去年の秋口に膀胱(周辺)全摘手術をやった。内視鏡検査によって第二~三期の癌で、「切ってみなければわからない」と言われたから、仕方なかった。このどちらかで、五年生存率が二割も変わり、治療法も違うからだ。手術前後はずっとなんともなかったのだが、術後一年を過ぎた最近になって「できない」ことの寂しさを痛感することが多い。
最近の人類史研究において、こんなことがわかって来た。オーストラロピテクス、北京原人、ネアンデルタール人、僕らのような人類は過去にいっぱいいたがすべて絶滅したのに、現生世界人類すべて、ただこの一種類が生き残った。多産に結び付く生殖機能が旺盛だったからという説も出ているのである。そもそも、現生人類の女性には発情期がない。男も、それにあわせたように旺盛、絶倫な猿なのだ。それが閉ざされた寂しさ、悲しさ。「遺伝子を残すため」という、あらゆる動物、サル類の系統発生、進化論舞台上の変化、結果を目的に入れ替えてしまった「目的論」も今は盛んだが、とにかく年取って失ったそれの大きさを日々痛感する場面が多くなった。ただし、こんな時の人には、想像力という武器がある。
連れ合いと付き合い始めたころなどをあれこれ思い浮かべている。大学クラスは男女半々ほどで、入学直後に付き合い始め、それから六年たって家庭を持ったから、思い出すことは多いのである。彼女の職員旅行の帰りなど、早朝の大阪駅まで出かけて行って出会ったデイトとか、北陸旅行の帰りに敦賀駅で会った一日、さらには新婚旅行のあれこれ。その時の紀州川湯温泉には三泊したし、近くの里山にも登ったなーとか。川湯にはわざわざ、五年ほど前にもう一度二人で行ったけど、それだけ思い出が多かったんだ、などなど。
これらの想像は、実がないものにはちがいないが、わが身にリアルだから、楽しい。そして、幸せな青春だったなー、いやいや八一歳の昨年までできたぞ、などなどを思い出し、想像してみる。〈一〇キロ走れる体力があったから、血流、新陳代謝などその道は大丈夫と、うそぶいてたよなー〉。以降たった一年、それだけに今が寂しい。
誰でも通る道だと言い聞かせてみても、突然、いきなりやって来た絶対的な境遇だから、この寂しさはきつい。川端、三島・・・・幾人かの小説家はこれで自死したのかも知れない。一種美を重んずる小説家にとっては、この能力発揮は一種の美、その極地とも言えると思うからである。
寂しいだけなら良いが、もっと怖いことも頭をかすめる。教室通いをしつつ毎日弾いていたギターが、週二~三回になったし、これも毎日描いていたブログ原稿をほとんど書かなくなった。加えて、ネット映像の連続テレビドラマなどを無限なようにだらだらと観ている。これは、以前の僕が大嫌いだった行為だ。こうして、僕の生活が全く変わってきてしまった。男性機能の完全喪失がこうして、生活、性格の重大変化を生んでいるのかも知れない。青春、朱夏、白秋、玄冬の最後が、いきなり我が身に現れたのか。よくよく心して臨まないと、残りの人生、大変だ。