たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2008年『フェルメール展』より-「絵画芸術」(4)

2021年09月04日 00時27分09秒 | 美術館めぐり
2008年『フェルメール展』より-「絵画芸術」(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/5fa725d1bb37bf67386419bbc06d6e04

ヨハネス・フェルメール《絵画芸術》
1666-1668年頃 
ウィーン、美術館史美術館、油彩、カンヴァス
120× 100㎝

(公式カタログより)

「パトロンや好事家や良家の芸術愛好家が画家のアトリエを訪れるというのは、この頃には、長い伝統となっていた。それはルーベンスやヴァン・ダイクやペラスケスのアトリエを訪れる王侯貴族のことを思い起こせば足りるであろう。地元オランダでは、コンスタンテイン・ハイヘンスが若きレンブラントやリーフェンスを訪問したし、トスカーナのコジモ・デ・メディチ3世が年老いたレンブラントをはじめ、様々なオランダ画家のアトリエを訪れた。若き紳士ピーテル・テーディング・ファン・ベルクハウトは、1669年に何名かの画家のアトリエをへめぐり、「フェルメールという有名な画家」を訪ねるが、その際、おそらく彼が見たという絵画のうちの1点が《絵画芸術》であった。スライテルは、この作品は芸術家が実物見本あるいはおのれの芸術の重要なサンプルとして手元においていた作品だと、主張しているが、説得力のある見解である。彼は傍証として、ミヒール・ファン・ムスヘルの1705年の目録に同じ主題、つまり「絵画芸術を描写した」絵画が含まれていたという事実を引用してもいる。(略)フェルメールによる本作品は、デルフトの好事家向けの単なる広告以上のもの、むしろ画家の腕の高さを眼に見えるようにすべく構想されたもの、つまり、この水準は満たす、という基準作品であり、フェルメールのまさに魂の見せ所となる作品だった。ひるがえって、画家の注意は、人物全体をまだかたどっていないようなのに、月桂樹の冠の細部に向けられている。本作品には名声と栄誉が授けられているのだから、何の不思議もなかろう。

 画家のアトリエを描いた作品には、鑑賞者に背を向ける画家を描くという伝統がある。鑑賞者は、あたかも製作中の絵画を観察する訪問者であるかのようだ。(略)

 本作品の画中の画家は、画家の顔が見えないという事実にもかかわらず、しばしばフェルメールであるとされてきた。理由の一つは、切り込みの入った彼の上着が《取り持ち女》の左側の人物が着用しているものと同じ、あるいは似通っているからである。この人物が自画像であるという推測は、彼が間の抜けた笑いを実にあからさまに鑑賞者に向けているという事実、並びに画家の自画像に昔から関連づけられてきた姿勢をとっているという事実に支えられている。多くの美術史家は、本作品に描かれた画家が時代錯誤的にも16世紀ブルゴーニュ地方の衣装を着用していると誤って推測してきた。かくいう私もその一人であった。画家が着用しているベレー帽は、実際に16世紀のものだが、次の世紀にも(レンブラントの多くの自画像を参照されたい)、さらには今日に至るまで、芸術家のトレードマークとなっている。より重要なのは、マリーケ・デ・ウィンケルが明らかにしたように、両袖と背中にスリットの入った縞状のこの典型的な上着が時代遅れのスタイルではなく、実際には、1620年代と30年代のオランダにおいて見受けられたスタイルのリヴァイヴァル版をさらに洗練させたものであったということだ。」

                                      →続く








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