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海外旅行の思い出  文科系

2024年11月09日 10時28分19秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 連れ合いの弟が小さな旅行会社に勤めていたので、いろんな旅行に誘ってもらったし、さらには有志で注文して好みの旅を作ってもらったりした。これが、僕の人生に大きな彩りを添えてくれて、人生というものへのある本質的な充足感を与えてくれたと言って良い。これがきっかけとなって、海外旅行は20回は体験していると思う。そのいくつかのことを書いてみよう。

 その最初が「オーストリア・ザルツブルグ音楽祭と、イタリア歌劇観劇の旅」。ロミオとジュリエットの舞台として有名なイタリアはヴェローナの野外円形競技場で観たのは確か、ベルディのオテロ、夜の天空に響き渡るオテロの嘆きの歌が今でも鮮やかに蘇ってくる。ザルツブルグの領主のお城の、領主の間で演じられた弦楽四重奏の一曲は、モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」。連れ合いが評するには、
「日本で聴いてきた演奏とは全然違うね。爽やかに羽毛が軽々と飛んでいくような美しさだ」

 そしてもう一つは、中国南西部の旅行が3度。一度は、桂林・麗江・大理の旅。今ひとつが、九寨溝・黄龍。最後が、ベトナムを北に登って、中国南西部に入り、シーサンパンナなど少数民族地帯を巡ったもの。イタリア旅行も中国の時も、僕は彼に特別な注文をしている。
「いわゆるホテルではなく、民族旅館に泊まりたい」
  麗江と大理のその旅館は特に趣があった。低い建物で囲まれた中庭が大きくって、そこで持参のクラシックギターを弾いた体験は、僕の一生の思い出になった。ちなみに、イタリアからザルツブルグに向かうときのドロミテ山系はコルチナ・ダンペッツォの「ラ・ポスト」と言う旅籠に泊まった。日本で言えば、東海道53次の中の大きな関所の本陣旅館のようなところだ。ベトナムからシーサンパンナ方面への旅行は、南の「絹の道」を辿りたいという希望から作ったものだが、両国国境の川を渡ったときのことは今でも忘れない。中国名は河口、ベトナム名は確かラオカイと言ったと思う。ちなみに、途中の田陽の夕陽に輝く棚田の膨大な光景は「途方もない人類開墾の歴史」を感じさせたもの。それぞれ、近辺の少数民族と親しく接した交流も良い思い出になっている。

 これで味を占めて、さらにいろんな旅行の思い出を作った。娘が海外青年協力隊で赴いた中米ホンジュラスにも、夫婦で出かけた。その時の最高の思い出は、ロアタン島と言うところのカリブ海でスキューバ・ダイビン教室教室)を初体験したこと。短い講習を受けてから直ぐに潜ったのだが、素人は僕一人だったらしく、講師がずっと僕に付いてきてくれたものだった。
 夫婦で行った南ドイツの旅は、いわゆる「ロマンチック街道」物だが、南ドイツの街並みの美しさには驚嘆した。この時はベルギー、オランダにも行ったのだが、ブリュージュで、二人乗りのタンデム自転車を借りて海まで出かけた思い出が強い。
 連れ合いが日本語教師として出かけたのに同行した、シドニーとトロント滞在旅行も、格別な物になっている。自分で買い物をしていろんなワイン、料理を作るのが楽しみだった。オーストラリアでは、あのエアーズロックにも登ってきた。なお、ランナーだった僕は、それぞれの街を走って、そこの思い出を深めてきたと言う体験も持っている。ナポリの港では野犬に追いかけられて、近くの軽トラックの屋根に逃げ込んだ怖い思いもしているのだが。
 
 旅というのは、
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