たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2014年9月を振り返る

2024年06月25日 17時08分44秒 | 祈り

「2014年9月20日(土)

昨日は自死遺族の会で自分のことを語ったぶり返しがけっこうきている。

母の病気、妹の死-受け入れられなくて自分をどうしたらいいのかわからなくて本当に苦しかった。母をみていてこの人から生まれた自分を好きになることができなかった。きつかったなあ、自分を責め続けてー。

子供が亡くなった第一発見者で「この子は私に最初にみつけてほしかったんだ」というお母さんの声をきかせていただいた。

私はMちゃんの現場をみていないが、姉としてはそれが背負いきれる限度だったんだと今さらながら気づいた。

母が発見した時にはヒモが切れて下に落ちていた。安達のおじさんに電話しておじさんとおばさんが駆けつけてくれてA生病院と警察がきてとそこまでは聞いている。

その光景をたびたび想像してしまうことがあるが、背すじが凍りつくのでそれ以上はやめようと思う。私が受け入れられるのはここまでだ。これ以上のことをきいてしまっていたらもっともっと私が大変で気も狂わんばかりになっていただろう。姉として受け入れていくには十分すぎる。背負い切れるのはここまでだったということだ。

母は病気だったし、父は話をきいてくれるような人ではなかったので、具体的な話が成立する関係ではなかった。だから父も母も私の苦しみは知らない。

終わってからS本さんがおっしゃられた。HPをリニューアルするので是非原稿を書いてほしい。親を亡くした人、子供を亡くした人の声はたくさんあるけれど兄弟姉妹で声を発信している人はほとんどいない。声を発信していてほしいとー。親は知らず知らずに子供を傷つけることを言っている。ここらへんに私のやるべきことがありそうだ。

私のやりたいことは書くことー。それでどうやってごはんを食べていくんだ。早くできるだけたくさん示談金ほしい。」

 

この後実際に手記を書き一定期間HPに掲載されていましたが、4年前郷里に馴染めず気がつけば人生の半分以上を暮らした地域に舞い戻ってきたのを機に削除していただきました。結局なにもできませんでした。

自分がわかっていなかっただけで生まれる前からの右足股関節脱臼に始まり、変形性膝関節症末期で終わろうとしている人生。股関節の痛みも足先の痛みも痺れもたしかに直接命に別条ありませんが歩くことができなくなったらどうなるのでしょう。ADLってやつが低下したらどうなるのでしょう。それはいつやってくるのでしょう。自力で歩けところまで生きるしかないと言い聞かせつつ、老いてきた見苦しい面をさらしつつ今のところまだなんとか生き永らえています。

 

 


椎名桔平が『未来少年コナン』のおじい役で現代に警鐘を鳴らす

2024年06月25日 14時32分28秒 | ミュージカル・舞台・映画

舞台『未来少年コナン』-2024年6月1日

 

 

椎名桔平が『未来少年コナン』のおじい役で現代に警鐘を鳴らす - インタビュー&レポート | ぴあ関西版WEB (pia.co.jp)

「「えっ、僕がおじい役? ついにきたかと思いましたよ(笑)」と話すのは椎名桔平。引き締まった体躯と精悍な顔つき。とても今年還暦とは思えない彼が、一人二役で出演する舞台『未来少年コナン』がいよいよ大阪で幕を開ける。

「名前の後にカッコして60歳と書かないでくださいよ(笑)、まだ59歳なんだから。若者みたいなこと言ってちゃいけないのかなと思いますが、肉体的にも精神的にもあまり変わっていないというのが現状」と言う。今回、宮崎駿が1978年に初監督を務めた名作アニメを、鬼才インバル・ピントによる演出・振付・美術で舞台化。椎名演じるおじいと二人きりで孤島で暮らす少年コナン(加藤清史郎)のもとに、謎の少女ラナ(影山優佳)が流れ着き、コナンの運命が動き出す冒険活劇だ。

オファーを受け、舞台でおじいさん役はやったことがないから、楽しいかもと思ったと話す。演じるのは、コナンの育ての親・おじいと、ラナの祖父・ラオ博士の二役だ。「おじいは人類の希望であるコナンを育て、一方、ラオ博士は、地球を崩壊させた原因でもあるエネルギーを開発した人。最近の映画『オッペンハイマー』にもあるように、最新の強力なエネルギーを悪用するのはいつの時代でもあって、何かが発達すれば何かが失われていく。その均衡が崩れてしまったというところからこの物語が始まるんです」。

おじいとラオ博士が伝えたいことは現代人への警鐘でもあり、メッセージでもあると力を込める。「もう近所の頑固なじいちゃんが子どもたちにあれこれ言わなくなってきた時代じゃないですか。タイトルに騙されたらダメだと思うんですよ。この作品は、大人の皆さんにこそ見てもらいたい。非常に意味の深い舞台になると思いますね」。

