子供たちに勉強(の仕方)を教えていると、十人十色というか、まさに子供の数だけ勉強面での個性があからさまになって、それらがいろんな形をもって迫ってきます。
文系の子、理系の子といった大別どころの話ではありません。
文系でも、国語はできるが社会は出来ないとか、英語のリスニングは出来るのに、単語の並べ替えが何度やっても上達しないとか、目の前でやるとそれなりに出来るのに、家で全くやる習慣がないのか、宿題を全然やらないので、教えたことが身につかないとか、週の初めは比較的出来るのに、週末近くになるとほとんど集中もできないから単元を進められないとか、男性講師だと反発するだけで真面目に出来ないのに女性講師になると張り切ってやるとか、とにかくありとあらゆる現れ方が次々と目の前で展開されるので、そうなると教える側が画一的であったり平淡な解説しかできないのでは、一回二回ならともかく、長く指導していくことはできません。
こう書いていくと、勉強の理解云々よりも、それ以前の要因や環境からくるモノの影響の方が大きいような気がします。いずれにせよ、常に間断なく真剣勝負がそこに繰り広げられています。
中には、何を教えてもスポンジが水を吸うようにサクサクと理解し上達してくれる子も勿論いますが、絶対数の比率でいえば、そう高くはないですね(絶対数が少ないということではありません)。
加えて、子供たちの個性以上に保護者の個性の千差万別ぶりがあって、しかもそれらが教える側にとって必ずしも理想的な現れ方ではないことが多いので、まるで二重三重の手枷足枷で「さあ教えてみろ」と言われているような錯覚することさえあります。
そういうことを踏まえた上で書くのですが、勉強に限らず、何某か目標をもって努力するときに、その成果がすぐにあらわれてめでたしめでたし、などとうことは殆どの場合ないのであって、大抵は~というより「ほとんどすべて」~成果が表れるまでには時間がかかります。
お湯を注いだから3分で麺が出来た、人間だって、という感覚で学習塾に来られるなら、はじめから来ない方が時間の無駄を省けます。厳しいですか?