腰のすわらない落ち着かない日々が続いています。
ずっと極度の緊張感の中で過ごしてきたせいか、緊張する癖がすっかり抜けなくなってしまいました。まだきつい場面を乗り越えてもいかなければならないので、考えていると自ずとやっぱり肩に力が入ってしまいます。
そんなこんなで、なんとなくここに書く文章も落ち着かない感じになってしまっているような気がしますが書き切れないこともたくさんあって苦しいところです。
最近テンプレートとレイアウトを変更してみました。見やすくなったのか、かえって見づらくなってしまったのか、自分ではよくわかっていません。
ブログを始めようか、どうしようかと迷っていた頃の自分の手帳を読み返してみました。
「2013年5月18日(土)
昨日はようやく国立西洋美術館のラファエロ展へ。(久しぶりの有給休暇)
今日は「赤毛のアン」を原文で読むセミナーの22章。
それぞれに心豊かな時間を過ごせるが、連日の状況はきつい。
疲れがきているなあ。
乳幼児精神保健学会のW先生が励ましてくださった。
個人史を還元していこう。
私は母を憎んだ。ちゃんと憎むこと、
それも大事なことだとおっしゃった。
憎んだ時間があるから今がある。
心を病むことの深さを教えられた。
結果的にそれは母との最後の出会いとなった。
私がこうして今自分の足でちゃんと立っていること。
それはお母さんがそういうふうに育ててくれたからだよ。
伝えたい今はこの世にはいない。
天に向かって伝えたいと思う。」
思い返せば、母との突然のお別れから一年あまりが過ぎた頃、自分の気持ちの中でのたうちまわるように過ごしてきた日々にひとくぎりついた感があり、それまでカウンセラーの先生やエンカウンターグループなどの特定の場でしか語ることのなかった思い、限られた特定の人や場所でしか語ることはできないとずっと自分のなかに閉じ込め続けてきた思いを外に向かって発信していきたいという気持ちから、このブログはスタートしました。
最初は、プリンス・エドワード島の写真と共に妹とのお別れの後の日記を読み返しながらその時の思いを綴ったりしていくつもりでしたが、書いているうちにどんどんとテーマが広がって行き、旅日記、ミュージカルの観劇日記、心に留まった本の一頁など、いろいろと書くようになりました。書いているうちにどんどん思いがあふれてきてしまい、止まらなくなってしまったことも何度もありました。
疲れ果ててへばっている週末も一回一回魂を込めて書いてきました。
ささやかだけれども、同じように喪失体験をしている方、だいじな人を失くされた方の目に留まって読んでいただけることもあれば、おこがましいですがほんの少しばかりでも励みになれることもあればという気持ちも込めて書いています。
私自身が過去の自分に励まされたり、エネルギーをもらったりすることもあります。
テーマが広がっても、喪失体験をした私が先に逝った人と共に生きている、という根っこは変わりません。
共に生きている私が予想もしなかった混乱の中に身を置いてから、一連の流れの中で自分の気持ちとどう向き合いながらどう動いてきたかは、別のかたちで伝えていければと思います。苦しいものを背負っている人間は決して弱くないです。きっと背中を押してくれている、妹の分まで生きなければという思いに支えられてここまできました。
ささやかですが、こういう私でもこうしてどうにかこうにか生きているということを伝えたいので、これからもあれやこれや、ぼちぼちと書き続けていこうと思います。
一昨日、ミレー展に行ってきました。
ミレーが描いたのは19世紀の終わり頃の農民。『レ・ミゼラブル』に描かれる世界の少しあとぐらいということになるでしょうか。下層階級の人々は本当に貧しくつましい暮らしだったんだろうな、今のように暖房器具があるわけでもない時代に、フランスの寒さの厳しい冬をどうやって過ごし乗り越えていたのだろう、絵をみながらそんなことをつらつらと思いました。
人の多さには疲れましたが、日常生活の時間を離れて、しばし違う時間軸に思いを馳せる貴重なひとときだっと思います。
寒い毎日が続いていますが、美術館の中庭を眺めてみると梅の花が開きはじめようとしているのに気がつきました。季節は少しずつ流れていっているんですね。
まだまだ落ち着かない日々は続いていきそうですが、自分の足元を見失うことなく歩いていければと思います。
