【HPVワクチン薬害名古屋訴訟】原告本人尋問(2回目)が行われました - HPVワクチン薬害訴訟全国弁護団 (hpv-yakugai.net)
「現在26歳の原告14番さんは、中学1年生から2年生にかけて、サーバリックスの接種を3回受けました。
接種直後から、接種部位の痛みだけにとどまらず、原因不明の腹痛や強い生理痛を生じるようになり、徐々に登校に支障を生じるようになり、特に3回目の接種の数週間後には、これまでにない激しい生理痛のために学校で倒れてしまうというエピソードを経験しています。
最初は左腕から始まった身体の痛みも次第に全身に広がり、高校2年生になる頃には、お箸を使ったり、着替えや入浴などの日常の動作もひとりではできなくなってしまい、日常的に両親による生活介助が必要となってしまいました。
高校でも周りの同級生と同じ机と椅子では痛みで座っていられなかったり、身体を支えることもできなくなり、リクライニングの車椅子やベッドを教室に運び込んで、身体を横たえた状態で授業を受けるといった努力を重ねる必要がありました。
こうした病状を経る中で、原告14番さんは近隣の大学病院に緊急入院して不全片麻痺と診断され、その後、HPVワクチンの重篤な副反応症状の症例を数多く経験する大学病院を受診し、詳細な病歴の確認結果を踏まえてHPVワクチン関連免疫神経異常症候群と診断されています。
原告14番さんは、こうした病院受診を繰り返す中で看護師になることを志し、高校卒業時には体調不良のために大学を受験することもできず、看護専門学校への入学も拒否されてしまいましたが、独学で勉強を続け、同級生よりも1年遅れて看護大学に入学を果たしました。
進学後も、遠方にある医療機関での検査や免疫吸着療法などの治療を受ける必要もあったため、夏休みなどの長期休暇はすべて治療にあてなければならず、入院先に教科書などを持ち込んで必死の思いで努力を重ねた結果、試験に合格し、念願の看護師としての仕事を開始することができました。
しかし、体調はその後も改善せず、不随意運動といった深刻な症状の悪化により、就業開始から2年足らずで休職を余儀なくされ、ほぼ1年間の療養を経て何とか復職したものの、現在もなお、家族による様々な支えの下でもパートタイムでの就労が精一杯であるため、いつまた症状が増悪して看護師を辞めなければならなくなるのではないかとの不安を抱え続けています。
原告14番さんは、最後にHPVワクチンの問題について思うところを尋ねられた際には、副反応症状のためにこれまでたくさんのことを諦めてきた、たとえ症状が出てしまったとしても、それを理解し、治療に専念できる体制がきちんとできていれば自分たちも生きやすくなると思う、そうした実態をこの訴訟を通して知って欲しいと訴えました。」