たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_大人の文学?子どもの文学?

2019年04月22日 22時30分37秒 | 本あれこれ
「ピュアなパッション か、現実的な着地か。このバランスは難しいところです。モンゴメリーは、シェークスピアのような文豪と自分は違う、ということを言っています。彼女は『 赤毛のアン』の中でアンの「純金」のような青春時代を描きました。美しく純真で、眩いばかりの少女時代、一瞬で過ぎ去ってしまう子ども時代を。

 しかしシェークスピアは、その先を描きます。モンゴメリーが描いた青春時代、その後のことを彼は描いている。いわゆる「大人」の世界です。だから彼の「舞台」には、いろいろな人物が行きかい、さまざまなことが起こる。彼は社会を描き、世界を描く。それがいわゆる文豪が描く「大人の文学」なのです。


 モンゴ メリー とシェークスピアの違いはそこにあります。彼女が描くのはそれ以前の世界-大人の世界に着地する前の-青春時代を描いた。だからこそ、彼女はその後の文学的展開に苦しんだのです。

 自伝を読んでいても、彼女の作家として登りつめたいという気持ちは、非常にピュアで強いものです。でもその上昇志向だけでは、やはり傑作は生まれない。モンゴメリーが描いた青春時代にプラスして、デカダンスを書かなくてはならないからです。人生における美しい側面も、あるいは目を向けたくなるような醜い側面も、全てを含めたこの世界というものを描ききらないと、やはり「大人の文学」にはならないのです。

 そのため、モンゴメリーがそういう本格的な文学を書かなかった、あるいは書けなかった理由と、『赤毛のアン』が魅力的な小説として存在している理由というのは、おそらく同じものです。ある人はこの小説をいとおしいと思い、ある人は一種の恥ずかしさを感じてしまう。その源はたぶん一緒で、アンが持つまっすぐさやひたむきさが、あまりにも純真でまぶしすぎることが原因だと思います。それがあまりにも美しく輝いているものだから、いろいろ汚れてしまったこの世の中にあっては、『赤毛のアン』のような小説を好きだと正面きって断言するのは、どこか恥ずかしいことのように感じてしまう。誰でも、高校時代などの青春期には、『赤毛のアン』のようなまぶしい小説を読んでいるより、太宰治の『人間失格』や『斜陽』などを読んでいるのが格好いいと思うものです。だけど、太宰治は決して幸福になる方法を書いているわけではなくて、むしろ不幸になる方法を書いている。もちろん、その不幸を不幸として味わうという、文学の伝統もあるわけだから、一概に良い悪いと論じられる問題ではありません。ただ、太宰では幸せにはなれない 。彼の文学は、極論すれば不幸になる方法だからです。しかし太宰に限らず、大抵の 立派な「大人」の文学とは、そのような不幸の方法論であることが多い。それこそ、トルストイの言葉、「幸せの形は皆似ているが、不幸の形は人それぞれ」ではありませんが、えてして文学とは、さまざまな不幸の形を、微に入り細を穿(うが)ち描くものなのです。

『赤毛のアン』はその点が根本的に違うのです。仮にモンゴメリーがアンの純真さを失わせる。アンに、青春後に訪れるかもしれない人生の苦労を味わわせる。そういうときがもし仮に来たとしたら、そのときは、この小説がいわゆる「大人」の文学になるのかもしれません。しかしモンゴメリーはそうしなかっ た。アンはあくまで純粋で、ひたむきであらねばならなかった。永遠の青春時代というものに、留まり続ける必然的な理由があったのです。なぜならモンゴメリーは、この小説の中で幸福の形を描きたかったからです。幸福論。幸福であり続けるための方法。たしかに大人になるということは大変です。さまざまな苦難が待ち受けている。また、そのような苦楽ない混ぜになった生活の中でこそ味わえる、「底光りするような日常」というものもあり、それをしっかりと描いた文学もあるでしょう。けれども、アンの世界では、そこは描かないことになっている。幸福というのは、最後にそこに至るまでの道筋がとても大切なのであって、そこだけをモンゴメリーは抽出して描いたのです。

