たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

小林一三翁、お守りくださいね

2020年08月04日 22時55分23秒 | 宝塚
https://kageki.hankyu.co.jp/news/20200804_1.html

 宝塚大劇場公演『はいからさんが通る』、16日(日)まで中止と発表されました。いちばんおそれていたといえばおそれていた、検査を行ったところ、公演関係者に感染が確認されたとのこと。

 これによって、退団者のいる星組の宝塚大劇場千穐楽と雪組の東京宝塚劇場千穐楽を守ろうとした歌劇団がまた社会の自粛警察?から糾弾されることがないようにと祈るばかり、そして、無事に再開できること、梅田芸術劇場の宙組公演と東京宝塚劇場の星組公演が千穐楽まで無事に続いていくことを祈るばかり。

 いずれも軽症または無症状とあります。感染者を悪のようにいう社会であってはならないと思います。いちばんこわいのは人、こっちに戻ってきてかかりつけ医だった内科へまた診察にいったところ、親の介護のために帰省した人が地域から悪者にされているという事実があるそうな、介護のためなのに、だから地方はだめなんだよと・・・。

指揮者の上垣聡先生のブログより

「今これなんですよ。もちろんコロナ自体を怖がっている人もいるけど、よく話していくと結局「社会的な制裁が怖い」という話になる。そうなんです!コロナに対する「フェーズが変わった」のではないかと思うわけ。

この「フェーズ」は乗り越えることがかなり難しい。自粛警察も同じだしネットで患者を誹謗中傷する奴らも同じだが、コロナより人の方が全然怖い。とくに日本人は普段大人しいのにこうした時はかなり陰湿だし、それを受ける方も必要以上に怖れることになってしまう。」

https://ameblo.jp/saty0221/entry-12615519993.html

 歌劇団の素早い対応、誰も傷つけず、事実を正しく伝えるサイトの文面。東宝も劇団四季も同じだと思いますが、106年目の伝統の灯りを守りぬいていくために、歌劇団は公演再開に向けてあらゆるリスクを想定したシュミレーションを行い、考え得るかぎりの手段を講じて、黄色信号をわたる覚悟をしたのではないでしょうか。だから大きな混乱を招いていない。わたしが宝塚大劇場を訪れる日は遠い、もうないのかもしれませんがそんなことはどうでもいい、また花の道に笑顔の花が咲く日が訪れることを祈るばかりです。周辺の飲食店も歌劇団が動けないときびしいですよね。

 組カラーのネクタイつけてライブビューイングのカメラに映りこんでいる小川理事長、批判も目にしますがこの難局での舵取り、精神的な疲労度は半端ないと思います。小林一三翁、どうかお守りくださいね。

 わたしは金曜日に東京宝塚劇場で新生星組『眩耀の谷』『Ray』、検温でひっかかったら観劇できません。来週の『FLYING SAPA』梅田芸術劇場千穐楽ライブビューイングはなんとか時間に間に合いそうだということが本日夕方わかりました。直前にまたド緊張のきつい用向き、行きたくないですが生活あるからそんなこと言ってられません、行くしかない。そのあとに宙組公演が待っていると思えば行けるのかな。その翌日もまたきついことになるかも・・・。3.11のあとの節電とクールビズはどこへいってしまったのか、いずれも冷房がものすごくきついので自分も無事でいなければと思います。お正月の宙組公演以来の東京宝塚劇場、星組の台湾公演ライブビューイング以来の通い慣れていたた映画館、駅名思い出しました。いずれも無事に終わっていきますように・・・。














夏のプリンス・エドワード島への旅-グリーン・ゲイブルズ

2020年08月04日 15時31分17秒 | プリンスエドワード島への旅


(2009年7月の日本語パンフレットより)

🌸グリーン・ゲイブルズとL.M.モンゴメリ

グリーン・ゲイブルズはL.M.モンゴメリの古典的小説“アン・オブ・グリーン・ゲイブルズ(日本語タイトル;赤毛のアン)”で世界中に知られています。ここはその舞台を築く着想の源となったところです。実際には、デイビッド・マクニール二世とマーガレット・マクニール兄妹の農場であり、二人の住む家でした。デイビッドとマーガレットはモンゴメリの祖父のいとこにあたり、農場は最初1831年、デイビッド一世によって入植されました。L.M.モンゴメリ自身は近くの祖父母の家で育ち、生涯一度もグリーン・ゲイブルズに住んだことはなかったのですが、まわりの森や林を散策しながらこの農場を身近に親しみ、強い愛情を抱くようになります。そしてお気に入りの場所を見つけては、“恋人の小径”(Lover,s Lane)や“お化けの森”(Haunted Wood)と名付けたりしました。

