たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

あと少しが苦しい

2019年12月23日 22時52分43秒 | 日記
 12月23日、平成の時代は祝日でした。令和になったら記念日でもなんでもなくなってしまいました。タイミングで三連休になることも多かった年の暮れ、あと少しというところで五日間フル勤務がきついと感じます。土曜日にお昼と夕方、テーボーを二往復したのが体にこたえています。昨夜ライブビューイング帰りの雨と今日の朝の寒さでさらに体にこたえています。泣き言ばっかりですが、駅からの帰り道、すごいスピードで走りぬけていく車の音とライトが怖くて怖くて、なかなか渡ることのできないテーボーで切れ目を待ちながら涙が出てきてしまいました。手押しでいいので信号つけてほしいと警察官に言ってみたけれど信号なくて困るのはたぶんわたしを含めて数人しかいないだろうから声が届くはずもなく、猛スピードでダンプカーや大型トラックが突進してくる状況を自分の努力で変えられるわけでもなく、ここに住むことはできない、そこそこの家賃を払わない限り戻れる部屋はないのですが戻りたいと思うと涙が出てきてしまいました。30年間苦手な車とほとんど縁のない生活をしていたのだから当然といえば当然ですが落差が大きすぎて体がついていくことができません。近くに知る人が住んでいない都心を離れ、近くに同級生や知っている人がいる郷里に戻れば安心して穏やかに暮らせると思い込んでいたのが気がつけば弟に洗濯ネット投げられ不便さに慣れることもできず居心地悪すぎて孤独の海。宝塚大劇場に日帰りでいける距離感になったこととライブビューイングがなかったらもうとっくにメンタルやられているだろなと思います。なんでこんなに暗いのだろうとよくみてみるとここもあそこもデカイ二階建てが空き家になっている模様、短い滞在では気づき得なかった空き家だらけ。だからこんなに暗いのかと。この慣れない環境で中でやるにはきつすぎた業務。半年やそこらやっているだけでもわからない難しいことだらけ、自分の担当分はとくに考え方が難しいのだと思います。職員がわからないって言っているのだからわたしわからなくて当たり前、担当外のことまですみからすみまで頭に入れるって無理で電話で間抜けなこと言ってしまいました。すぐ隣の島にかかってきた電話をお願いしますって言われて、わたしが一番近くだから出ないわけにはいかない、わかっていることは答えられましたがわからないことはすぐきける人もいなくてどうすればいいのかわからず、こうなのではないかとトンチンカンなことを言ってしまいました。電話の向こうで笑っていました。この人分かってないんだってわかったでしょうね、ほんとにごめんなさい。そこまで頭に入らないんです、とっさにわからないんです。ほんとに難しい。合わないからここまできても一日も早く逃げ出したい。今週の天気予報を見ると木曜日と金曜日に気温が下がり雨模様、30年ぶりの自転車に足腰がちがちで動かないのでテーボーがつらくてつらくて仕方ない、通勤の限界。明日と金曜日、電話が苦手、電話が恐怖。あと少しが苦しいです。

「は仕事に限らずなんでも、怖かったり不安だったり辛かったりしても、乗り越えたら楽しいって思うと楽しめちゃう性格なんです。

マリウス、僕もやりたいです! ほかにも『エリザベート』のルドルフとか、『モーツァルト!』のヴォルフガングとか、やってみたい役は色々あります。でも今の僕にはぶっちゃけ、『KID VICTORY』以外のことを考えている余裕はございませんので(笑)、千秋楽の12月29日まではとにかく、楽しみながら葛藤し続けます!」

 加藤清史郎君三年ぶりの舞台出演で、イープラスにインタビュー記事が掲載されました。
年末に上野へ遠征できないの、さみしいです。地方民はこうしてみんな耐えているのか。はじめて実感。マリウスとして、ルドルフとして、ヴォルフガングとして帝国劇場の舞台に戻ってくる日をおばちゃんは楽しみに待っていますよ。その姿を見届けるまで死ねない。自分は苦しむためにこの世に生まれてきたのだろうか、いやちがう、生きることは苦しみの連続、その中に生きていてよかったと思える瞬間がある、そんなひとときに出会うために生きている。昨年の5月帝国劇場で『モーツァルト』を観劇したとき、生オケの響きに心の底から生きていてよかったと幸せだった時を忘れない。だから舞台を観たいのさ、それがわたしの幸せなのさ・・・。