そしてまた、このようなことは結局は人間の分水嶺だと思います。人として 、あるいは生き方の方向性としての分水嶺。人生のどういう側面をより意識して生きていくかという、その選択の分かれ道。

  普通は子ども時代を過ぎて世の中に出ると、やさぐれていきます。ところが、アンは決してやさぐれません。ではモンゴメリーはどうだったかというと、たぶん彼女はやさぐれるときもあったでしょう。そもそも当時のカナダのプリンス・エドワード島という田舎で、しかも女性が作家を目指す。その選択をしただけで充分彼女にとっては「険しい道」だったわけだし、成功した後は、それはそれで沢山の苦労をしています。家族問題もあったし、また作家として、自分の作品の扱いについての訴訟問題も起こしています。一人の人間として、女性として、そして作家として、さまざまな葛藤が渦巻いていたはずです。

 だから、彼女が「大人」の社会の醜い面を一切見ないで、人生を通過できたかというと、決してそんなことはない。けれどもそれを『赤毛のアン』には描かなかった。

 彼女の中にある、真に澄んだ真水の部分。そこを描いた。そこにモンゴメリーの非凡さがあるのです。」

(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』講談社文庫、182-186頁より)

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社

作文、終わりました

2019年04月22日 12時24分52秒 | 日記
 朝からの作文の試験終わりました。家か駅までの道のりが、怖くって、怖くって、自転車と歩行者の為の幅なんてない所を、普通車だけでなくトラックも道すれすれでスピードだして走るので危なくってひやひやものでした。誰もが急いでいる朝、遠いし天候の悪い日もあるのを毎日続けるのは厳しいかなあと思いました。無事に試験会場に行けただけでもよし。場所はライブビューイング会場に行くよりも近い感覚でした。ライブビューイング会場は乗り換えに時間がかかることもあって遠いんですね。前職の自分が働いていたとの同様の部署や関連部署の前を通りながら試験会場へと向かいました。自分がやりたいのはこっちだあと内心うずうずしながら前を通りました。ふむふむこうなっているのかと。会場に入ってみると受験者はわたし以外はおじさんが三人でした。作文だけなので二人はラフな格好、一人はスーツ。この三人の中に経験者がいる出来レースなのか、年齢・資格・経験は問われないので、他に応募できるところのないおじさんたちが応募してきているのか、どうなんでしょう。作文は一応書けましたが、設問に対する答えのなっているのかどうかはわかりません。もう忘れます。忘れて明日から連休明けの、もうひとつの本命の方の作文に向けて勉強を再開します。前職を通して知っていることもありますがほんとに幅広過ぎてなにからなにまでだったので特定の分野は断片的。こういうことだったのかとわかったところもありますが、覚えることがいっぱい。間に合うかなあ、さびついてきている頭に入るかしら。

 昨日は足腰に疲れがたまっていたせいか朝9時頃の起床となってしまい、夜眠剤を一錠飲んで12時頃布団に入りましたが寝つくことができませんでした。1時過ぎにもう半錠飲んでなんとか就寝。頭の中では言いきかせていてもこんな試験なんていやだなあ、行きたくないなあっていう気持ちが強くなってきてしまい、緊張感の方が上回っていたようです。気分転換にと思い、夕方二か月ぶりに近郊の温泉施設へ。地図をみながらちょっと遠かったですが自転車で行きました。露店風呂が気持ちよかったので1時間半ほど、お湯に入り、出ては水をかけて休んでまた入るを繰り返していたのですが、おばあちゃんが多くてなんだかこわかったです。水風呂のへりに坐って休んでいたらあとからきたおばあちゃんたちの一人がわたしのすぐ後ろの水風呂に入るとすごい勢いで水桶をつかって水を投げつけるように床にかける行為を何度も何度も繰り返しました。わたしがなにかいけなかったのか、こわかったです。ふわふわの赤ちゃんを連れてきているお母さんがいて、おばあちゃんたちの「あれはだめよ、従業員がここは入店を断らないのか」と批判の声。たしかにそうなんですがなんかこわい雰囲気でした。鏡に映る自分の痩せ具合にびっくり。腕も胸元もがりがりの骨。体重を測ってみると服を着ているのに42キロなかったです。また40キロを切ってしまったのかも。2月に上京してスパで測った時はもう少しあったと思うので、慣れない郷里の生活と郷里近郊の事業体にぜひ力を貸してくださいとか言われながら結果的に振り回されることとなったのがわたしを痩せさせてしまいましたかね。

