たんぽぽの心の旅のアルバム

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『徳川時代の宗教』より-第一章日本の宗教と産業社会

2025年02月04日 20時34分56秒 | 本あれこれ

「徳川時代(1600-1868)の日本の宗教については、多方面にわたってすでに立派な研究がなされており、これがなかったら本書は書くことができなかったであろう。けれども、この時代の日本の宗教全体が日本人の生活にどのような意味を持っていたかという点については、英文で書かれた著作は皆無である。本研究の目的の一つは、きわめて粗いながらも、近代日本にもっとも近く、先行し、近代日本の基礎を多方面にわたって形成した、日本史の上でとりわけ重要なこの時期の、従来の研究に欠けていたものを補おうとするものである。

 

(略)

 

 現実に働いている意味に関心をもつことから、日本の宗教伝統をつくり上げてきた教義の形式的な構造を取り扱う方法が規定されることになろう。たとえば、われわれは、仏教、儒教、あるいは神道の教義それ自身を解明することには関心がない。われわれにとってこれらの教義を詳しく論ずる必要のあるのは、ただそれがこの時代の宗教生活の能動的要素となっている場合だけであり、それらの教理の最も重要な多くの部分が徳川時代においてもなお強い影響をおよぼしていたことを知り得るからである。たとえば、紀元前3世紀の中国の偉大な儒者、孟子は、遠い過去の名前ではなく、実に18世紀の日本で彼の教義が現在的な力を持っていたことを知る。したがって、孟子が幾世紀も以前に、異なる国に生きていた人であっても、その教義をここで取り扱わねばならない。同様に、中国の唐や宋の時代に禅宗によって展開された悟りの方法は、徳川時代に、広く商人や職人にも実践されていたのであるから、それはわれわれの研究に関係がある。

 

(略)

 

 非西欧諸国のなかで日本だけが、近代産業国家として自らを変革するために、西欧文化から必要とするものをまったく急速に摂取した。この成功は、日本人がもっていると思われているなにほどか神秘的な模倣能力によるのではなく、前近代の時代において、すでに後の発展の基礎を準備したいくつかの要素によるものだと考える日本研究者がふえてきている。しばしば論ぜられるこれらの諸要素のなかでも、他の非西欧諸国にはみられないある種の経済上の進歩があった。宗教と近代西欧社会の発展との関係、とくに近代の経済との関係について、マックス・ヴェーバーの偉大な著作に影響された社会学者は、当然、日本の場合にも宗教的要素が含まれるかどうかを問題にする。大胆にいうと、この問題は、日本の宗教のうちで、何がプロテスタントの倫理と機能的に類似しているのかということである。このように問題を設定すると、この問題は、この書を通じてとくに興味のある焦点として役に立つであろう。われわれは、日本の宗教が、普通の国民に実際上どんな意味を持っているか、できるだけ明瞭に理解するようにし、また、近代産業社会の勃興と関係があると思われる要素にはどんなものでも、とくに注意をはらうことにしよう。

 

 研究上の用語を明確にするため、著者は近代産業社会(modern Industrial socccietly)という言葉、また宗教(region)という言葉のそれぞれの意味とはなにか、定義しておく必要がある。近代産業社会とは、社会体系においては経済体系に、価値体系においては経済価値に非常な重要性をおく、という特徴のある社会をいう。また、この脈絡において経済価値の意味が何であるかを明確にすることは重要である。何よりも、私はこの語の意味が、利益欲、獲得本能、あるいは快楽主義的消費欲望などと考えはしない。「資本主義」社会にかんする多くの論議は、次のような全く不当な仮定にそまっている。それは「資本主義の性質」が、いま述べたような言葉で特徴づけられるというのである。うたがいもなく、そのような動機は、産業社会にも存在しているが、しかし、(非産業)社会においても同様である。だからこれらは、どんな意味でも、産業社会を特徴づけはしない。

 

