たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_大人の文学?子どもの文学?

2019年04月22日 22時30分37秒 | 本あれこれ
「ピュアなパッション か、現実的な着地か。このバランスは難しいところです。モンゴメリーは、シェークスピアのような文豪と自分は違う、ということを言っています。彼女は『 赤毛のアン』の中でアンの「純金」のような青春時代を描きました。美しく純真で、眩いばかりの少女時代、一瞬で過ぎ去ってしまう子ども時代を。

 しかしシェークスピアは、その先を描きます。モンゴメリーが描いた青春時代、その後のことを彼は描いている。いわゆる「大人」の世界です。だから彼の「舞台」には、いろいろな人物が行きかい、さまざまなことが起こる。彼は社会を描き、世界を描く。それがいわゆる文豪が描く「大人の文学」なのです。


 モンゴ メリー とシェークスピアの違いはそこにあります。彼女が描くのはそれ以前の世界-大人の世界に着地する前の-青春時代を描いた。だからこそ、彼女はその後の文学的展開に苦しんだのです。

 自伝を読んでいても、彼女の作家として登りつめたいという気持ちは、非常にピュアで強いものです。でもその上昇志向だけでは、やはり傑作は生まれない。モンゴメリーが描いた青春時代にプラスして、デカダンスを書かなくてはならないからです。人生における美しい側面も、あるいは目を向けたくなるような醜い側面も、全てを含めたこの世界というものを描ききらないと、やはり「大人の文学」にはならないのです。

 そのため、モンゴメリーがそういう本格的な文学を書かなかった、あるいは書けなかった理由と、『赤毛のアン』が魅力的な小説として存在している理由というのは、おそらく同じものです。ある人はこの小説をいとおしいと思い、ある人は一種の恥ずかしさを感じてしまう。その源はたぶん一緒で、アンが持つまっすぐさやひたむきさが、あまりにも純真でまぶしすぎることが原因だと思います。それがあまりにも美しく輝いているものだから、いろいろ汚れてしまったこの世の中にあっては、『赤毛のアン』のような小説を好きだと正面きって断言するのは、どこか恥ずかしいことのように感じてしまう。誰でも、高校時代などの青春期には、『赤毛のアン』のようなまぶしい小説を読んでいるより、太宰治の『人間失格』や『斜陽』などを読んでいるのが格好いいと思うものです。だけど、太宰治は決して幸福になる方法を書いているわけではなくて、むしろ不幸になる方法を書いている。もちろん、その不幸を不幸として味わうという、文学の伝統もあるわけだから、一概に良い悪いと論じられる問題ではありません。ただ、太宰では幸せにはなれない 。彼の文学は、極論すれば不幸になる方法だからです。しかし太宰に限らず、大抵の 立派な「大人」の文学とは、そのような不幸の方法論であることが多い。それこそ、トルストイの言葉、「幸せの形は皆似ているが、不幸の形は人それぞれ」ではありませんが、えてして文学とは、さまざまな不幸の形を、微に入り細を穿(うが)ち描くものなのです。

『赤毛のアン』はその点が根本的に違うのです。仮にモンゴメリーがアンの純真さを失わせる。アンに、青春後に訪れるかもしれない人生の苦労を味わわせる。そういうときがもし仮に来たとしたら、そのときは、この小説がいわゆる「大人」の文学になるのかもしれません。しかしモンゴメリーはそうしなかっ た。アンはあくまで純粋で、ひたむきであらねばならなかった。永遠の青春時代というものに、留まり続ける必然的な理由があったのです。なぜならモンゴメリーは、この小説の中で幸福の形を描きたかったからです。幸福論。幸福であり続けるための方法。たしかに大人になるということは大変です。さまざまな苦難が待ち受けている。また、そのような苦楽ない混ぜになった生活の中でこそ味わえる、「底光りするような日常」というものもあり、それをしっかりと描いた文学もあるでしょう。けれども、アンの世界では、そこは描かないことになっている。幸福というのは、最後にそこに至るまでの道筋がとても大切なのであって、そこだけをモンゴメリーは抽出して描いたのです。

そしてまた、このようなことは結局は人間の分水嶺だと思います。人として 、あるいは生き方の方向性としての分水嶺。人生のどういう側面をより意識して生きていくかという、その選択の分かれ道。

  普通は子ども時代を過ぎて世の中に出ると、やさぐれていきます。ところが、アンは決してやさぐれません。ではモンゴメリーはどうだったかというと、たぶん彼女はやさぐれるときもあったでしょう。そもそも当時のカナダのプリンス・エドワード島という田舎で、しかも女性が作家を目指す。その選択をしただけで充分彼女にとっては「険しい道」だったわけだし、成功した後は、それはそれで沢山の苦労をしています。家族問題もあったし、また作家として、自分の作品の扱いについての訴訟問題も起こしています。一人の人間として、女性として、そして作家として、さまざまな葛藤が渦巻いていたはずです。