 星組『鎌足』、ライブビューイング開催決定。劇団さんにメールで要望を送った甲斐がありました。多くの星組ファン、紅さんファン、愛理さんファンが要望を送ったのかな。退団前の最後の外箱公演。チケットはどこにあるの?誰がとれているの?数分で終わった一般前売りの時チケットはあったの?どのみち日本青年館も梅田芸術劇場も遠いので遠征できない身には嬉しいです。ただ同日は本命の方の、作文試験を通過できたら面接試験日。午前中だよね、2時には終わるよね、でないと間に合わない。無駄になったとしても、間に合わなかったとしても、終わりの30分だけでもいいのでいつもの映画館で先行抽選に申し込みます。嬉しくて、元気でてきました。

 電車に乗って駅の中と街を歩けるのが嬉しいです。電車代をかけてせっかく都市に出てきたので、眠いですがこれからまた電車を乗り継いで社会見学に行こうと思います。

 今夜は眠剤なしで12時に休まないとです。

 急に暑くなったのでこれまた大変。自転車に乗っていると熱中症になる季節か。帽子を買わねば・・・。サングラスも必須になってきたかな。

 遺品整理していて湧き上がってきた想いを書きたいのですがそれはまたあらためます。
 


旅の思い出写真_ルーヴル美術館_「サモトラケのニケ」

2019年04月21日 22時15分41秒 | パリから世界遺産を訪ねて
 今さらこんな解像度の低い写真でなくても・・・からの旅の思い出整理、ルーヴル美術館で何をみたのかな。完全に自己満足の復習タイム。


『モナ・リザ』『ナポレオンの戴冠式』『民衆を導く自由の女神』『カナの婚宴』などの大作が並ぶドノン翼2階の階段ホールに展示されていました。ものすごい人だかりで、間近にいくことはできず、遠くからこうしてなんとか写真を撮ることができました。大きいので遠目からもみることができました。美しく躍動感にあふれていました。



『サモトラケのニケ』
紀元前190年頃、大理石、台座73㎝、高さ245㎝

「ドノン翼2階、ダリュの大階段を上がると姿を現す勝利の女神像。右斜め下方から鑑賞するのが美しいといわれている。

 1863年に在トルコのフランス副領事シャンポワゾーが、エーゲ海北東部のサモトラケ島では発見し、ルーヴルに送った古代ギリシアの勝利の女神像。台座である船の舳先(へさき)の石灰岩がロードス島産であることから、紀元前2世紀頃、アンティオコス3世率いるシリア軍を破ったロードス島民が、海戦の勝利を祈願、あるいは感謝して奉納した像ともいわれる。サモトラケ島は航海者の守護神とされたカベイロイ崇拝の中心地でもあった。失われた右腕を前方に伸ばし、勝利を告げるポーズをとっていたと思われる。


鑑賞のポイント

・ニケは戦いの勝利を祝福する有翼の女神。

・造られたのは紀元前190年頃。

・エーゲ海のサモトラケ島で1863年に発見された。

・100個以上の破片をつないで復元された。

・ヘレニズム彫刻特有の躍動感。」


(週刊『世界の美術館-ルーヴル美術館』、講談社発行より)



週刊世界の美術館 no.1―最新保存版 ルーヴル美術館 1
講談社
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久しぶりにかわいいイケメン

