たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

冬の夜に静かな部屋で思う

2015年01月17日 20時59分40秒 | 祈り
今日で阪神淡路大震災から丸二十年が過ぎたのですね。早いものです。
私にとっては妹との突然のお別れの翌年になります。その頃は心だって病気になるんだということが社会的にまだ認められていない頃でした。当事者の分かち合いの場もありませんでした。ずっと自分の中に思いを閉じ込め続けてきました。時は流れたんだと、様々に思いはよぎります。

まもなくやって来る緊張感を強いられる場面への対応と、これからのこととの両輪で腰が落ち着かず、気持ちの緊張は続いています。断捨離もまだまだ続行中で、ひとり頭の中だけで忙しい感じになっています。ようやく本当に小さな一歩が出ました。これをやれただけでも十分だと今は自分に言いきかせます。

なにがおこったのか、どう流れていったのか、どんな人と出会うことになったのか、どんなことを知ったのか、そして何を感じたのか、なんでここまでこだわっているのか・・・。ややこしくてむずかしい物語をもう少し先になると思いますが、あらためて別のかたちでお伝えしたいと思っています。こういう立場の私がここまできているということが私の中では大切です。

自分がここまでこうして生きてきたことが正解だったのか、不正解だったのかを追いかけても仕方ないので追いません。以前の自分と比べてしまうとつらくなるので比べません。
結果が伴うまで苦しい日々が続いていくと思いますが、やれることを少しずつと思います。
まだ今年の手帳を買うことができないでいますが、そろそろ限界かもしれません。

また、久しぶりに妹とのお別れの翌年の自分に立ち返ってみたいと思います。

「1995年10月22日(日)Fine

やっと秋らしく、涼しく、寒くなってきた今日この頃。
5日から短期の仕事をしている。今のところ際立って忙しいこともなく、のんびりと過ぎている。
が、働けばそれなりにストレスがあるのは当然のことで、またいつものジレンマ。
会話が下手だなあ、と自意識過剰になっているわたし。どこまで自分をおさえて、どこまで自分を出していいのか・・・全くコミュニケーションがないのも困るし、かといって、強く自分を主張する場でもないし、両極端に走りがちになる自分がわかっているからこわい。
今さら自分の性格で悩んだって仕方ないんだけど、変に気真面目だし、話題を見つけるのが下手だし、なんてつい考え込みすぎてしまうのだ。
自然にしていればいいのにね。
休らぎの場をもっていれば、考え込むことなんかないようなことなのにね。
今のままの生活パターンでは、結婚なんて有り得ないよな、って思いつつ、どうしていいかわからないし、なにをするということもなく、今までしてきたことを続けている。もっと人に会うことを求めなくちゃいけないのかな、って思いつつ、ほんとは寂しがり屋なのに、ひとりならひとりで平気さ、っていうところがあるから、ひとりでいる。消滅してしまった人間関係もあるし、友達なんて限られているからほんとにひとりでいることが多い。気軽にはつきあえない。がんばっているんだ、って自負しているわたしがいる。どっかに無理があるんだろうな。認めざるを得ない。かといって、少しぐらい無理がなければ前には進まないし。
自分がもどかしいといえばもどかしい。求め過ぎる気持ちが強いのかもしれない。
一生懸命になりすぎるところがあるのかもしれない。
どこかで変わりたいと思っているわたしがいる。
いいじゃないか、こんなわたしで何が悪い。
毎日は決して無味乾燥なものではなく、ほんの少しずつでも前に進んでいると思う。
あきらめないでサ、希望を捨てないでサ、
前だけ向いていこうよ。
ひとりでいると、いろんな思いが頭の中でぐるぐると回ってしまう。
書いたら少し楽になった。ヨカッタ・・・。」

闇の中から光を見つけながら必死に歩いていた過去の自分からエネルギーもらっている感じがします。ぎりぎりのところですが、希望があることを信じていければいいと思います。