 経済価値という語は、とりわけ手段を合理化する過程を特徴づける諸価値をいうのである。社会学の理論では、これらの価値は、行為理論でいう「類型変数」のうちの二つ、普遍主義と遂行を指している。手段を合理化する過程、あるいは等しく道具的行為とも呼びうるようなものでは、行為の目標は、差し当り自明のこととされる。唯一の問題は、与えられた目標に最高度の能率とまた最小限のエネルギーをもっていかにして到達し得るかということである。このことは、とりわけ、場の緊張に適応する意味ももっている。もし目標達成の途上になんらの障害もないとしたら、手段の問題は起こり得ないから。この道具的、もしくは適応行為の過程では、かような特殊の対象には関心はない。場におけるどの対象も、すべて、それが単に適応の問題と関連した性質をもつかぎりでのみ関係がある。したがって、われわれは適応状況における対象への志向は、個別主義的であるよりもむしろ普遍主義的なものであるというのである。同様に、適応状況における対象の質は関係がなく、考慮されるのはただ遂行だけなのである。この状況で重要なのは、対象が何かということではなく、何がなされたかということである。われわれの研究の枠組みから、社会を一つの全体像として取り上げると、経済こそ適応の問題にいちばん関連のある体系だということができる。それで適応過程あるいはその次元、すなわち普遍主義と遂行を規定する諸価値を「経済価値」と呼ぶことができる。分析的段階から経験的段階に移してみると、経済価値の表現としては、生産性への高度の関心、すなわち能率的な生産への実行があって、これに過剰に関心をいだくようになる傾向がある。

 

 アメリカ社会では、この経済価値が第一義的であり、それは、「もっと多くの、もっとよい品物を、もっと多くの人々へ」とか、「富裕の経済」といった語句に表現されている。実際には、経済価値と同様な価値が経済以外の分野においても表現されている。つまり、業績を挙げることとか、「すること」への一般的関心があり、それはビジネスにおけると同じく、レクリエーションにおいてさえあらわれている。普遍主義的態度は、産業にはもちろんのこと、科学や法律にもみられる。いわゆる「経済価値」という用語でわれわれが立証するところのものは、普遍主義的-遂行の価値が、社会体系の適応次元を規定しており、この次元が、経済と同格だということである。

 

 近代産業社会の典型であるアメリカ合衆国の特徴は、いま定義した意味で、経済価値の優先を特色とする。

 

 けれども、すべての近代産業社会がかならずしみ経済価値を優先しているわけではない。しかしながら、ある産業社会が経済価値以外の価値複合を優先させる特色をもつような場合でも、ここに定義したごとき経済価値は非常に高い二次的重要性をもっているはずである。かような価値がなかったら、高度に分化した、かつ合理的な経済はあり得ないし、したがって産業社会たり得ない。マックス・ウェーバーの使った意味で、形式合理性の高度の段階にあるためには、伝統主義の規制をうけず、ただ形式合理的規範によってのみ支配される手段の合理化の継続的過程が必要となる。もちろんここで定義したような経済的合理性が、全然束縛されないような社会はどこにも存在しない。完全な経済的合理性は政治、道徳、宗教その他のいろいろな束縛により制限される。それは経済価値が優位を保っているとされる社会でさえも例外ではない。

 

 しかし、それにもかかわらず、最も厳格な範囲内で束縛されている伝統主義社会と対比してみると、産業社会では、経済的合理性は非常に広い自由な活動領域をもっているはずである。伝統的経済を静的に維持するこれらの束縛から解放されて、現状を維持するのでなく、むしろ新しい局面へとその合理化の過程を継続していかざるを得ないのが、合理的経済の特色なのである。これが、産業社会のダイナミズムであり、かつ不安定性を持つゆえんなのである。こうした、たえざる経済的合理化は、全体としての社会体系のなかに緊張を生じさせ、合理化経済を正当化している諸価値を危機にさらすこともあり得る。

 

 非産業社会から産業社会への発展過程を考えてみると、もっとも顕著な事実の一つは、基本的価値類型の変化である。中世ヨーロッパが、政治的および宗教的-文化的諸価値によって特徴づけられているのに対して、近代アメリカ合衆国は経済価値により特徴づけられている。けれども、産業社会が発展するのに次のような場合もあり得る。基本的諸価値の転換なしに、むしろ経済価値が、ある分野で非常に重要となり、経済全体がほとんど束縛なく、自由かつ合理的に発展できるようなある程度の分化した段階に達する、という過程を通じて発展する可能性もあるわけだ。ヨーロッパの産業社会の大部分は、この後者の発展段階を示していると思われる。

 

 そして、私の信ずるところでは、日本もまた同様である。

 

 日本は、政治価値の優位性を特色とする。政治は経済より優位を占めている。ここでは、「経済価値」という用語の場合と同じく、「政治的」という形容詞は非常に広い意味にとることにする。図式的にいうなら、政治価値は、遂行と特殊主義の類型変数を特徴とする。その中心的関心は、(生産よりむしろ)集合体目標にあり、忠誠が第一の美徳である。支配と被支配が「すること」よりもずっと重要であり、権力は富よりも重要である。(略)明らかなことは、ここで広い意味で使われている政治価値が、西欧でもまた、ある時代には第一義的に、また他の時代には第二義的に、非常に重要な意味をもっていたことである。