2019年04月21日 14時03分36秒 | ミュージカル・舞台・映画









 部屋の中で行方不明になっていた可愛い加藤清史郎君を、あれこれ整理してようやく発掘。平成21年、東急リゾートのフリーペーパーに登場した子ども店長の頃の清史郎君。とにかくひたすら可愛くて頭のいいしっかり者でした。こんなに小さかった清史郎君、現在は17歳の高校2年生、この4月に熊本で主演映画の撮影が行われていたとのこと。公開は来年だそうです。マリウスやれるぐらい大きくなっているかな。たしか山崎育三郎さんが初めてマリウスを演じたのは19歳。清史郎君がマリウスかアンジョルラスでレミゼの舞台に帰ってくる日はそんなに遠い先のことではないはずと思います。見届けたいのでその日がくるまでは死ねません。車と健康に気をつけてなんとかそれまで生き延びたいです。

 「死ぬこと以外は失敗ではない」、安蘭けいさんがこんな明言を宝塚に残したとか。明日は8時16分の電車に乗ることができればそれでいいの。


 一昨年の夏、仕事終わりに汗だくでかけつけた帝国劇場の客席で清史郎君と憲ちゃんに至近距離で会えたのは神さまからのささやかなご褒美。改装後、足を踏み入れる機会のない帝国劇場。去年の5月と6月は『モーツァルト』に通ったのがすごく遠いことのように思えます。重厚な劇場の空気と終演後の外の空気も含めての観劇なので、正直日比谷が懐かしくって懐かしくってたまりません。またいつか遠からず行きたい、行けるといいな。


(オフィシャルブログのプロフィール画像はステージナタリーからお借りしました。)




月組『夢現無双』『クルン・テープ』_宝塚大劇場千穐楽ライブビューイング(3)

2019年04月20日 19時31分59秒 | 宝塚
 思ったよりもじわりじわりと余韻がきている月組『夢現無双』『クルン・テープ』、宝塚大劇場千穐楽ライブビューイング。珠城りょうさんの人間力が最大限に発揮されたのはカーテンコールが4回ぐらい続いたかな、それでも客席の拍手が続く中で、最後緞帳の前にひとり登場した時だったのだと気づき、なんだか涙がでそうになっています。月組ジャンプで締めが終わったあともカーテンコールは続きました。あの時、おそらく白い装いの美弥るりかさんファンで埋まった客席がいちばん待ち望んだのは、美弥さんが緞帳の前に登場すること。ライブビューイングの映画館の中でさえそんな空気が流れていました。そんな中ひとり登場した珠城さんはあったかい満面の笑顔で、今ここに立っているのは自分一人ではない、幕の裏には組のみんながいるという内容の言葉を客席に必死で伝えはけていかれました。


 かつて、都心に暮らし始めて東京宝塚劇場に行くようになり、大浦みずきさん率いる花組を観劇したとき朝香じゅんさんが素敵だなあと思ったら次の公演にはいなくって、退団されたことを知りびっくりしました。かつて月組で天海祐希さんがトップスターになった時二番手は天海さんよりも学年が上の久世星佳さんでした。久世さんは天海さん退団後トップスターに。


