フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-苦痛
「余裕はまだあった。作業現場で昼食のスープが配られるとき、カボーはわたしの番になると、レードルをいくらか深く突っ込んで、樽の底のほうから豆を数粒すくいあげてくれた。それはなんの甲斐もなく、わたしは打ちすえられた。それでも、わたしの延命にまたひとつ、好都合なことが起こった。翌日、カボーはわたしをさりげなくほかの労働部隊に押しこんでくれたのだ。
この、はたから見ればどうということもないエピソードが示すのは、かなり感情が鈍磨した者でもときには憤怒の発作に見舞われる、それも、暴力やその肉体的苦痛ではなく、それにともなう愚弄が引き金になる、ということだ。現場監督がなにも知らないくせにわたしの人生を決めつけるのをただ聞いているしかなかったとき、わたしはかっと頭に血がのぼった。「こんな男、下劣で粗暴で、うちの診療所の看護婦だったら、待合室から追い出しただろう」(と考えて、まわりの仲間の手前、子供っぽくわれとわが身をなぐさめたことを白状しなければならない)
わたしたちに同情し、わたしたちの境遇をせめて作業現場にいるあいだだけでもましなものにしようと、できるかぎりのことをする監督もいた。そんな彼らですらくどくどと、ふつうの労働者はわたしたちのノルマよりも数倍の仕事をもっと短時間でこなす、と言った。けれども、ふつうの労働者はわたしたちのように、日に三百グラムのパン(というのは表向きで、実際はもっと少ない)と一リットルの水のようなスープで暮してはいないし、わたしたちのように、収容所に連れてこられた家族がすぐさまガス室送りになったのかどうかまったくわからないという精神的重圧にうちひしがれてもいないし、毎日毎時、死に脅かされてもいない、などと抗弁すると、この監督たちは、それもそうだと言ってくれた。わたしは気のいい現場監督に向かって、こんなことを言ったこともある。
「現場監督殿、わたしがあなたから土木作業を習得したように、あなたがわたしのもとで数週間のうちに脳穿刺(のうせんし)をものにしたら、心から尊敬しますよ」
すると、現場監督はくっくっと笑った。
「第二段階の主な徴候である感情の消滅は、精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムだった。現実はすっかり遮断された。すべての努力、そしてそれにともなうすべての感情生活は、たったひとつの課題に集中した。つまり、ただひたすら生命を、自分の生命を、そして仲間の生命を維持することに。それで、夕方、作業現場から収容所にもどってきた仲間たちが、あの深々としたため息とともにこう言うのを、耳にたこができるほど聞くことにもなったのだ。
「やれやれ、また一日が終ったか」」
(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、44-46頁より)