圧倒的多数の男性は会社を辞めたいと思っても簡単に辞めるわけにはいかない。しかし、多くの女性は「とりあえずOLしているのであり、いざとなれば辞めればいいやと思っている」ので、ぎりぎりのところに立たされた場合には女性のほうが極端な行動をとることができてしまうことを先に記した。いざとなれば女性のほうが開き直ることができてしまう。一般職のOLは仕事の最終責任を負っていない、出世の道も初めから閉ざされているので抵抗行為をすることができる。さらに、このようなことを可能にしている背景には、OLは基本的生活水準を親に依存しており、生活の心配のないことがあげられる。通常、男性社員であれば、上司が気に入らないとか、不愉快な目に遭ったからといって簡単に会社を辞めることはできない。家族を養うためには会社でがんばって仕事をし、できれば少しは出世もして、と思ってきた。しかし、家族を養うどころか、親と同居していて自分自身の生計さえ立てなくてよい場合が多いOLは、不愉快なことがあったら、男性のように我慢することはないのである。親と同居するリッチな独身者を「パラサイト・シングル」と呼んだ社会学者の山田昌弘は、若者が親と同居しているかどうかが、労働問題を考える場合に重要な要素となると述べている。山田は男女かかわりなく、親と同居しリッチな生活をする未婚者をパラサイト・シングルと呼んでいるが、実際には親に寄生して豊かな生活を楽しむ未婚者は、女性が圧倒的に多い。この性差が持つ意味を山田は次のように説明している。男性の場合、親と同居している割合がそもそも低いし、同居していても、結婚資金を貯めたり、農業など家業を手伝っていたりする人が多く、パラサイト生活を楽しむ人は少ない。これは、日本では、専業主婦指向が強いゆえに生じている性差だと考えられる。つまり、女性は結婚によって別の人生を始め、結婚後は夫の収入に頼るという見通しを持つから、未婚者は安心してパラサイト生活を楽しむことができる。結婚前はどんな生活をしていようと、夫婦の経済生活は夫次第と思っているのだ。一方男性は親と同居しても、将来の妻子を養うというプレッシャーから解放されない未婚者が多い。それゆえ、結婚を望むなら、パラサイト生活を楽しむという心境にはならないのではないかと考えられる。結婚は女性にとって「生まれ変わり」、男性にとって「イベント」なのである。生まれ変わるから、今を楽しむだけ女性と、現在と将来と連続しているから楽しめないという構図である。[1] 基本的生活条件のコストを負担しないで済むパラサイト・シングルは、親にとっては子、外に出れば社会人という「いいとこ取り」をしているから、精神的な満足度を一般的に考えられる「好きなことを追求できることと、嫌なことをどれだけしないで済むか」という尺度で測ると満足度を高くする条件を兼ね備えている、と山田は述べている。「嫌なこと」の多くは、仕事上の問題からくる。人間関係上のトラブルもあるし、自分の実力が評価されなかったり、身につけている能力を発揮できない仕事だったり、そもそも嫌いな職業についているというケースもあるだろう。たとえ、好きな職業に就いていても、勤務時間が拘束されたり、頭を下げたりすることが多い。それでも、多くの人が仕事を続けるのは、やめれば生活できなくなるということに尽きる。それを「余裕がなくなる」といっても同じである。パラサイト・シングルはこの点でも恵まれている。基礎的生活条件が親によって保証されているので、少々の小遣いの減少を我慢すれば、嫌な仕事はやらないですむのだ。たとえ仕事をやめなくても、「いつでもやめてやる」と思ったり、言ったりすることができる。仕事における立場が強くなるのだ。また、失業したとしても、親と同居していさえすれば、住む所と食べ物には困らない。自立して、自分の給料で生活している人は、次の仕事の見通しがつかない限り、なかなか離職しない、というよりできないといってよい。しかし、パラサイト・シングルは、好きな仕事をしたいから、もしくは今就いている仕事が嫌だからという理由でやめることができる。山田が述べているところによれば、失業率は1999年3月現在で4.8%、特に若年失業率が高く、20代後半の女性で特に高い。[2] 若者の失業率が高くてもそれほど社会問題にならないのは、若者が親と同居していてパラサイト生活を送っているからである、と山田は述べている。日本の若者の失業は、ぜいたくな失業といえないだろうか。「切実に」「生活のために」仕事を探しているのではなく、「自分に合った職」「プライドを保てる職」にこだわるために、なかなか就職せず、また、自分に向かないと感じた合わない仕事はやめてしまうのではないか。非正規社員という就業形態を可能にしているのも、基本的生活条件を親に依存しているからである。長時間拘束されるのはいや、自分の時間が確保できない、職場の人間関係がわずらわしいという意識、熊沢が「被差別者の自由」と呼んだ意識と非正社員の増加とはすでに述べている通り深く関係している。これは、豊かな生活を他人に支えてもらい、あくせく働く必要のなくなった立場の労働観である。好きな仕事ならやるということは、嫌な仕事ならつかないし、やめてもかまわないという立場、つまり、「労働」の趣味化がパラサイト・シングルの間で起こっていることを山田は指摘している。[3] 繰り返し述べてきた、OLがいざとなればやめればいいやと考えることができるのは、山田の記述に沿って考察すれば、自身の生計を立てるために仕事をする必要がないからである。山田は、渡辺和博とタラコプロダクションによる『金魂巻』(1984年)から引用しながら、次のように述べている。