“アン・オブ・グリーン・ゲイブルズ”が1908年に出版されると、時を置かずして人々はグリーン・ゲイブルズはもとより、小説中に登場する場所やアボンリーの住人達を捜してキャベンディッシュを訪れるようになりました。
小説の中でモンゴメリが描写したものの多くは彼女の創作であり、いくつかは現実のものからヒントを得てできたものです。

“アヴォンリーの大部分はキャベンディッシュである。グリーン・ゲイブルズはディビッド・マクニールの家をもとに描いた。しかし、家自体よりも、まわりの環境や景色の描写が中心である。私の書いた現実の描写の部分は人々の目にもそれと分かることで証明されている。”
-Selected Joumals of L.M.Montgomery Vol.1  1911年1月27日より

モンゴメリの精神的な故郷の地とのつながりは、生涯を通じて続いています。牧師の妻としてオンタリオに移り住んだ著者には、故郷を訪れる機会は限られていましたが、彼女の書いた20冊の小説のうち1刷を除いてすべての主な舞台は、プリンス・エドワード島におかれています。モンゴメリは島への里帰りのたび、しばしばグリーン・ゲイブルズに住みウェッブ一家(デイビッドとマーガレット・マクニールのあと、この農場を引き継いだアーネストとマートル・ウェッブ夫妻)を訪ね、何日か滞在することもありました。そして、1942年に亡くなったモンゴメリは、キャベンディッシュの墓地に埋葬されました。死後まもなく、カナダの歴史的記念物保護委員会によってL.M.モンゴメリは歴史的重要人物と公認され、グリーン・ゲイブルズに記念碑が建てられました。

🌸より充実した時間をすごしていただくために

1997年にはグリーン・ゲイブルズに敷地改造事業が完了しました。この事業の完了は、パークスカナダが目的とする“訪問者への最高のサービス”への大きな助けとなるものです。またプリンス・エドワード島国立公園におけるグリーン・ゲイブルズの意味と、歴史的重要人物としてのL.M.モンゴメリをよりよく理解できるようになりました。

改造事業の一部として、“アウトビルディング”(農家の母屋以外の建物)の建設も行われ、これは1930年代後半まで、この農場に実在した建物が元となっています。 」








資料館に展示されているモンゴメリさんのスクラップ・ブックのレプリカ。





デジカメをもっていった2010年春と2012年秋の旅から、写真をランダムに集めてみました。

2010年6月7日(月)春のグリーン・ゲイブルズ全景、恋人たちの小径を散策してもどってくるとみえてきます。



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズの台所の窓辺



2010年6月7日(月)、恋人たちの小径



2010年6月7日(月)、グリーン・ゲイブルズ、マシューの部屋




2010年6月7日(月)、グリーン・ゲイブルズ、アンの部屋







2010年6月8日(火)、バルサム・ホロウ・トレイル



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、客用寝室



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、客間









2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、マシューの部屋



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、配膳室



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、納屋、ドリーもいました。



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、台所







2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、裁縫室









2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、マリラの部屋





2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、ディリー・ポーチ





2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、物置





2012年10月14日(日)、夕暮れのグリーン・ゲイブルズ、バターチャンカフェ



2012年10月14日(日)、グリーン・ゲイブルズからキンドレッド・スピリット・カントリーインに帰る道




2010年6月10日(木)シャーロットタウン



いずれの旅でもお世話になったプリンス・エドワード島セレクトツアーズのサイトを久しぶりにのぞいてみました。日本人が渡航することはできないので8月31日まですべての現地ツアーは中止とのこと。
わたしは残念ながらそこまで時間なかったのですが、すごく楽しいという小さい劇場で上演されてきているミュージカル『Anne & Gilbert』、客席を間引てコンサート形式で上演とのこと。

https://ameblo.jp/peiselecttours/entry-12615029597.html

 この世にいる間にプリンス・エドワード島を訪れることはもうできない可能性が高いですが、変わらず穏やかな景色が島にはあります。モンゴメリさんが歩いた道を歩き、お墓にお参りをし、『赤毛のアン』を書いた家の跡を歩き、モンゴメリさんもみたであろう景色を体で感じた思い出はずっと心の引き出しの中にあります。写真をみていると、島で感じた幸せ感が甦ってきます。

整理しきれていなかった思い出をようやく整理しつつの、断片的な旅の思い出し日記でした。