ウィレム・ドロスト
(1630頃‐1680以降)
《バテシバ》
1654年
油彩、カンヴァス
101 × 86 cm
署名、年記あり
(公式カタログより)
「17世紀オランダで描かれた裸婦像の中で最も美しいもののひとつであり、ウィレム・ドロストの傑作でもある本作品はレンブラントに多くを負っている。ドロストの師匠であるレンブラントは、本作品と同じ1654年に《バテシバ》(ルーヴル美術館蔵)を制作している。このふたつの作品はともに同様の内省的な雰囲気と、聖書物語の主要な登場人物であるヒッタイト人ウリヤの妻で、ダヴィデ王との不貞を余儀なくされる(『サムエル記下』)美女パテシバに焦点を絞っている。
真っ暗と言ってもいい闇の中から姿を現わし、再び自分の元へ来ることを命じるダヴィデからの手紙の結果を熟慮する若い女性は鑑賞者の方を見つめているようだ。実際、ドロストのこの作品はその複雑さで有名である。レンブラントが同主題に与えた深い人間味を彼女がもっていないにしても、彼女の姿は明らかにその影響下にある。今日もなお、この作品は際立つ官能性の表現と見られるが、疑問を孕んだ作品でもある。実際、細部では明らかに解釈者の理解を超えている。つまり、若い女性のイヤリングはドロストによって、垂直ではなく斜めに垂れて描かれている。腕の悪さか?それとも遠近法の間違いか?・・・このことはレンブラントと弟子たちの大きな研究テーマを思い出すならば、意味が掴める。その研究とはカンヴァス上に「動き」を再現しようというものである。パテシバのイヤリングの処置は明らかに彼女が振り返っている最中であることを示唆している。
彼女は、その視線が示すように、おそらく向かって左から右に頭をひねっている。思うに、ドロストは鑑賞者をじっと見つめるパテシバを我々に示そうとしたのではない。当時の構想は、この聖書の登場人物の誘惑者としての特徴について展開させることだったようである。彼は我々に芝居の劇作法の原則に従って彼女を示そうとしたのである。その原則とは、つまり、観衆と役者を隔てる「第4の壁」を破ることにより、両者の意図的な相互作用こそなものの、観衆の視線のもとで演技を行うことである。
この仮説はこの作品をルネサンス期ヴェネツィアの高級娼婦と結びつけることを拒絶させ、このイメージが内に秘めた重要性、つまり、同心円状というこの構図の基本的な側面を浮かび上がらせる。まさにそれによって、この作品は普遍的な重要性をもっている。その上、ドロストは女性の手の中に手紙を描くことで、彼の同時代人が聖書主題に近付きやすいようにした。現代の考古学的な視点からすれば、パテシバは楔(くさび)形文字が書かれた、土でできた板を持っていなければならず、「紙の手紙」は異様に見える(これは古代エルサレムの情景なのである)。しかし、17世紀の画家にとって、このモティーフは古代についての信用できる資料の欠如を自身の想像力によって一時的に解消する必要があったということをわかりやすく説明している。」