たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカルとしての『レ・ミゼラブル』

2015年01月11日 18時12分50秒 | ミュージカル・舞台・映画
「作詞家アラン・ブーブリルと作曲家クロード=ミッシェル・シェーンベルクにとって、「レ・ミゼラブル」は最初から用意されていた企画ではありませんでした。オペラに強いシェーンベルクと、ミュージカルに強いブーブリルが、「その二つのジャンルを結び付けて新作を」、と試行錯誤した結果たどり着いたのが、フランス人ならだれでも読んだことがあるというこの作品でした。

初演は1980年のパリ、ロベール・オッセンの演出で行われました。フランス人はみな「レ・ミゼラブル」の筋を知っているので、皆さんがご覧になる日本版の、プロローグにあたる部分はありませんでした。
次に上演されたのはイギリスのロンドンでした。ロンドンからはプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュが加わり、原作になじみの薄いイギリスの観客のために音楽が増え、上演時間は一時間延びました。
バルジャンがバリケードの中で、マリウスの将来を案じて歌う「彼を帰して」は、ロンドン版のバルジャン役のコルム・ウィルキンソンが高音を得意とする歌手であったため加えられたナンバーです。

パリ・ロンドンでの成功を経て、ブロードウェイでの上演が決定しました。前述の通り、アメリカのミュージカルはドラマと歌と踊りがあるのが基本だったので、ダンスシーンがなく、歌と台詞が混然一体となった構成は観客を驚かせました。第41回トニー賞では最優秀ミュージカル賞ほか8部門を受賞し、『レ・ミゼラブル』の人気は不動のものとなりました。

日本での初演は1987年6月17日、以来、2400回以上も各地で上演されてきました。
日本公演で特徴的だったのは、全役をオーディションで選ぶ、という試みでした。また、稽古の段階からどの役者も平等に扱われ、それぞれの役に見せ場があり、その分高いレベルが求められました。
この方針は、従来の、スターの役者で観客を呼ぶようなシステムを覆しました。
「『レ・ミゼラブル』はスターが出るミュージカルではなく、スターを作るミュージカルなのです」
という演出家の言葉通り、「レ・ミゼラブル」は今も数多くのスターを輩出しています。」

(「『レ・ミゼラブル』を5分で10倍楽しむガイド」より引用しました。)

上の舞台写真は、2011年6月12日の帝国劇場、オリジナル版千秋楽、「げきぴあ」より転用しています。



2011年6月7日に帝国劇場で撮った写真です。
以前の携帯で撮っているので解像度が低いですが、よかったらご覧ください。

大震災の混乱さめやらぬ頃でした。
私の心の中も、それまで経験したことのない緊張感にずっと包まれていたことを思い出します。色んなことがありすぎてすごく時間が流れたような気がします。
「どんな闇夜もやがて朝が・・・」
心の中で繰り返し歌っています。
生きていくことは困難の連続で、経験値でははかれない緊張を繰り返し経験することになっていますが、希望の光を見失わないように生きていきたいです。