ACS アカデミーのホームページの トップ左側に、いじめの相談についてのリンクを貼ってあります。
いじめは昔から なくなりません。なくなるどころか、増えてさえいるのではないかと思います。そして、その陰湿さも増しているのではないでしょうか。
いじめをする子どもたちは、 より悪質になり、 自分たちが行ういじめをあの手この手で隠蔽します。そしてまた、 まるでゲームでもするかのように 人をいたぶります。
学校の 教師たちは どうでしょうか。 正義感を持って正しくこれを受け止め、解決に向けて 指導力を発揮する先生も いるかもしれません。しかし 私の見たところでは、その数は 決して多くはありません。むしろ、 経験から言うと、 悪質ないじめをする子どもたちと一緒になって隠蔽工作に加担することすら あります。教師自身がいじめの加害者であることさえあります。
隠蔽と書きました。 なぜ隠蔽するのでしょう。 いじめがなかったということにすれば、 きっと学校の中の立場が安泰だからなのではないでしょうか、と思いたくなるほど、学校の中での指導者たる人達の隠蔽体質は昔からあります。
私が卒業した中区の富士見中学校は、今は廃校になりましたが、 かつてここはワルで有名で、校内では あらゆる形のいじめや、犯罪と言っても良いほどの 悪事がはびこっていました。 下級生は常に上級生の暴力に怯え、女子生徒は常に男子生徒の暴行やハラスメントに怯え、教師たちは 常に暴力生徒たちからの直接の 暴力に怯えていました。 私自身、 この中学校にいた時にいじめの対象になったことがありますし、上級生の暴力の対象にさらされたことがあります。信じられないことに、そのとき教師たちが何をしたかと言うと、彼らの多くはこれを助けるどころか、 これをやり過ごし、あるいはこれを隠蔽する方に 回ったのです。 当時は、そういう教師達の存在を子供だった私は信じることができませんでした。大人は自動的にみんな完璧であって、誰もが正しい行いをするものだと思っていました。今は、 悲しい意味で 私はこれを「事実はそうではない」と理解出来ます。あの時、教師たちは己の立場の安泰を優先するあまり「いじめはない」ということにしたかったのでしょう。そう思います。
日本は 憲法第9条があれば 悪意を持った外国の脅威にさらされることはないと、頭の中がお花畑の 人たちが 言います。 現にあるものをないと言い切ることで、自らの目を曇らせ、或いは閉ざしさえする。そうして国の安全と未来について、自らの責任を放棄する。国も個人も同じです。しかし、そうすることによって、 危険が増すことはあっても 減ることはありません。 国を挙げての戦争ということはなかなかないでしょうが(それだってわかりませんが)、いじめを苦にして命を絶ってしまう子供は現実にたくさんいます。
学校の中のいじめにおいては、いじめられるほうが フィジカル面でもメンタル面でも圧倒的に弱いものです。 弱いいじめられっ子を救うには、上に書いたように、もはや教師達に全面的に頼ることはできません。 この場合、一つの方法としては、外部の力を借りることではないかと思います。 私自身の中学校の時の体験で言うと、 どうにもこうにも荒みきった校内の規律を再度あるべき形に保つきっかけになったのは、ある時期から介入し出した警察力のおかげでした。 悪いことだと分かっていながらいじめをする、悪いことだと分かっていながら 時に人の命を奪うようなことまでする、悪いことだと分かっていながらこれを隠蔽する、 悪いことだと分かっていながらこれに加担する教師たちが現実にいる。 こういう確信犯的な相手に対して 綺麗事で 立ち向かっても得るものはありません。
誤解をしないでください。私たちは、いじめその他の問題に対して、一から、あるいは何から何まで外部の力に頼り、これを利用すれば良いと言ってるわけではありません。やるべきことはこの前にもあり、この他にもたくさんあります。それらをいかに効果的に行うか、効果のある策をどう活用するか。 「今」を改善するために 必要なものを排除しない態度が大切であって、その必要なものの中に、有力な手段として「外部の力」があるのだと言っているのです。 これまでにも、何件かこうした相談を寄せられました。 私たちは ただ「そうですか」「大変ですね」「頑張りましょう」「我慢しましょう」というのではなく、 今この瞬間に 苦しんでいる、辛い思いをして毎朝学校に行く、或いはもう既に学校に行くこともできないところまできている、そういう子供達を どうにかして救ってあげたい。 そのための 確実な効果を見込める対策を アドバイスいたします。