一般の会社に女子社員として勤めていれば給料の差などというのはあまりないので、そんなにまる金とまるビの差は出ない気がしてきますが、実際には2-3年OLしているうちに、決定的にまる金とまるビの差が出てしまいます。いったい何によって出るかというと、自宅通勤とひとり暮らしによってまる金とまるビに分かれてしまいます。この一点です。(64頁) つまり、渡辺和博氏は、OLの経済階層は、職業や仕事内容、収入、学歴、努力などといった要素とはほとんど関係なく、ただ単に、親と同居か、一人暮らしかで決まるということを主張している。そして、その差は、単に、生活水準の差ではなく、生活様式、男女関係や社会意識、そして、心のゆとりにまで影響することが、読み進むうちに分かってくる。自宅のOLは、お嬢さん感覚を身につける一方、一人暮らしOLは、毎日の生活に追われているうちに、「疲れた」感じがどうしても出てきてしまうと評される。この本は、パラサイト・シングルの優雅な生活を描いていると同時に、未婚女性の間で貧富の差の拡大、つまり、「階層分化」が生じていることを明らかにしている。[4]
多くの女性は自分のために他人がどれだけ稼いでくるかという点で、自分の階層意識も決まり、未婚女性にとって世帯収入が多ければ階層意識が高く、逆に世帯収入が低ければ階層意識も低くなる。山田によれば、同居の親の収入が多くて、自分の収入が少ない場合、もっとも階層意識が高くなる。結婚している女性でも似たような傾向を示し、世帯収入と既婚女性の階層帰属意識の相関が高く、自分の収入にはあまり影響されない。[5] 先にも記したように、親と同居する未婚者は女性に限ったことではないが、特に女性にとって親の経済的利用可能性が自分の生活水準を決める決定的要因になっている。86年の雇用機会均等法施行以降、女性の社会進出が進み、女性も個人として経済的に自立していくはずという認識も生じたが、実際には親と同居し、お給料は全部お小遣いとして使うことができる。生活の心配がないOLは労働の場を離れて「巨大で強烈な消費者集団」としての顔をもつ。均等法成立後も、日本型企業社会は、女性を周縁労働力として活用し続けていることは繰り返し記してきた。女性労働者は未婚の時は親に、結婚したら夫にパラサイトすることを前提に位置づけられている。今も日本型企業社会が持ち続ける雇用慣行は一般職の女性に自立を阻むものではあっても、自立を促すものではない。 松原惇子は、女性の自立が困難であることを次のように述べている。
“自立した女”とか“自立”と言う言葉を私たちは軽く口にするが、実際に自立することは並たいていのことではない。特に女性にとって自立することは非常に難しいことである。自立には二つの要素が含まれる。一つは経済的自立、もう一つは精神的自立である。この両方をクリアできてはじめて自立していると言えるのであって、単に女性が仕事を持っているからといってその女性が自立しているということはいえない。食べていけても心の中で誰かをあてにしていたり、仕事が嫌になった時の避難場所のことを考えたりしているのでは、その女性は精神的に自立しているとは言えないだろう。最近、マスコミでは、一時の“翔んでる女”から“女の自立は何もお金を稼ぐことだけではない”路線に変わってきている。家庭で子育てをしていることも女の自立につながる。それも正論だが、私には何かすり替え論のような気がしてならない。何も経済的に自立したくない、男性の庇護のもとに暮らしたい女性に無理に外に出てお金を稼ぐべきだと言っているのではないが、自立は自分で稼げる、ということが絶対条件だと私は思うからだ。それもパートタイムやお花を教えてのチョロチョロ仕事ではなく、男性と同等の稼ぎがある。そのくらいの経済力を持ってはじめて女性が経済的に自立していると言えるのではないだろうか。[6]
女性が親と同居し続けることと、男女ともに根強い専業主婦志向は「依存主義」という意味で同じ現象であると山田は述べている。パラサイト生活は、親に生活条件(家事・住居など)を依存するシステムである。また、専業主婦という存在も、夫に基本的生活水準を依存するシステムである(夫から見れば家事一切を妻に依存している)。高度経済成長期は、この依存システム、熊沢が述べるところの「男女共生システム」がうまく働き、多くの若い女性は親への短期間の依存の後、専業主婦としての依存先を見つけることができた。しかし、現在は親という依存先が太り、夫という依存先が細っている。これが、日本に晩婚化現象をもたらしている、と山田は説明している。[7] 女性の選択肢の多様化、仕事と生きがい、生活がかかっている時にどうするのか、真の自立については、次章以降でさらに考察していきたい。ここでは、一般職の女性は、生活の心配がない故に「いざとなれば辞めればいい」と思うことができることを説明するに留めたい。
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引用文献
[1] 山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』21-22頁、ちくま新書 1999年。
[2] 山田、前掲書、45-47頁。
[3] 山田、前掲書、16頁。
[4] 山田、前掲書、112-113頁。
[5] 山田、前掲書、117頁。
[6] 松原惇子『いい女は頑張らない』186-187頁、PHP文庫、1992年(原著は1990年刊)。
[7] 山田、前掲書、86-87頁。