 

 タルコット・パーソンズは、最近、経済的合理性の過程にまったく対比し得るような政治的合理性のそれが存することを指摘している。それで政治価値に対して高度の関心をもつ社会は、権力がしだいに普遍化し、相対的に伝統的な規制から解放されて、ただ合理的な規範によってのみ支配されるような状況を産みだすことになる。もちろん、政治的合理性は、もし全体としての社会がその機能を継続すると、経済的合理性ほど完全に束縛から解放されるわけにはいかないが、しかし、政治的合理性がもつ相対的自由は、驚くべき結果を生みだすこともあり得る。

 

ここではそのような過程が、西欧における産業社会の勃興にいかに重要でであったかを述べるべき立場にはないが、それがかなり重要であったことは疑う余地がないと思う。政治的およびその他の分野における伝統主義の間からあらわれ、そして近代の合理的な法治国家の発展へと導いたルネッサンス国家、国民主義の現象、およびそれらと関連した発展など、これらすべては、たしかに産業社会の勃興にたいして重要な意味をもっていた。わたしの意見では日本は、この政治的合理化の過程の特異な、またいきいきとした例証を示しており、このことを理解してはじめて、日本における特異な経済の発展が理解できると考えるのである。経済価値は、日本では高度の重要性をもつに至ったが、しかしそれは政治的価値に従属する地位に依然として留まっており、後章でくわしく述べるようなあり方で政治価値に結びついていたのである

 

 産業社会の用語の意味を一般的に定義し、かついくつかの産業社会に導く諸過程を論じたので、今度は、宗教という用語の意味とは何か、また宗教の産業社会発展に対する親和性について論じておかねばならない。

 

 われわれは、パウル・ティリッヒにしたがって、宗教を、究極的関心にかんする人間の態度と行為と定義する。この究極的関心は、究極的に価値があり、意義があるもの、すなわちわれわれが究極的価値と呼ぶものと関係がある。あるいは価値と意義に対する究極的脅威、すなわちわれわれが究極的挫折と呼ぶものと関係がある。社会道徳の基礎となる一連の意義ある究極的価値を供給することは、宗教のもつ社会機能の一つである。そのような価値が制度化されると、宗教は社会の中心価値であるといい得る

 

 究極的関心の他の面は、究極的挫折である。挫折が、制御し得る自然現象とか道徳的違反に対する適切な社会的制裁のような、決定要因にもとづくと思われる場合には、通常の人間なら、それらをそのまま処理できるのであって、したがってそれらは究極性をもたない。けれど、挫折は人間の状況には必ずつきまとうものであって、しかも死をその典型とするような、制御することも出来ず、また道徳的に何ら意義もあり得ないような挫折があり、これを究極的挫折と呼ぶことにする。宗教のもつ、この第二の主要な社会機能は、これらの究極的挫折に適切な説明を与えることである。それによって、挫折をうけた個人、あるいは集団が、核となる価値を無意義と思わずに挫折を受けいれ、挫折に直面しても社会生活を営み得るのである。かような機能は、究極的価値が究極的挫折より偉大であり、それに打ち勝つことができるという確信の形式によって果されるのであり、さらに、この機能はいろいろのあり方で-たとえば死に対する神の勝利、死の神タナトスに対する愛の神エロスの勝利、幻想に対する真理の勝利-といったふうに象徴されている

 

 究極的関心の「対象」、すなわち究極的価値と究極的挫折の源泉となっている対象は、それがあらゆるものを考慮しようとするなら、象徴化の過程をたどらざるを得ない。われわれは、これらの象徴とは「聖なるもの」あるいは「神的なるもの」をさしているといいたい。宗教的行為とは、聖なるもの、神的なるものにむけられているある種の行為である。

 

 原始的な、あるいは「呪術的」な宗教では、この神的なるものの観念は、極端に拡散(デイフユーズ)している。それは多くの対象に内在し偏在する威力もしくは力、あるいは神々、精霊、霊鬼の複合体に象徴されている。この拡散した神的なる観念は、日常生活にまで浸透している。この傾向の結果として、社会生活における行為の大部分は、聖なるものあるいはなかば聖なるものの性格をおびるようになる。社会的行為を果すことに失敗したり、またはこれを正しく行わないことは、単に社会的制裁をともなう道徳的誤謬(びょう)であるのみならず、神の裁きをうけるほどの神への冒涜となるであろう。このようにして、宗教はうたがいもなく、伝統主義の社会では、生活の停滞化をもたらし、また厳格なものとするのに役立つのである。

 

