たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

高い空と遠く流れる雲_今日も徒然

2013年11月02日 22時34分06秒 | 祈り
休日に豪雨ではなくしっとりと雨が降るとよく眠れます。
今週は月末月初で忙しく、昨日は連休前で特におそくまでがんばってしまったこともあって、疲れていたのか久しぶりに休日に朝寝坊できました。ずっと気持ちが落ち着かないせいか、休日もやっと7時間眠れるかどうかだったので、ほっとしています。


なぜ日本でハロウィーンなのかよくわかりませんが、ハロウィーンが終われば今度はあちらもこちらもクリスマス。なんだか違和感あるなあ・・・。


中井久夫さんの著書の中にとても救われる記述があります。


「最近の研究によると、その人の人生がどうであろうと、心には、楽しい記憶が六割、悲しい記憶が一割、どちらでもない記憶が三割という比率に整理してゆくらしい。記憶がこの比率に整理されていることが心の健康の条件であるとみてもよいだろう。この水面下の心の活動を援助するのが、こころのケアのだいたいの方向である。だから、楽しい記憶を強化することも必要だが、悲しい記憶を閉じ込めるのではなく、信頼できる人に語って浄化することも必要である。「悲しい記憶を成仏させること」といえば分かりやすいだろうか。

 PTSD(心的外傷後ストレス症候群、post-traumatic stress disorder)は震災特有ではない。あらゆる天災、人災によって起こるものである。人災のほうが重症になりやすいとされている。天災には主に悲しみと嘆きだけがあるが、人災には、恨み、怒り、鬱憤、人間不信が加わるからであろうか。今回の震災で人災が続発しなかったことが不幸中の幸いであったというのはそういう意味である。」

中井久夫著『復興の道なかばで_阪神淡路大震災一年の記録』(83-84頁、みすず書房、2011年5月10日発行)


「PTSDは、精神医学の新奇な一症候群というだけではない。統合失調症にせよ、躁鬱病にせよ、神経症にせよ、これらは、精神の内科的な病いである。これに対して、PTSDは、外傷後ストレス障害という名のとおり、心に負った傷という精神の外科的な障害である。今回の震災が日本の精神医学にもたらしたものといえば、心の外科的障害への開眼であろう。

 精神障害が誰にでも起こりうるという、当たり前の事実は、一般公衆にも、精神科医にも、この震災によってはじめてはらわたにしみて認識されたのではないか。全国から集まった精神科医たちも、現場にあって多くのことを学んだ。主に遺伝素因によって精神障害が起こると考えていた研究者が、状況によって起こることを目の当たりにして素朴な驚きを語った。

 私は、かねがね統合失調症の多くは、ほんとうは治りやすいのであって、ただ、治療を阻害する要因があまりにも多いために治りにくいのだと考えるほうが、最初から治りにくい疾患だと考えるよりも生産的だと主張してきた。収まっていた統合失調症が震災によって再発した時、精神科医たちを驚かせるような早い治りであった。いわば「番外」であるためであろうか。ひるがえって考えれば、通常の発病というものが、多くの段階をへて次第に追い詰められ、煮詰まって起こるものであることを実感した。」

中井久夫著『復興の道なかばで_阪神淡路大震災一年の記録』(87-88頁、みすず書房、2011年5月10日発行)



長くなっていますが、私自身の記憶・記録の一頁をまた整理したいと思います。

「2005年4月17日(日)

(精神保健福祉士養成講座の)ガイダンスに行ってきた。休日に池袋まで行く。それだけでもけっこうきつい。テキストを買って荷物いっぱいで人混みの中。それだけでも十分に疲れた。
心身共に疲れ果て、神経がささくれ立っていると過敏になり、例えば電車の中での人の笑い声、カフェでのカン高い人の話し声さえ疲れる。自分が笑われてしまっているような気がしてしまう。本当は絶対にそんなことないとわかっていても。
分厚いテキスト、一か月に一度の課題提出。
変なストレスにまみれながら、プレッシャーに耐えながら、本当にやっていけるだろうか。精神分裂病(今は統合失調症)といったことを学ぼうというのだから、頭は重い。精神的にもきつい。だが、自分で選んだ道だ。自分の力を信じていくしかない。
女らしくない。女としての幸せを忘れている。子供を産まなくていいの?当の女性たちがいう。こう言われるときつい。一人の人として自分らしく生きようとする女性に、今の日本社会は本当に冷たい。それでも私は自分自身で証明したい。何でもない人だって自分の力で生きていけることを・・・。
生きることがちっとも楽にならないが、20年前の私と今の私、人間的なキャリアは確実にあがっているのだ。
自分にのみ思いが向きすぎているのかもしれないが、人はみんな一人で生まれて一人で死んでいく。人が自分を必要としなくても自分につっかえ棒があって、ちゃんと生きていける人でありたい。
緑萌える美しい季節になった。
一年前のカナダ紀行を思い出すなあ。
一人でも心地よく普通にいられる街にいつか住みたい。
勝ち犬だの負け犬だのうるさいんだよ。
たくさんのバカヤロ-!を胸に抱きながら、明日からまたきつい毎日がスタートする。
慶応義塾大学を通信教育で卒業したことは私の誇りだ。
胸を張っていきよろ、わたし。」


自分の書いたことに自分自身で驚いたりすることもありながら振り返っています。母はどんな病気なのか、理解したいと必死でした。母がいなくなった今、そのことが私の人生にとってどんな意味を持っているのか、浄化するまでにはまだまだ時間がかかりそうです。


山崎豊子さんが旅立たれました。
書店に行ったら平積みで数々の大作が並べられていました。
『沈まぬ太陽』を読みたいと思いますが、積読がたくさんあるのでもう少し整理がつくまで我慢します。
魂の込められた言葉たちとの出会い、大切にしたいと思います。

ここまでおつき合いくださり、ありがとうございました。


写真は春のプリンス・エドワード島の青空です。遠く遠く雲がぐんぐん流れていきます。


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