成事実をつくることができる。その点に着目して今回の作戦を立てたのなら、見事なものだという賞賛に値する。


コメント (2)
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