 美弥さんが二番手として退団することが発表されてから、美弥さんの退団を惜しむ声と同時に珠城さんへの心ないことばをSNS等でなんどもみかけました。この千穐楽の翌朝も、スマホで一度宝塚と検索すると勝手に表示されてしまっていた宝塚ブログでもその類の記事を見かけてしまいました。そのブログには綺咲愛理さんへの心ない記事も書かれているようだったので、勝手に表示されないよう設定を変更しました。ライブビューイング終了後の映画館でお手洗いに並んでいた時、少し後ろの前期高齢者と思われるご婦人の二人連れもそんな類の会話をしていました。あの上級生、退団者、客席への心配りと涙を観たあとでも、それでもまだ矛先を珠城さんに向ける人がいるのかと哀しくなりました。こうした記事がご本人たちの目に全く入っていないということはないだろうし、声が全く届いていないということもはいでしょう、美弥さんに出てきてほしいという客席の空気を誰よりも感じたのは珠城さんに他ならないと思います。自分への風当たりが強いことをおそらく珠城さんはすごくわかっている。これほどトップスターが出づらいことはなかったでしょう。珠城さんと美弥さんがそろって緞帳の前に現れたら客席は納得できたのか、でも退団者は美弥さんお一人ではありませんでした。珠城さんがトップスターになってから、美弥さんと珠城さんがお互いに相手に負担をかけないようにと精一杯心配りをしあいながら、切磋琢磨しながら創り上げてきたであろう宝塚大劇場の舞台の締めくくり。毎日新聞の記事には、「りょうちゃんがトップスターの月組で退団できて幸せ」という美弥さんの声が載っていました。もし促されたとしても、誰よりも美弥さん自身が最後緞帳の前に出ることを心良しとしなかったと思います。美弥さん出てこないの?っていう空気を体中で受けとめながら、トップスターとして笑顔をみせて客席に手を振った珠城さんに武蔵の魂を生きた人間力をみた思いがする締めくくりでした。大画面から珠城さんの想いが手に取るように伝わってきました。ライブビューイングのいいところですね。


『夢現無双』の武蔵と小次郎の友情、『クルン・テープ』の蓮の花のデュエットダンスの溶け合うようなシンクロ、トップスターが二番手よりも学年が下という複雑な関係性の中で、お二人だからこそ創り上げることができた舞台があったのだと確認できる、素敵な二本立てでした。『雨に唄えば』のあったかい舞台もお二人だったからこそなのだと今さらながらに気づいた次第。学年差を感じさせない、同じような衣装を着ると体格差がツボのドンとコズモの強い信頼関係も唯一無二だったようです。


 トップスターとして泣くことを堪えていたであろうたまきち、フィナーレの大階段ですでに目が赤かったし、『二人の貴公子』でなにもわからなかった最下級生の自分に殺陣や群衆としての居方などなにからなにまでおしえてくれたという上級生お二人を前に「泣いちゃいますね」と誰よりも涙。美弥さんの前でも最初言葉が出てこず涙。素が出てきてしまうところが素敵な人だと思いました。美しい涙。たまきちの人間力と長く月組を支えてきた上級生の退団を惜しむ組長のあったかい空気に包まれた千穐楽でした。たまきち、すごく応援したくなりました。


 月城かなとさんの本位田又八、海乃美月さんの吉野大夫、暁千星さんの吉岡清十郎もそれぞれに素敵でした。このことはまた後日書ければと・・・。


 花組の東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング、第一希望は外れ、念のためにとエントリーした第二希望の、不便すぎてもう二度と行きたくないと思っていた田んぼの中の巨大ショッピングモールになってしまいました。家から車なら一時間かかりませんが電車とバスだと果てしなく遠い、駅から一時間に一本のバスで40分。広くって広くって映画館からバス停までは近いですが、レストラン街からバス停まですごく遠いのでバスを逃すのがこわくて終演後食事をする余裕はありません。ファミリーが車で行くための場所、わたしのように40分もバスに乗っている人は12月に二度行きましたがみかけませんでした。スペースはたくさんあるので映画館の中もすごく広いし、シートは広々ゆったり。男役のみりおさんもあと一作で見納め。こうして日比谷まで行けなくても楽しめるのだからありがたい時代になったのだと感謝せねばね。連休後の作文に向けて貴重な非日常の時間、おぼえることいっぱい。その前に明後日の作文。本命じゃないですがもしかしたらこっちの方が縁があるのかもしれないしわからないのでがんばって朝行くだけ、行くだけ。もし行けなくても、行って何も書けなくても不慮の事故に遭うとかないかぎりこれで人生は終わりではないからいいの、いいの。心のエネルギーチャージしながらなんとかね・・・。

 次は『雨に唄えば』の思い出し日記を書けるといいな。



痛ましいですね

2019年04月19日 22時51分14秒 | 気になるニュースあれこれ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190419-00000075-asahi-soci

