たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「夢みる力」

2015年01月04日 17時10分16秒 | 本あれこれ
 仕事机のそばの電話が小さな音をたてて鳴りました。
「萌さんですか?」聞き覚えのない若い女の人の声です。
「はい」「妖精って本当にいるのでしょうか?」
「えっ、何ですか?1」「あの・・・」
口ごもりながら、その人はもう一度言いました。
「妖精って本当にいると萌さんは信じていらっしゃるのですか?」
一瞬、いたずら電話かしら?という思いが頭をよぎりました。でも、言葉づかいはていねいだし、声の調子はとても真剣です。
「私はいると思っていますよ。あなたはどうですか?」
私はまじめに答えました。声の人は緊張がとけたようにホッとした様子で、
「はい。私もそう思っています。」
突然の質問に、とまどった私も、ようやく体勢をたてなおし、
「どちらさまですか?」「あっごめんなさい。私・・・」
兵庫県に住む高校三年生だと、その人は答えました。
進路を決めなければいけない時期に、そういう現実がとても重荷に思えて、
いつまでも物語の世界に住んでいたいという気持ちが日増しに強くなっていくのだとか・・・
受験をひかえて殺気立った教室の中で、彼女はきっと一風変わった存在なのでしょう。

「ボーイフレンドはスポーツマンで明るい人なんです。
でも最近、私のことをどこかおかしいって言うんです」
現実と空想の境い目を見きわめるほど、大人になっていないのかその声は
細くて頼りなげ気で、そんな彼女を前にした日焼けした少年のとまどいの目の色が
見えるようでした。
「私は小さい時から童話や絵本が好きで、あなたのように、自分もその中の登場人物の
ひとりだと思っていたの。でもね。大人になるとだんだんその世界が遠のいていってしまって・・・私が遠くまで歩いてきてしまったからなのでしょうね。もう私には妖精たちが
みえなくなってしまったの。だからいろいろなことを忘れてしまわないうちに、
絵を描きておきたいなって思うようになったなの。」
「はい。」「私が妖精ばかり描いているのは、妖精の世界にはもう住めないからなのかもしれないわね。」「はい・・・」
二十分ほど、そんな話をしたでしょうか。
「ありがとうございました。」
そう言って電話は切れました。少しは彼女の役に立ったのでしょうか。
なんとなく仕事をつづける気にもなれなくて、私はぼんやり考えていました。
あんなふうに電話をもらうのははじめてですが、手紙ではよく似た内容の相談を
うけることがあります。夢見る人というのは往々にして、はためいわくな存在なのでしょうね。歩調を乱すとでもいうか、どこか調子を狂わせるところがあるようです。
そんな少女たちに、夢を見ることと現実から逃げることとは、まったく違うということを
どうやって説明してあげたらいいのでしょう。
本当の意味の夢見る力は、現実の困難の中の、かすかな希望の光を見つけて、それを信じて
歩いていく勇気をあたえてくれるものだということを、どうすればわかってもらえるのでしょう。そんなことを伝えたいと絵を描いている私なのに、私の絵は、私の気持ちを語るには、
まだじゅうぶんではないのかもしれませんね。

 あれこれ考え込んでしまった冬晴れの朝です。そばでは息子のはるかが、母親の感傷などどこ吹く風と、右手を食べてみようと口の中に押し込むのに夢中です。

 はるか、君が大きくなったら、そんな女の子の気持ちを大切にする男の子にならなきゃいけませんよ。

(永田萌著『花待月に』1986年3月、偕成社刊、40頁より引用しています。)