大阪で舞台に立つのは2018年の『レインマン』以来、6年振り。その『レインマン』では、映画版でダスティン・ホフマンが演じて世界的に知られたサヴァン症候群の役を、ホフマンに負けない名演技で観客を唸らせた。今回、役への向き合い方は違うのだろうか。「あの役は橋爪功さんもされて、お二人とも小柄なので、僕がやるとイメージが違う。施設を回ってサヴァン症候群の背の高い方を観察し、これは新しい人物像が作れると。だからケースバイケースですね。今回はインバルさんの視点や文化の違いからくる考え方が非常に刺激的で新鮮なんです。そこにいざなわれてディスカッションしながら役を深めたいと思います」。

今は映像の仕事が中心だが「舞台に立つことを忘れちゃいけない」と言う。芸歴38年。続けてこられたのは、「ほかに何にもできないし(笑)。演じることの喜びは色あせないんですよね」と少し照れくさそうに笑った。」

 


1998年宙組『エクスカリバー』『シトラスの風』プログラムより-宙組の皆さんへ

2024年06月25日 00時22分30秒 | 宝塚

「宙組の皆さんへ 阪田寛夫(作家)

 宙組はいいですね。

 たまに戸外に出て、それがいい天気の日だと、立ち止まって雲の行方を追いながら「ソラ組!」、空の青みに吸い込まれながら「チュー組!」と叫びたくなります。

 そんなことを思うのは私だけかも知れませんが、この組の名前が決まった頃から、私は第三回ヨーロッパ公演に出たチームのことを思い合わせるようになりました。ご承知の通りその公演は、昭和50年9月から翌年1月まで4カ月の永きにわたりました。広いロシアで3カ月、パリで1カ月、全部で110回の公演を空路や陸路で移動しながら続けたそうです。

 きびしい条件の中で、バレエやレビューの本場での公演に成功をおさめた専科二名、各組選抜四十数名の方々が、公演期間中か、帰国後にか、ともかくご自分たちのチームの愛称を「空組」と命名されたと聞いています。

 その名には遠く宝塚を離れた場所、やがて冬と共に白一色となる空間を、運命を一つにして溶け合わせて移動する、という感覚も含まれていたかも知れません。そして宙組の皆さんも、最初は各組から選ばれた四十数名による、香港公演の稽古から歩みが始まりました。それから組の名が決まり、香港へ出かけて公演を見事に成功させました。

 私は香港へ行けませんので、テレビでしっかり観せて頂きました。ロンドン公演にも出演した生徒さんが、あちらのお客さんは、髪の毛で現地の人か日本人かの区別がついたが、こんどは皆さんひとしく黒い髪で、地元の人の反応がつかみにくいのではないかとおっしゃっていました。海外公演が7回目の専科の松本悠里さんのように、

「香港は宝塚と同様、西洋と東洋が入り交っていますから、あちらの方が宝塚をどのようにご覧になるのかも興味深いです」(宝塚GRAPH)

 という積極的なご意見も頼もしく、結果としては大成功だったことは、中国人、英国人たちへの観劇後のインタビューでよくわかりました。(略)

 ヨーロッパ公演の「空組」は、バレエやレビューの故郷に、いわば恩返しをなさったのですが、香港へ行った宙組は、文字や音楽など、古代からもっと濃く深く日本へ文明をもたらした中国へのご恩返し、という感銘も持ちました。

 桜のボレロ、タップには、映像で1、2分間見ただけで血が躍りました。映像といえば、ほんの十秒ほどさしはさまれた、全員レオタード姿のラインダンスの足捌きを見たとき、このスタートダッシュに目をみはりました。お正月の口上も、映像ですから至近距離で拝見することができました。

「栄えある伝統に無限に広がる夢をのせて、先達四組に負けぬ宙組を目指す所存でございます」

 という姿月あさとさんのきっぱりとした言葉を聞いて、私は自分の仕事や日常について思わず深く反省しました。

 大正3(1914)年に開幕した宝塚の歴史をかえりみますと、5つの組が生まれた時は、それぞれ大きな、大切な節目に当たっていることが分かります。

 花組、月組が同時に生まれた大正10年7月の夏季公演から、それまで年4回、延べ170日足らずの公演だったのが、大体毎月の公演になりました。観客数がふえたからです。

 雪組の誕生は大正13年夏で、この時4千人が収容できるといわれた宝塚大劇場が完成しました。日本の自然美の象徴「雪月花」が、これで揃いました。

 星組は昭和8(1933)年7月の宝塚大劇場公演から出発しました。ご承知の通り翌年1月に東京宝塚劇場が竣工。定期的な東京公演の開始に、「星」の持つモダンな匂いが似合いました。

 そして宙組が飛び立ちました。

 私の親しい宝塚ファンの方々も、香港の流感のことをずいぶん心配しておられましたが、みんなの祈りが叶えられて、風邪もよせつけぬ大成功おめでとうございました。

 突然ですが、ここでまど・みとお氏の「どうしていつも」という詩を、宙組の名にちなんで引用させて頂こうと思います。まどさんは宇宙をふるさとと考え、地球という自然をこの上なく大切に思い、花や雪の詩もたくさん書いておられる詩人であります。

 

 太陽

 月

 星

 

 そして

 雨

 風

 虹

 やまびこ

 

 ああ 一ばん 古いものばかりが

 どうして いつも こんなに

 一ばん あたらしいのだろう

 

 東京通年公演再開の年、一ばん新しい宙組の皆さまの、これからのご活躍を期待しております。