高齢になっても車を運転しないと生きていけない田舎ならいざしらず、公共交通機関が整っている池袋という大都会で、87歳が運転しなければ生きていけないということはなかったはず。事実関係はまだわかりませんが、元官僚ですか。なんだか驕っているようにしか感じられません。

子どものヘルメット、真っ二つに引き裂かれた自転車。

3歳の命が失われたとはなんとも・・・。

痛ましいですね。

ハンドルを握ったら車は走る凶器だということを心するべし。

30年ぶりに郷里に暮らして、車がないと生きていけない所に暮らして、なんか感覚的に日本の車、ダメだなって思うし、運転している人もダメだなって思います。驕っていますよ。

わたしは車がなくても生きていける道をめざします。


2015年『ルーヴル美術館展』_「鏡の前の女」

2019年04月19日 18時51分39秒 | 美術館めぐり


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《鏡の前の女》
1515年頃
油彩/カンヴァス 99×76cm
パリ、ルーヴル美術館 絵画部門

ティツィアーノの美女、陶酔という日常。

「「デッサンのフィレンツェ」に対し、「色彩のヴェネツィア」といわれるように、16世紀には、豊かな色彩や大胆な構図によるヴェネツィア派絵画が、イタリア北東部の水の都、ヴェネツィアで隆盛をきわめた。緻密にデッサンを重ねるのではなく、直接、絵の具で描き始め、途中で構図や形態を自在に変えていく方法で、数々の名画が生み出された。とりわけ、みずみずしい裸体画を多く描いたティツィアーノは「色彩の魔術師」と呼ばれ、ヴェネツィア派最高の巨匠と讃えられた。また、ティツィアーノより30歳若いティンレットも、独創的な着想をもつ優秀な画家であった。これらヴェネツィア派の絵画は、ハプスブルク家が支配するスペイン王室や、18世紀にブルボン王朝が最盛期を迎えたフランスの王などに好んで収集された。王侯たちは、公然と裸の女性を鑑賞することができるヴェネツィア派の作品を、競って手に入れたのだった。」

「男が差し出す鏡に見入る女。虚栄を表すとされる鏡をモティーフにした「化粧する女」は、以後も多くの画家に描かれた。」

(週刊『世界の美術館-ルーヴル美術館』より)


 会場で配布されていたルーヴル美術館展ジュニアガイドによると、当時のヴェネツィアでは「理想の女性の姿」を描いた絵が大流行した。この《鏡の前の女》も、そんな美人画のひとつ。
 当時「理想」の女性とされたのは、この絵のような「金色に輝く豊かな髪」「大理石のような白い肌」が重要な条件だったようだ。他にも「女性らしいふくようかな体つき」「ルビーのように赤い唇」も大事なポイントだった。
 鏡に女性の後ろ姿が描かれている。絵画は、ひとつの方向からしか鑑賞することができないけれど、こうするといろんな角度を見せることができる。画家の工夫が感じられる。

 右手でたばねている髪の毛は、毛先の方が明るい色に見える。この時代は女性にも金髪へのあこがれがあって、苦労して色を抜いたらしい。この女性も髪の色を抜いたのかもしれない。
 女性が左手で持っているのは香水?
 男性がもっているのは、どっちも鏡。女性はもう一つの鏡に映った、自分の後ろ姿を見ているのかもしれない。鏡に映った自分の美しさに、思わずうっとりしているのかもしれないが、鏡はよく「美のはかなさ」とも結びつけられた。だれでもいつかは歳をとる、この女性もいつかはおばあさんに・・・。
 でも、男性は女性に夢中になっているようだ。この男性は、女性の恋人と言われている。


