東日本大震災のあと購入し、途中までになっていたのをようやく最後まで読み通しました。
2010年8月に出版された書籍。著者が浜岡原発で起こり得ると懸念していた原発震災が、2011年3月11日、福島第一原発で現実に起こりました。まだ6月だというのに猛暑となり、電力逼迫、節電と煽られて世論を原発再稼働へと誘導しているようにも思えてしまうのはわたしだけでしょうか。今の問題は、原発再稼働よりも電力自由化政策の失敗にあるところを岸田検討使はなにも解決しようとしていないというご意見をみかけます。もしまた原発震災が起こった時、決断力の全くない岸田検討使が制御できるとは到底思えません。放射能という目にはみえないもの、電力会社、安全神話、権威ある大学の名誉教授の肩書きをもった御用学者、原子力ムラ、コロナウィルスという目にはみえないもの、医療ムラ、製薬会社、ワク〇〇は安全だとする権威ある大学の教授の肩書をもった御用学者。本質は同じなのではないでしょうか。大本営の発表に間違いはないは危ういものだと、だんだん危険だとわかってきているのに続いているワクワクキャンペーンの促進でわかってきているはずです。原発の稼働による使用済み核燃料はどこへいくのか、内容が古くなっているところもあるのかもしれませんが、原発再稼働の是非を考える一助として一度は読むべきと思います。
序章より、
「1998年11月9日に東西ベルリンを隔てていた壁が崩壊するまで、アメリカとソ連が大陸間弾道ミサイルに核兵器を何万発も搭載してにらみ合うという、東西冷戦の時代が半世紀近く続いた。しかも互いに真剣な「敵意と憎悪」を抱いて、いつ敵陣めがけてその発射ボタンを押すか、と緊迫した恐怖時代を過ごしたのである。そのため、007シリーズのように魅惑的なアクション映画が生まれたが、あの物語は決して荒唐無稽だとはバカにできない一面を持っていた。歴史家は簡単に「ベルリンの壁崩壊」と呼ぶが、あれは、人類が絶望を壊した第一歩として、実に驚くべき歴史的な出来事だったのである。その後も人類は、核戦争ゲームにうち興じて、まったく進歩していないが・・・。
この終末核戦争と一体になって語られたのが、本書に述べる原子力発電所の大事故であった。こちらは地球の終わりではなく、一つの国家や一地方を壊滅させ、人間が住めなくなる大惨事の話であった。なぜ住めなくなるかと言えば、事故によって外部に放出された大量の放射能汚染によって、その一帯で農業ができなくなり、水と食べものを失うからである。勿論、その土地には人間が住むことができなくなる。ここ十数年ほど、原発の大事故の確率はどんどん高まっているが、逆に、大事故がどれほどおそろしい惨事であるかについて解説する報道がパッタリと途絶えて、ほとんどの人が知らないため、原発事故を化学工場の事故と同程度に考える人が増えてきたことは、あたかも羅針盤なしで航海に出ているような状態で、気が気でない。」