(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年10月より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
自分を見つめるもう一人の自分の芽生え
最初に紹介したいのは宮城県の都城という今人口が過疎化しつつある小さな町でのことです。知り合いのお坊さんが幼稚園を経営していまして、園長先生を奥様がやってらして、残念ながら3年前に人口の過疎化に伴い閉園してしまったんですが、その前に行った時に伺った、とても感銘深い話なんです。それは5歳の子でも、自分を見つめるもう一つの目を持つことができるということです。それはふりやななさんの絵が特に特徴的な「めっきらもっきらどおんどん」という福音館のこどものともの一冊で、私も大好きな絵本です。子どもはこういうファンタジーの世界が大好きですぐに入り込んでいきます。なぜこの絵本を取り上げたかというと、その幼稚園の裏の森に梅林があって祠がある、田舎のお寺の裏手によくある風景があり、それが「めっきらもっきらどおんどん」の最初の絵と重なり合うんですね。その幼稚園で4月新学期が始まりまして、まずは子どもたちに自然に親しみ、花の名前を教えてあげようと先生が幼稚園の裏の梅林に連れて行きました。まさにこの風景の通りなんです。祠があってその前でじーっと見ていて1人でブツブツ言っている。「ちんぷく まんぷく あっぺらこの きんぴらこ じょんから ぴこたこ めっきらもっきらどおんどん」なんてね。こういう意味のないオノマトペは子どもが大好きですよね。すぐ覚えます。そして「ほんどだ、ほんとだ:なにが本当かというと自分の幼稚園の裏に祠があって大きな木がある。「そっくりだ。ほんとだ」って。そこで先生は『「めっきらもっきらどおんどん」の絵本がみんな好きなんだ。きっとみんなお母さんに読んでもらったり、あるいは前の年に先生に読んでもらったりしているんだな。これを1つ教材にしよう』とひらめきが走ったんです。次の週、今度は先生が「めっきらもっきらどおんどん」をバックに入れて、子どもたちを連れてお花見に行っていろんな花を見た後、そーっとこの絵本を出した。そしたら男の子たちが、「あー」って。「めっきらもっきらどおんどん」だとすぐわかった。女の子たちよりも男の子の方がこの絵本好きみたいですね。それで読んだわけです。知らない人のために簡単に紹介しますと、主人公のかんた君が木の根っこの穴で声が聞こえるので覗いたら、スーッと穴の向こう側に引っ張り込まれて、どーんと落ちる。すると向こうから丸太のような飛行船に乗っておかしな3人組がやってくるんです。それは「しっかかもっか」ってマントをひるがえして、「ももんがー」って言うと空を飛べる。かんたんに飛ぶことを教わる。あるいは、おたからまんちんっていう千人みたいなおじいさんがガラス玉を持ってきて「覗いてごらん」と言うと、海底の美しい深海魚などが泳いでいるのが見える。やがて眠くなって昼寝をして目が覚めると急に寂しくなって、「お母さーん」と言うとハッと気がつくとさっきの木の根元に戻ったという話です。これを梅林で読んだ先生は子どもたちがみんな食いつくように目を皿のようにしてたどってくれるので、うーん、」これはいけると思ったんです。その次の週、今度はこんなことをやりました。階段1段のちょっとした低い足台をあん馬のようにして飛び越えたり、飛び降りたりする。5歳は4月生まれの子は大きく3月生まれの子は小さいので、できる子とできない子がいるんです。先生はできない女の子が3人くらいいたので勇気をつけてあげよう、遊びにすると絶対飛び降りられると思い、「さあ今日はめっきらもっきらどおんどんのしっかかもっかかももんがごっこをやろう」と言ったらワーッと歓声が上がって、みんなにハンカチ出して首に巻いて、「マントだよ。順番に階段の1段目から「モモンガー」と言って飛び降りるわけです。そうしたら、今まで臆病でできなかった早生まれの3人が気が付いたら一緒になって飛び降りているんです。ハンカチを首に巻いて、「モモンガー」って言ってぴょーんぴょーんって飛び降りて、何回も何回もやっているうちに、もう子どもたちも自信がついて、中には2段目からとびおりるやつも出てくる。まあこんな遊びをしたんですね。