よろしければまた訪問してください。
ずっと極度の緊張感の中で過ごしてきたせいか、緊張する癖がすっかり抜けなくなってしまいました。まだきつい場面を乗り越えてもいかなければならないので、考えていると自ずとやっぱり肩に力が入ってしまいます。
そんなこんなで、なんとなくここに書く文章も落ち着かない感じになってしまっているような気がしますが書き切れないこともたくさんあって苦しいところです。
最近テンプレートとレイアウトを変更してみました。見やすくなったのか、かえって見づらくなってしまったのか、自分ではよくわかっていません。
ブログを始めようか、どうしようかと迷っていた頃の自分の手帳を読み返してみました。
「2013年5月18日(土)
昨日はようやく国立西洋美術館のラファエロ展へ。(久しぶりの有給休暇)
今日は「赤毛のアン」を原文で読むセミナーの22章。
それぞれに心豊かな時間を過ごせるが、連日の状況はきつい。
疲れがきているなあ。
乳幼児精神保健学会のW先生が励ましてくださった。
個人史を還元していこう。
私は母を憎んだ。ちゃんと憎むこと、
それも大事なことだとおっしゃった。
憎んだ時間があるから今がある。
心を病むことの深さを教えられた。
結果的にそれは母との最後の出会いとなった。
私がこうして今自分の足でちゃんと立っていること。
それはお母さんがそういうふうに育ててくれたからだよ。
伝えたい今はこの世にはいない。
天に向かって伝えたいと思う。」
思い返せば、母との突然のお別れから一年あまりが過ぎた頃、自分の気持ちの中でのたうちまわるように過ごしてきた日々にひとくぎりついた感があり、それまでカウンセラーの先生やエンカウンターグループなどの特定の場でしか語ることのなかった思い、限られた特定の人や場所でしか語ることはできないとずっと自分のなかに閉じ込め続けてきた思いを外に向かって発信していきたいという気持ちから、このブログはスタートしました。
最初は、プリンス・エドワード島の写真と共に妹とのお別れの後の日記を読み返しながらその時の思いを綴ったりしていくつもりでしたが、書いているうちにどんどんとテーマが広がって行き、旅日記、ミュージカルの観劇日記、心に留まった本の一頁など、いろいろと書くようになりました。書いているうちにどんどん思いがあふれてきてしまい、止まらなくなってしまったことも何度もありました。
疲れ果ててへばっている週末も一回一回魂を込めて書いてきました。
ささやかだけれども、同じように喪失体験をしている方、だいじな人を失くされた方の目に留まって読んでいただけることもあれば、おこがましいですがほんの少しばかりでも励みになれることもあればという気持ちも込めて書いています。
私自身が過去の自分に励まされたり、エネルギーをもらったりすることもあります。
テーマが広がっても、喪失体験をした私が先に逝った人と共に生きている、という根っこは変わりません。
共に生きている私が予想もしなかった混乱の中に身を置いてから、一連の流れの中で自分の気持ちとどう向き合いながらどう動いてきたかは、別のかたちで伝えていければと思います。苦しいものを背負っている人間は決して弱くないです。きっと背中を押してくれている、妹の分まで生きなければという思いに支えられてここまできました。
ささやかですが、こういう私でもこうしてどうにかこうにか生きているということを伝えたいので、これからもあれやこれや、ぼちぼちと書き続けていこうと思います。
一昨日、ミレー展に行ってきました。
ミレーが描いたのは19世紀の終わり頃の農民。『レ・ミゼラブル』に描かれる世界の少しあとぐらいということになるでしょうか。下層階級の人々は本当に貧しくつましい暮らしだったんだろうな、今のように暖房器具があるわけでもない時代に、フランスの寒さの厳しい冬をどうやって過ごし乗り越えていたのだろう、絵をみながらそんなことをつらつらと思いました。
人の多さには疲れましたが、日常生活の時間を離れて、しばし違う時間軸に思いを馳せる貴重なひとときだっと思います。
寒い毎日が続いていますが、美術館の中庭を眺めてみると梅の花が開きはじめようとしているのに気がつきました。季節は少しずつ流れていっているんですね。
まだまだ落ち着かない日々は続いていきそうですが、自分の足元を見失うことなく歩いていければと思います。
よろしければまた訪問してください。