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教えて、核分裂は停止しているのか? 文科系

2011年03月26日 08時40分55秒 | 国内政治・経済・社会問題
 誰か教えて欲しい。昨日、今日の新聞を素人目ながら詳しく読んでみると、どうしても標記のこの疑問が湧いてくる。1号機、3号機などで、本当に核分裂は停止しているのか? このことは今後予測される事態の深刻さへの最大の分岐点になるはずだから、どうしても焦点をここに合わせて推移を見守らざるを得ないと思い立った次第である。

 1号機は燃料棒が破損して原子炉の底へと崩れ落ち、1200度以上になっている事は確実なようだ。怖い燃料を使っている3号機も同じ事が起こり、原子炉圧力容器の構造材が溶け始めていることがほぼ確実なようだ。かと言って、これを防ぐために冷却を厳しくすれば、圧力が上がって炉心内放射能を開放せざるを得ないと言うではないか。としたら「前門の狼、後門の虎。他に火事からの逃げ場なし」? しかも、このような深刻な事実が、原子炉本体に人が近づくことができるようになるに従って次第に判明して来たというのも、僕には何か大変気味悪く感じられる。

 おかしな噂を流す積もりは毛頭ないが、以上のような蓋然性が高いのならば、何よりもそこに焦点を当てて早急に事実究明を図り、国民にも知らせ、長期的に自己防衛策を示し、図らせるようにしていかなければならないはずだ。そう主張する権利が全ての国民にあるはずだとも思うのだが、どうだろうか。
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小説 「母の『音楽』」  文科系

2011年03月26日 06時45分06秒 | 文芸作品
 この年の十月、母は、僕の勧めによって心療内科の先生の所へ通い始めた。病名は、老化による軽症ウツ病。
 少し遅れて八十六歳の母が書いた「人生報告」とも言うべき文集に、こんな下りがある。女子高等師範学校同窓会の愛知支部発行「桜蔭(同窓会名です)」に収められた文章だが、二番目の古参生としてそこに書いた六枚ほどの原稿の一部だ。
【その後夫脳梗塞となり、左脚不自由に。つづいて心筋梗塞その他色々の老人病を併発し、十数回に及ぶ入退院をくりかえし、平成四年四月二十七日に亡くなりました。看病など何かと心身を使い果たしている間に、私も老人性鬱病という厄介な病名をつけられていました。好きな長唄・三味線も稽古不足のため中止し、日々無為の苦しい数年間を過ごしたものです。同居している次男夫婦も共働きですので、昼間は相変わらずの一人暮らしですが、二人が帰宅し、共にする夕食は楽しく、孤独を忘れることの出来るひとときです】
 僕もこの夕食は楽しかった。母も必ず二品ほど作ってくるので、連れ合いと二人競いあうようにして食卓にのせたものを三人で批評し合うといった夕食。僕の帰りが遅すぎて週に何回も持てなかったが、心が温かくなる思い出である。
さて、この頃はまだ、母の人生で三味線が持った意味を、僕はこんな程度に捉えていただけだった。
 最初に浮かび上がって来る映像はまず、こんなものである。三味線の発表会に出ていたときの、背中を丸めて大きなザブトンに小さく座った母の姿だった。
〈あれほど練習して、回りの人に四苦八苦でなんとかついていく。「生きなきゃー」って感じだなー。それにしてもそろそろ八十だ。いくつになっても「鑑賞」じゃ済まなくて、自分で「表現」して進歩を確かめていきたいという人なんだなー〉。
 また、このしばらく後には、
〈母さんのは「可愛さ余って、老いへの憎さ百倍」。三味線全てを放り出してしまったのは、舞台に出られなくなったショックからだ。随分苦しんだんだけど、俺の同居がもうちょっと早ければ辞めさせなかったのになー〉

 「あなたも、『生きなきゃー』の口で、「鑑賞よりも表現』の人ね。だから『可愛さ余って、憎さ百倍』は他人事じゃないわよ。どうせ直ぐに弾けなくなるんだから」
 〈お連れあいさんも、後になってそう言ってたな〉。腕や胸など汗まみれの体を休めながら今、そんなことを思い出している。
 「大聖堂」の例の難しい一カ所をかっきり五十回。正の字を打ちながら繰り返し終えたばかりだ。機械的な反復練習ではやっと、薬指上下につれて小指がほとんど動かなくなってきた。この厄介な癖の修正にあれこれと燃え始めて二週間、ようやく五五近くの速さになり、ちょっと先が見えたような気分になった頃のことだ。
 〈そういえば、俺も去年危機のようなことがあったなー。憎さ百倍にはならなかったのは、間違いなく母さんのお陰だ〉
去年のある舞台で立ち往生したときのことを思い出す。こんな調子だった。
 出だしの三段目ほどで止まってしまった。頭は真っ白で、次が思い出せない。仕方ないから、冒頭からまたやり直す。すると今度は、三ページ楽譜の二枚目終わりほどで止まってしまった。どれくらいだったか空白の時間があってから、思いついて目の前の楽譜を引き寄せ、間違い箇所を確認して、再開した。丁度練習で躓いたときのように。表情も態度も変えなかったはずだが、「冷や汗たらたら、心臓は早鐘」、もう大変な思いをした。好きで折を見ては二年以上も弾き続けてきた「ソルのエチュード作品六の十一番」。僕には難しすぎるが、いまならもう何とかなると思って臨んだのに。今までに指が震えてほとんど弾けていないということは何回かあったが、中断は初めてだった。それも二回も。そしてこの挫折の印象が、以降一週間ほどの間にどんどん大きくなっていった。僕の「老い」が膨らんでいくばかりだったのだ。
 そんな経験から間もなく、舞台で弾くことはもう諦めようと決めた。ところがこの決心、僕の練習態度に何の変化も与えなかったのである。それから間もなく手をつけたこの曲、「大聖堂」が毎日弾きたくなった。分散和音の中から最高音の清らかな旋律を響かせる第一楽章。荘重な和音連続を鳴り響かせる二楽章。そしてこの第三楽章は「最速アルペジオとスケールの中から、低音・高音の旋律、副旋律をメリハリつけて自由に鳴らせられれば、痛快・面白さこの上なし」といった趣き。気に入った曲だけを選んで先ず暗譜してから弾き込みレッスンに励む僕にとっては、なかでもことさら揺さぶられる曲。完成するまで一年でもやってやろうと、そのエネルギーは自分事ながらいぶかしいほどだった。

続く
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