今のところ今年最後に観劇した舞台。エンターテイメント界は次々に公演中止を余儀なくされ、宝塚歌劇団も2月29日から3月8日までの公演中止の発表した前日でした。舞台に立っていた生徒さんたちも千穐楽が前倒しになり、29日に予定されていたライブビューイングが幻になるなど思っていなかったと思います。明日のことは誰にもわからない緊迫感はまだありませんでした。ズタズタのふらふら状態で自分にかけてあげる言葉がみつからなってしまった日でしたが、思った時に観ておいてほんとによかったと思います。たまきち(珠城りょうさん)演じるジュリアンが、レナール夫人@美園さくらちゃんへの殺人未遂事件により処刑される直前、自分の人生はこれでよかったのだ、悔いはないと微笑みさえ浮かべた姿に、ひととき浄化されるものを感じました。人として、どちらかといえばさげすまれるような生き方をした一人の男を、その時々で今いちばん自分にとっていいと思う道を選び一生懸命に生きた人間として魅せたところがたまきちの度量なんだあと思いました。言うまでもないですがあらためてすごい美人さんとも・・・。
スタンダール原作、岩波文庫で3巻ある長い物語を、原作を読んでいない人にもわかるようにうまくまとめながら宝塚らしい世界観に仕上げた柴田侑宏先生の脚本が秀逸、テーマソングの作曲は寺田瀧雄。いずれも旋律が美しく、コーラスの余韻がいつまでも残りました。
「赤と黒♪
ルージュ・エ・ノワール♪
恋は情熱 燃えさかる恋♪
黒は野望 内に秘めたる心♪
赤と黒♪
ルージュ・エ・ノワール♪」
1975年に月組で初演、1989年に月組で再演、そういえば涼風真世さん、ジュリアンをやっていましたねとプログラムをみながら思い出しました。2008年に星組で三度目の上演、主演した安蘭けいさんはこの作品をすごくやりたかったそうです。今回4度目の上演でした。
真っ白なシャツブラウスに黒いパンツ、赤いベルトのジュリアン@たまきちの、陰鬱な表情を浮かべた立ち姿が美して、こんなたまきちを観たのは初めてだったので本領はこういうところにあるのかと唸りました。オンデマンド配信で視聴した初日あけて一週間ぐらいかな、終演後のインタビューでフーケ@月城かなとさんが、たまきちの盛り上がった袖をさわりながら、シャツいちが似合うとべた褒めだった。肩幅が、とかいいたいんでしょ、素材がいい、肩は少しもられている、「パフッてます」とたまきち。
ナウオンステージでのたまきちの話。ジュリアンはフーケの前では仮面をかぶっていない。フーケがいちばんジュリアンのことを思っている。(貧しい製材業の息子として生まれた)ジュリアンは家族から愛情を受けていないことが核にある。人に認めてもらいたいが、それが(富と名声を手に入れることを障害と目的とする)出世欲となり歪んでしまった。常に人の言葉や動向に集中している。根本は人に必要とされたい、愛されたいという想いだが、歪んだ方向にいってしまったというふうに役作りしている。ジュリアンは友達がいない、人に愛されなかった、ジュリアンの動きは他の人の台詞を通して説明されていることが多い。激しめのラブシーンが多いのでどう?と気になって仕方ない様子の月城かなとさん、今までも激しめのラブシーンをやってきたので自分は平気、稽古場でみている方が恥ずかしいのでは、とたまきち。
上流階級へとのしあがっていくために聖職者になるしかない。そのためにまずラテン語を学び、才能を発揮したジュリアン。そのジュリアンに目をつけたのが町長のレナール@輝月ゆうまさんでした。子どもたちの家庭教師として招かれたジュリアンは、どんなこわい人が来るのかしらと心配するレナール夫人の前に清廉潔白な初々しい青年として現れました。燃えるような野心を内に秘めていることなどおくびにも出さす、上流社会へのコンプレックスから心の声でレナール夫人を誘惑することを誓うジュリアン。そんなジュリアンの胸の内を知らないレナール夫人は本気でジュリアンにときめいてしまい、ジュリアンもまた誘惑しているうちにいつの間にかレナール夫人に心から想いを寄せるようになっていたのでした。レナール夫人の部屋での二人の場面、振付は羽山紀代美先生。『激情』を思い出しました。みてはいけないものをみてしまっているような、同時に美しい世界観に昇華していて、宝塚ならではのシーン。
美園さくらちゃんに3人の子どもがいるレナール夫人は背伸びし過ぎるのではという心配が観劇前は少しあったのですが、『I AM FROM AUSTRIA』を経て、誰をも認めさせるトップ娘役へとさらに成長したと思いました。フィナーレの娘群舞で先頭に立って踊る場面、デュエットダンスで折れるのではないかと心配になるぐらい細いウエストと背中があいた黒いドレスからみえる鍛えられた背筋に、たゆまぬ努力に裏打ちされた自信と貫禄を感じました。ナウオンステージでのさくらちゃん。毎回稽古場のラブシーンの場面では挙動不審になってしまっていたと照れまくり、夫を愛しているかときかれるとそうではない、子どもたちは愛していると。ジュリアンへのときめきを隠せず、避暑地でもドレスをまとう初々しいレナール夫人を大人っぽく可愛く色っぽく魅せてくれました。
柴田脚本は人間の醜さも描いているけれど、宝塚の美しさを損なわない、人間を扱って宝塚的な美しさがあるとたまきち。言葉の美しさ、瑞々しさがすごいとさくらちゃん。
観劇から6カ月になろうとしている今ようやく書けました。長くなってきたし、明日動けないと困るので今日はこれぐらいにしておきます。大劇場に遠征できたり、こうして外箱のチケットをとれたりしたのは苦しかった日々の中で人生のオマケ、1年10カ月は束の間の夢でした。