 原始的な伝統主義から偉大な世界宗教が出現したが、これらの示す聖なるものと宗教行為の新しい観念は、すべて比較的に高度の合理化を経ていることが特徴である。ヴェーバーの主張によると、これらの最初の合理化がとった方向は、巨大な、そしてある意味では決定的な影響を、その後の伝統の発展におよぼした。これらの一層合理化された宗教を、図式的にその特徴を示すと、これらの宗教のもつ神的なるものの観念は、通常、原始宗教のそれよりも一層抽象的で、ある意味では単純かつ拡散の少ないものであるといえる。神的なるものは、あらゆる状況において信仰され得るような、比較的わずかな、単純な性質のものと見られ、一層極端には「他者」としてあらわれ、そしてこの世界とのかかわり合いが徹底的に縮小する。それに付随して、宗教行為は単純化し、その場その場のものでなくなり、そして神のまことを実行するとか、神性を直接理解する方法を求めるといったことから、一層直接的に神と関係するようになる。挫折は、主に個々の状況の一面というよりは、人間生活の一般的な属性と考えられる。人間は、いくらかラディカルな意味で「疎外され」ていると感じられ、またラディカルなある救済を必要とすると感じられる。これらの諸宗教の本質は、この救済に到達する手段を与えることである。

 

こうした合理化傾向が社会の研究者に著しく重要性を持っているのは、これから生ずる態度と行為の変化にある。伝統主義の宗教は、無数の個々別々の慣習を広範囲にわたって是認し、どんな社会変化をも遅らせたり、あるいは妨げたりするのに反して、救済宗教は、個々別々の慣習から神聖性をうばい去り、その代りに、一般的、非状況的な倫理的行為の原理を与え、その結果、宗教自体の範囲をはるかに越えて重大な影響を及ぼし、行動の合理化へとみちびくのである。

 

 いうまでもなく、われわれがいま述べたこの二つの型は、純粋な形ではめったにみられない。ほとんどすべての原始宗教は合理化の要素をもっているし、ほとんどすべての救済宗教も多くの「呪術」の要素をもっている。日本では、ほとんどの宗教や宗派もこの両面をもっている。呪術的要素と伝統主義的要素がこれらにまざりあっている面を考慮しつつも、しかしわれわれが最も関心をいだくのは、その合理化の傾向である。

 

 これまで述べた宗教の諸考察から、宗教の近代産業社会の発展に対して果す重要な役割は、いくらか明らかとなろう。経済的合理化と政治的合理化の両過程が、産業社会の発展をみちびくのに効果を発揮し得る前に、伝統主義からかなりの程度に解放される必要がある。事実上、この解放が遂げられる唯一の方法は、聖なるものの再解釈を通してであり、それによって合理化の過程に適した価値と動機づけとが正当化され、伝統主義的諸規制が克服される。

 

 ヴェーバーにあっては、プロテスタンティズムは、まさにそのような聖なるものの再解釈にほかならなかった。そして人間の神に対する関係の新しい観念は、世俗の合理的知針を宗教的義務たらしめ、普遍主義と業績本位の価値を制度化させる傾向をとる。ヴェーバーは、この発展を「世俗内禁欲主義」という言葉で特徴づけた。この場合には、プロテスタンティズムは経済的合理化に対して直接貢献したということができる

 

 本研究の目的の一つは、日本の宗教における合理化傾向が、日本の経済的あるいは政治的合理化にどのように貢献したかを示すことにある。

 

 われわれは、すでに産業社会を、第一義的に経済価値という言葉で規定したので、今度は、経済価値と経済的合理化に対する宗教の関係を示さねばならない。日本の社会は、政治的側面が非常に強調されるという性質のために、政治およびその構造と宗教および経済の両者の関係をいくぶん詳細に論じなければ、宗教と経済の関係を示すことは不可能である

 

 感嘆にいえば、われわれの関心は、聖なるものと、聖なるものに対する人間の義務の捉え方が、経済的合理化に都合のよい諸価値や動機づけにどのように影響するか、またその媒介過程である政治的合理化の重要な役割が経済的合理化にどのように影響するか、という問題である。

 

 一章を割いて、徳川社会を簡単に描き、宗教生活をその固有の舞台に即して考察した後に、われわれは、徳川時代における宗教の信条表現を、これらが最も顕著に見られる階層、および、政治的あるいは経済的合理化にむかうあらゆる傾向に関連させてながめていこう。」

 

(R.N.ペラー著・池田昭訳『徳川時代の宗教』岩波書店、1996年8月20日第一刷発行、33-47頁より)

 

 


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