 だから、彼女が「大人」の社会の醜い面を一切見ないで、人生を通過できたかというと、決してそんなことはない。けれどもそれを『赤毛のアン』には描かなかった。

 彼女の中にある、真に澄んだ真水の部分。そこを描いた。そこにモンゴメリーの非凡さがあるのです。」

(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』講談社文庫、182-186頁より)

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社

作文、終わりました

2019年04月22日 12時24分52秒 | 日記
 朝からの作文の試験終わりました。家か駅までの道のりが、怖くって、怖くって、自転車と歩行者の為の幅なんてない所を、普通車だけでなくトラックも道すれすれでスピードだして走るので危なくってひやひやものでした。誰もが急いでいる朝、遠いし天候の悪い日もあるのを毎日続けるのは厳しいかなあと思いました。無事に試験会場に行けただけでもよし。場所はライブビューイング会場に行くよりも近い感覚でした。ライブビューイング会場は乗り換えに時間がかかることもあって遠いんですね。前職の自分が働いていたとの同様の部署や関連部署の前を通りながら試験会場へと向かいました。自分がやりたいのはこっちだあと内心うずうずしながら前を通りました。ふむふむこうなっているのかと。会場に入ってみると受験者はわたし以外はおじさんが三人でした。作文だけなので二人はラフな格好、一人はスーツ。この三人の中に経験者がいる出来レースなのか、年齢・資格・経験は問われないので、他に応募できるところのないおじさんたちが応募してきているのか、どうなんでしょう。作文は一応書けましたが、設問に対する答えのなっているのかどうかはわかりません。もう忘れます。忘れて明日から連休明けの、もうひとつの本命の方の作文に向けて勉強を再開します。前職を通して知っていることもありますがほんとに幅広過ぎてなにからなにまでだったので特定の分野は断片的。こういうことだったのかとわかったところもありますが、覚えることがいっぱい。間に合うかなあ、さびついてきている頭に入るかしら。

 昨日は足腰に疲れがたまっていたせいか朝9時頃の起床となってしまい、夜眠剤を一錠飲んで12時頃布団に入りましたが寝つくことができませんでした。1時過ぎにもう半錠飲んでなんとか就寝。頭の中では言いきかせていてもこんな試験なんていやだなあ、行きたくないなあっていう気持ちが強くなってきてしまい、緊張感の方が上回っていたようです。気分転換にと思い、夕方二か月ぶりに近郊の温泉施設へ。地図をみながらちょっと遠かったですが自転車で行きました。露店風呂が気持ちよかったので1時間半ほど、お湯に入り、出ては水をかけて休んでまた入るを繰り返していたのですが、おばあちゃんが多くてなんだかこわかったです。水風呂のへりに坐って休んでいたらあとからきたおばあちゃんたちの一人がわたしのすぐ後ろの水風呂に入るとすごい勢いで水桶をつかって水を投げつけるように床にかける行為を何度も何度も繰り返しました。わたしがなにかいけなかったのか、こわかったです。ふわふわの赤ちゃんを連れてきているお母さんがいて、おばあちゃんたちの「あれはだめよ、従業員がここは入店を断らないのか」と批判の声。たしかにそうなんですがなんかこわい雰囲気でした。鏡に映る自分の痩せ具合にびっくり。腕も胸元もがりがりの骨。体重を測ってみると服を着ているのに42キロなかったです。また40キロを切ってしまったのかも。2月に上京してスパで測った時はもう少しあったと思うので、慣れない郷里の生活と郷里近郊の事業体にぜひ力を貸してくださいとか言われながら結果的に振り回されることとなったのがわたしを痩せさせてしまいましたかね。

 星組『鎌足』、ライブビューイング開催決定。劇団さんにメールで要望を送った甲斐がありました。多くの星組ファン、紅さんファン、愛理さんファンが要望を送ったのかな。退団前の最後の外箱公演。チケットはどこにあるの?誰がとれているの?数分で終わった一般前売りの時チケットはあったの?どのみち日本青年館も梅田芸術劇場も遠いので遠征できない身には嬉しいです。ただ同日は本命の方の、作文試験を通過できたら面接試験日。午前中だよね、2時には終わるよね、でないと間に合わない。無駄になったとしても、間に合わなかったとしても、終わりの30分だけでもいいのでいつもの映画館で先行抽選に申し込みます。嬉しくて、元気でてきました。

 電車に乗って駅の中と街を歩けるのが嬉しいです。電車代をかけてせっかく都市に出てきたので、眠いですがこれからまた電車を乗り継いで社会見学に行こうと思います。

 今夜は眠剤なしで12時に休まないとです。

 急に暑くなったのでこれまた大変。自転車に乗っていると熱中症になる季節か。帽子を買わねば・・・。サングラスも必須になってきたかな。

 遺品整理していて湧き上がってきた想いを書きたいのですがそれはまたあらためます。