たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ミス・サイゴン』(4)

2014年11月04日 13時43分02秒 | ミュージカル・舞台・映画
「アメリカとベトナム戦争

(ディエン・ビエン・フーの戦いでフランス軍は降伏。ジュネーブの和平協定で停戦。これで第一次インドシナ戦争は終結する。)

 しかし、このジュネーブ協定は、禍根を残す。協定の内容としては、ベトナムは南北に分離し、1956年7月に自由選挙を行い統一を図るというものであったが、1955年アメリカの後押しを受けた(アメリカは、15000人ほどの軍事顧問団を派遣していた)ゴ・ディン・ジエムが、選挙で南ベトナムの大統領に選ばれた。ゴ・ディン・ジエムは、ベトナム共和国の建国を宣言し、北ベトナムとの統一選挙を拒否した。アメリカとアメリカ軍事顧問団の支援の下、一方で、ゴ・ディン・ジエムは一族による政治支配と独裁、極端に腐敗した政治、経済政策の失敗で塗炭を舐める国民には弾圧を加えた。特に、国民の崇拝する仏教徒の僧侶の抗議の焼身自殺が続き、世界に衝撃的な映像が伝えられた。

 ゴ政権は、軍事クーデターによって倒され、更なる軍事クーデターが起こり、政情は混迷を深めていった。そして、南ベトナムでは、北ベトナムの支援と指揮の下、南ベトナム解放民族戦線(べトコン)が生まれ、治安は極端に悪化した。

 1963年11月、ジョン・F・ケネゲィがテキサス州ダラスで暗殺され、副大統領のリンドン・B・ジョンソンが大統領に就任した。1964年8月、アメリカは公海上のトンキン湾で、米駆逐艦が魚雷艇に攻撃されたとして、北ベトナムの魚雷艇の基地に攻撃を仕掛けた。

 このトンキン湾事件については、後年アメリカの駆逐艦が、北ベトナムの領海内で魚雷艇基地の攻撃任務についていたことが明らかになる。

 8月7日、アメリカの上下院は、ジョンソン大統領に無条件の戦争大権を与え、ベトナム戦争はエスカレートしてゆく。1965年2月、北ベトナムへの爆撃開始、3月に海兵隊、続いて陸軍、1967年には最大で50万人を超える若者が、祖国を遠く離れたベトナムに送られ、ジャングルで戦い、泥の中で眠った。相手は、民族解放戦線のゲリラだけではなく、主体は北ベトナム正規軍だった。」

(東宝の『ミス・サイゴン』公式ブログラムより引用しています。)


 ミュージカルで描かれているのは、1975年のベトナム戦争末期、サイゴン陥落前夜からです。


 8月13日の観劇後に書きましたが、一幕の終盤、難民となってタムを抱きエンジニアと共に国境を越えようとする昆夏美さんキムの「命をあげよう」を聴きながら、涙が流れていました。 本田美奈子さんを思い出したり、徒然にいろいろな思いが心の中をめぐっていました。
昆さんの小柄ながら、全身でキムを生きる姿が今も深く心に残っています。
二幕のバンコクのホテルにクリスを訪ねる場面、クリスの姿はなく、クリスの妻エレンと鉢合わせした時のキムの驚愕は、なんとも胸がはりさけそうでやり切れません。エレンの動揺する姿もまたやり切れませんでした。クリスの罪深さを思ってしまいます。それは戦争が引き起こした罪ですね。

キムの親が決めた婚約者で戦後人民委員長となるトゥイは、7月29日が泉見洋平さん、8月13日が神田恭平さんでした。
トゥイは男性が憧れる役なんだそうです。
キムを追いかけてサイゴンに姿を現した時には、身なりがみすぼらしいので誰が登場したのか最初理解できていませんでした。2回目に観劇した時にわかりました。
人民委員長となってから、エンジニアにキムを探させ、居場所を突きとめたトゥイは、
クリスの間に生まれた子タムの存在を知って、タムに手をかけようとします。
タムを守るためにキムは引き金を引いてしまいます。
その場面は、バンコクで働くキムの回想シーンとして描かれています。
キムに消せない過去を思い出させる、今は亡きトゥイの登場の仕方には、ドキッとさせられました。
泉見さんも神田さんも執拗な、冷徹な雰囲気をよく出されていたと思います。


書き切れていない感がありますが、ひとまずこれで終わりです。


本田美奈子さんが旅立たれたのは2005年、『レ・ミゼラブル』のファンティーヌ役に決まっていたことを最近知り、あらためて残念でなりませんでした。
本田さんのことはまた別の機会に書きたいと思います。


7月29日の入り口ボード。



8月13日のボード。