 パリ、ノートルダム大聖堂の尖塔が火災により崩壊してしまいました。ネットでみたニュースによると昨年12月に死去したアメリカの研究者が3Dデータを残しているので復元が可能とのこと。デジタルの力ってすごいですね。でも、使われていた木材は何十年にもわたって乾燥させたものなので同じ木材を調達して復元するのは現代では不可能との話も。ルーヴル美術館所蔵、ドラクロワ作『民衆を導く自由の女神』、わたしもルーヴル美術館でみました。右端の、『レ・ミゼラブル』に登場するガブローシュのモデルとなったと言われている少年の右手に描かれているのはノートルダム大聖堂とのこと。復元されても刻み込まれた年月は戻ってきませんね。



週刊世界の美術館 no.1―最新保存版 ルーヴル美術館 1
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だいじょうぶ、前に進んでいるはず

2019年04月18日 17時29分02秒 | 日記
 外は陽射しがまぶしくなってきた4月の半ば、色々なことがあった平成の世が終わっていくのだと思うとなんとも言えない心持ちです。今日も途中資源ゴミ回収ボックスへ服と布をつめたビニール袋と紙類をもちこんだあと、すっかり行きつけになったカフェへきました。ずっと家にいるのはよくない、気分転換の時間は必要。いよいよほんとに死んだ人たちの荷物整理ばかりをしている場合ではなくなってきたのかもしれません。

 午前中、先週送った二通目の書類の受験票が届きました。無事に書類は受理されたようです。資格要件は満たしていなかったけれど大学での履修内容が要件に該当すると判断されたということなわけで、こんなところで心血を注いだ卒業論文が役に立つとは思いませんでした。一次の作文の試験日がさらにもう一通、資格要件を満たしているので書類を送ろうとしている求人と重なります。組織として意図的にそうしているのかどうかはわかりませんが書類を送ればどちらかを辞退しなければなりません。二兎を追う者は一兎をも得ず、二通目の方が先に目にはいってきて心が動いたのでこちらに集中しますか。前職の経験がどれぐらい生きてくるのかわかりませんが一部生きてくるはず。ただ前職はあまりにも関わる範囲が広過ぎたので特定の分野に関する知識は断片的。人と関わる基本は前職と同じだと思いますが、社会資源について勉強しないと作文は書けません。国家試験合格から10年余りたつので、知識のブラッシュアップも必要。地理がほとんどわかっていないので、家から通えそうな範囲や試験会場を確認していく必要もあります。三週間ほど時間があるのでなんとかしましょう。事業所の稼働時間の中で6時間稼働。家が駅から遠いので通勤に不安があるので迷いながらの応募であることは送付状に書きました。かなりきつい仕事だろうと思います。毛結婚も出産も経験のない自分がどうなのだろうと思ったりもしますが、経験していないとできない仕事かというわけでもなく、経験している人なら誰でもできる仕事というわけでもなく、個人的経験と仕事としてやることは別だと考えることにしました。面接に進むことができれば、前職の経験をかってくれて就業場所と稼働時間に調整の余地あるかなあ。先ずは作文書けないと話にならないのでネットから情報を仕入れて勉強、勉強。その前に来週の月曜日、一通目の作文。気持ちはあまり入っていませんが行くだけ行くつもり。試験会場は駅から徒歩数分のようですが行ったことないのでわかるかなあ、乗り換えにはどれぐらい時間がかかるのかしら。なにもできなくても、行けなかったとしても、それなりに大きな事業体、随時機会は巡ってきます。これで人生は終わらないので今やれることをやれる範囲でやるだけ。往復の電車代だけで1,400円ぐらいかかるので、無事に行けて無事に終わってお昼を食べたら社会見学に行こうかな。できてもできなくてもいいの、行くだけ、行くだけ。

 郷里に戻って5カ月、社会とのつながりが途絶えたままだと思うとつらくなりますが、どこかでずっと気がかりだった断捨離をするためのまとまった時間は必要だったわけで今がその時。どこかでずっと心が縛りつけられていた大量のモノたちから解放された先にはまたあらたな出会いも待っているはず。だいじょうぶ、ほんの少しずつ前に進んでいます。気がつけば4年前のこと、そんなつもりではなかったのですがユニオンに行ってしまったら大会社の弁護士にズタズタにされて社会への怒りと悔しさをマグマを噴火させながら涙を流すことしかできなくなっていたわたしにマ〇ーズハロー〇ークの相談員がかけてくれた言葉、「三歩進んで二歩さがってもいいじゃない」を思い出します。あの頃話せる場がいくつかあったしブログを書き続けたし、とにかく自分の体験と気持ちを外に向って吐露することで立ち直ってくることができました。わたしを貶めたのは人ですが、助けの手を差し伸べてくれたのも人。感謝しています。その分お返しできるかな・・・、なんてね。