次に先生は深慮遠謀してというのかな、おたからまんちんのビー玉も透明なビー玉も男の子女の子みんなに1つずつ配りました。「今日はおたからまんちんごっこをしよう」と言ってビー玉を覗いて、「なにが見えるかな」と話しかける。子どもたちはビー玉を見ているけど最初のうちはただキラキラしているだけでよく見えない。先生は1人ずつ観察していますから個性のあるいろんな問題を抱えている子に特に狙い撃ちするようにして話しかける。その男の子はいつもおねしょをして、お母さんに𠮟られて遅刻するんです。その子に「何が見える」っていうと首をかしげる。「おうちかな?おかあさんかな」と誘い水をかけると目がキラキラしてきて、しばらくして「あっおうちだ。お母さんお布団干している」実体験、実生活がそのまま出てくるようなこと言うわけです。今朝もおねしょしちゃった。それでお母さんがきっと干しているに違いないと頭のどこかにはある。それがビー玉の中で映像として出てきた。おもしろいのはその次につぶやいたことです。「今度から早起きしよう。早く起きてご飯たべてこよう」なんて1人でぶつぶついっている。それは今まで叱られたけれど、自分を見つめ直すこてゃなく、同じことの繰り返しだったのですが、ビー玉を通っして先生の誘い水もあって、自分がやったこと、あるいはそこにいる自分を天井から見えるように、空から見るようにして客観視している。客観視して、『あっおねしょしたはずかしいな。こんなことしないようにしなきゃいけないな』もちろん急におねしょがとまるわけありませんが。そしてそれを反省して『早く起きなきゃ』という自分自身の見つめ直しと反省が生まれています。同じことがもう1人の女の子に起こった。その子は4月生まれで体が大きく小さい子をいつもいじめるんです。いじめの対象になったのは、りさちゃんで大きな女の子はその日の朝も授業が始まる前に、りさちゃんを泣かせちゃった。先生はそのことをわかっているから、その子のところに行って、「何が見えているの?」やっぱりさっきの男の子と同じでなかなか見えんですよね。そこで誘い水をかける「お友達?それとも梅林?」いろいろ身近なところを言うとお友達っていう言葉にひっかかったんでしょう。じーっと目がすわるようにして見ていた女の子が次第に目に涙を浮かべて、「あーっ。りさちゃんがいる。りさちゃん泣いてる。かわいそう」と言ったんです。しばらくしたらビー玉を握ってりさちゃんのところに行って、「さっきはごめんね。ごめんね」って背中をなでて謝っている。これも自分を客観視する目が子どもの心の中に生れた、あるいはそういう経験をしたということではないかなと私は思います。その幼稚園の園長先生を通じて幼稚園の授業の中で起こったエピソードをいろいろと話してもらってとても感銘受けました。1冊の絵本の読みきかせ、そしてその子どもたちが食いついてきた絵本を1つの素材にして実体験的に「ごっこ」をやる。ももんがごっこ、あるいはおたからまんちんごっこ。そうすると子どもたちがその世界にイマジネーション豊かに入ってきて、気がつくと自分を見つめるもう1つの目が生まれてくる。これは大変なことです。5歳で自分を見るもう1つの目を経験するのは人生の中でとても大きな意味を持つと思うんです。そういうことをあまり繰りかえし過ぎてもいけないのでしょうが、経験することは今後その子がケンカをしたとか、悲しい出来事があったとか、そういう時に少しでも乗り越える目あるいは気付きを身に付ける第1歩、小さな窓を開ける第1歩かなと。
今日専門用語で「レジリエンス:という言葉が重視されるようになってきました。様々な困難な事態に直面したり、失敗をしたりしたときに、どう乗り越えて自分を整え直して生きていくのか。そういう力をとても必要とする時代、またそのレジリエンスのできない人、できる人、様々なタイプがあります。そのおおもとをさぐるとやはり乳幼児期の育てらあれ方や生活体験が関わっているのではないでしょうか。そういうことがこの絵本を介しての読み聞かせの中でも子どもたちがレジリエンスの能力を身につける小さな経験になるに違いないと思います。」
