中古の軽自動車ばかりに乗って来ても、お酒には元々金を使う俺。このごろは、膀胱癌との闘いを気分よくしたいという思いもあって、備えてあった高級なものをごく少量ずつ飲んできた。抗がん剤を打ちつつ9月の全摘手術に備えていく真っ最中の、オアシスにしている。昔は高くなる前の「竹鶴15年」だったが、今は18年のシングルモルト・スコッチとか、同じようなクラスのコニャックなどだが、このクラスがなくなったので、久しぶりに買いにでかけた。
さて、驚いたことに、馴染みの高級洋酒がスコッチも国産も全部棚から消えているではないか。大名古屋市北東部は高級住宅地、その二つの区にある行きつけの大きな店両方がそんな様子だったから、生まれて初めて買わずに帰って来るという、奇妙な奇妙な結末。名も知らぬ高いのを買って「残念」などという気分にさせられるくらいなら、「顔見知りのちょっとよい赤ワインちびちび」で済ませておこうという心境になったのだ。この事態一体どういうことなのか、すぐに思い当たったのが、これだ。
「円安下の仕入れ控え」もしくわ「すぐに高くできるのを待つ、売り控え」。端的に言えば「日本貧困化の結末」典型例にほかならぬと推論した。
「今の仕入れでは、こんなに高くなる。売れるはずがない」
「ほとぼりが冷めるまで、仕入れを控えよう」
あるいは、
「もっと高くできるようになるだろうから、今は売らないでおこう」
と言ってさて、この日本国でそもそもこれから一体、世界の高級品が安くなるときが来るのか。結構評判がよい日本の高級ウイスキーなども、空っぽだったのは、外国資本に「円安・割安」から買われまくっているのだろうしと、日本品も含めて安くなるときが来るなどはもう、根本的に考えてみて疑問になってしまった。なんせ、国民一人当たり購買力平価GDPがこの25年で30位も下がった国なのだ。故森嶋通夫など物の分かった経済学者いうところの政治的イノベーションに長く失敗し続けたアベノミクスの間に日本がこんなに貧しくなったその結末に他ならないのである。
ちなみにこの円安こそ、政府手持ち資金や日銀ぐるみで励んできた「官製バブル」が破裂させられ始めたということである。これからは日本の会社なども買われまくっていくのだろう。北海道の有望なリゾート地とか、今の東芝のように。