たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

1995年星組『国境のない地図』より-「ドイツを旅して」

2022年03月14日 12時12分45秒 | 宝塚
1995年星組『国境のない地図』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/fa39d8aea4e974b52dbcb4eb021c89cd


1995年星組『国境のない地図』より-「国境のない地図」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b570b045f3e9f91f30592cd9c38b0884


東京宝塚劇場公演プログラムより、

「ドイツを旅して~もう一度訪れてみたい街、ベルリン~麻路さき

 わたしがベルリンへ行ったのは昨年(1994年)のことです。私は旅行好きで、ヨーロッパは何度となく足を運んでいますが、何故かドイツにはいくチャンスがなく、その時が初めてのドイツ旅行となりました。

 ベルリンと言えば、ブランデンブルク門、カイザーウィルヘルム教会、勝利の塔、そして壁。このくらいしか私の知識の中にはなかったのですが、行ってみると、もっともっとたくさんの見所のある街でした。

 でも驚いたのは、分断されていた西と東が一つになり、今や壁という国境もなくなっているこの街の中で、昼でも夜でも街を歩くと、数日しか滞在していない私がわかるくらいに、西と東の差(ネオンの明るさ、店の数、自家用車の質等)がはっきりしているのです。

 東西一つになれたのに・・・。私は壁もなく自由に行き来ができるこの街中を、旧西側、旧東側と、何度も行ったきり来たりしました。

幼い頃から本等でみるベルリンの写真の印象といえば、ブランデンブルク門とその前の大きな壁。写真ではそこしか写っていないから、その壁がどこまで続いてどことどこが区切られているかは全く知りませんでしたが、まだ今でもその形跡が残っているこの町に、28年間の時の長さを感じさせられるものがありました。

 壁博物館、これはチェックポイント・チャーリー(外国人用出入口)の跡地にありましたが、その中を見学した時には、外国人の私でさえ何かとても悲しい気分になってしまった程、ついこの間まで起きていた壁による数々の悲劇が紹介されていました。本当につい数年前のことだけに、私が今まで色々な歴史的な所を見学してきた中でも一番心に強く残った博物館でしたね。

 ちょうど乗ったタクシーの運転手さん(彼は東側の人でした)が、ブランデンブルク門の前の壁のあった辺りを、お互いが片言の英語での会話なのに、必死で説明してくれました。彼は本当に壁がなくなって喜んでいると私に話してくれ、年齢的には壁が作られる前から生まれていた方でしょう。何か私には、生きる歴史の証人、今回、台本をいただいてヘルマンという私の演じる役を知って余計に、その運転手さんも、今回の作品の登場人物達と実際に同じ運命を生きている人だったんだなあと、彼のことを思い出しました。

 この作品をやる前にベルリンを旅していて本当に良かったと思います。本当の分断されていた状況を知ることはできませんが、実際に本物の壁も見られたし(思っていたより低かった)、私にとって色々なことを考えさせられた旅でした。

 もう一度、いえ、これからもチャンスがあれば何度でも行ってみたいですね。どんどん変わっていくだろうベルリンへ。                               麻路さき」



「ベルリンの壁」の建設から崩壊まで分かりやすく解説
https://allabout.co.jp/gm/gc/446558/

 『国境のない地図』、東ドイツで母と暮らしていたヘルマンが、ある日突然つくられたベルリンの壁によって生き別れとなり、壁の崩壊によって再会するまでを描いた物語。作品として必ずも上出来とはいいがたいところがありますが、阪神淡路大震災によって中止を余儀なくされた宝塚大劇場再開の最初の作品となり、麻路さきさんのトップお披露目公演で、特異のピアノの腕前を舞台上で披露したこと、宝塚が奏でる平和への祈りの紡いだ作品として意義深いものがあったと思います。

 色々なことを知らなさすぎて、ベルリンの壁とはなんだったのか、ググってみました。コロナ禍の二年間によって今まで信じてきたことの多くは幻想だったとわかりました。なにをどこまで信じればいいのかわからず、あらためて勉強だなと思う毎日です。今何が起こっているかを理解することはすごく難しいですが、おそらく世界の歴史のうねりの大きな転換期、自分たちの暮らしを守っていくために無関心でいることはできません。宝塚がきっかけでこうして、考えていくことも大切かなと思います。

 二つの世界大戦、スペイン風邪、震災をこえてきている宝塚は、平和への祈りを込めた作品をいくつも上演しています。宝塚が紡ぐ、平和への祈りの声、明日への希望の声、世界中に届いてほしいです。






現役医師の訴え「子供たちを苦しめるコロナ対策はもうやめるべき」

2022年03月14日 01時13分17秒 | 気になるニュースあれこれ
PRESIDENT ONLineより

「1人でも感染したら学級閉鎖…現役医師の訴え「子供たちを苦しめるコロナ対策はもうやめるべき」
自粛一辺倒の「コロナ専門家」には退場してもらったほうがいい


 長期自粛の結果、私たちの社会はどうなったでしょうか。人流抑制や飲食店の休業や時短営業の要請。経済の冷え込みで多くの人たちの仕事や暮らしは傷つけられ続けています。さらに私が、今回最も深刻だと感じているのは、子供たちへの影響です。

  
 命を脅かさないウイルスのために自粛と閉鎖で暮らしを脅かしつづけるのは、手段の目的化です。自滅としか言いようがありません。一貫して重点措置を要請しなかった県知事さんもいらっしゃいました。

 
 子供たちに被害を与えていないコロナウイルスによる学校機能の停止は、子供たちの成長を妨げる有害な措置です。教育機関は人間が健やかに成長するために必要な場所です。ひいては国や社会の存亡に関わる場所です。


 「病気にならない」ウイルスの陽性者を減らすために、ワクチンを打つなんて愚の骨頂です。ワクチンは、発症すると健康被害が出る病気の予防のためにあるのであって、無症状の陽性者を減らすために接種するものではありません。



 コロナへの過剰反応が、私たちの暮らしを脅かしています。コロナウイルス自体によるものではなく、社会の仕組みによって生まれた過剰反応という点がポイントです。

 この原因は何か。答えはシンプルです。「コロナ専門家」と呼ばれる人たちが、コロナウイルスの特性や状況に応じた対応を見誤り、新規感染者数を抑制する「自粛一辺倒」の方針を変えてこなかったからです。人々はそれに従ってきたにすぎません。



 ロシア軍のウクライナ侵攻で、国内のコロナ報道は激減しました。難民一時受け入れも必要かもしれません。経済危機や食糧難が来るかもしれません。次の危機に備え世界は、弱毒化したコロナを相手にしなくなりました。


 非効率的なコロナ対応をズルズル続けるのは有害無益です。私は、制限を撤廃して国内システムを早急に正常化し健全化する局面にすでに変化したと思っています。意味を失った規制で自滅することなく、社会情勢の変化に対応できるよう早急に対応すべきだと思っています。」

https://president.jp/articles/-/55443