 ほんとは水道光熱費半分出さないといけないのですが、とにかく今は家賃負担から解放されているので焦ることなかれだよ、自分。

KITTEに行ってきました(13)

2019年04月17日 23時04分27秒 | 宝塚
一日の終わりの息抜き投稿。

都心の利便性を満喫することができた去年の夏を思い出しつつ、今さらですが「歌劇100年記念展」の画像をまたようやく少し整理。



さゆちゃんさんと、さゆちゃんさんを「さゆちゃんさん、さゆちゃんさん」と慕うたまきちを並べたくなりました。
Wさゆみさん、退団発表。
たまきちも大劇場5作を超えたことを考えるといつ退団してもおかしくない。
二度とない、このときだけの一期一会の並び。













苦悩していた日々を思い返す_実習記録ノートより(2)

2019年04月17日 19時40分49秒 | 祈り
 数日ぶりにたっぷり眠ってしまった水曜日、お昼過ぎから雨になりましたが、先週末決めていたとおり、簡単に家でご飯をすませると郷里近郊の、小さいですが都市の駅前に来ました。ハロワ立ち寄りと住まいを移したことにより、ずっとできていなかった変更手続きをようやくすませました。

 駅まで自転車でいく道のりから横にそれて今日も先ずは資源ゴミ回収ボックスへ、服と布をたっぷりつめたビニール袋をひとつ持ち込み。この場所があることを知ってから毎日こうしています。少しずつやっていかないと終わりはみえてこないほどに妹が遺した大量の服と布。わたし自身が納得して次へと進んでいくために、妹のモノは妹に届けてあげないといけないという想いでやっています。こんなにたくさんの服をいつか着るつもりで買い込んだり作ったりしてひとつひとつ丁寧に箱にいれたのか、押入れの天袋に積みあげてしまったら自分で存在すら忘れてしまっていたであろうに、こうして服を集めることそのものが喜びだったのかな。ほんの一部、年齢を選ばずに着ることができそうなジャケットやシャツをのぞいて、買った時は高かったであろうモノも丁寧に縫製されているモノも、ウエスになるのかわかりませんがすべて資源ゴミ回収ボックスへ。もう少し続けます。母が遺したデカいアイヌの置物一対は昨日自治体の燃えるゴミへ。何かが剥がれ落ちてわたし自身がまた少し軽くなることができたような心持ちです。ある程度カタがついたらわたし自身が死んだ人たちの荷物から解放されるかな、次へと進んでいくために解放されたいです。

 過ぎた時間を振り返り、あのときああしていれば、このときこうしていなければ、と自分の愚かさを責め始めればきりがなく、責めても過ぎた時間が戻ってくることはありません。30年前と社会は変わりました。人も車も変わりました。かつて今の自分よりも若かった母がふらふらと自転車を走らせていた道は、今ならとっくに車に轢かれてしまっているのではないかと思います。危ないスポットだらけで止まってくれることはあまりないので、毎日危険を感じながら自転車を走らせています。家から遠い隣県の都市に毎朝通うのは厳しいだろうなと思います。家賃はすごく大きいし、また集合住宅の壁うすくって隣の生活音丸聞こえに悩むこととなりますが、事故で命を落とすリスクを考えると駅近の集合住宅に住むのもやむなし、というかそういう意思表示をしないとおそらく居場所を決めることは難しいだろうなと思います。
 
 先週送った一通目の書類は無事受理されたようです。受験票が届きました。資格は不要で、わたしにとってモチベーションがあがる業務ではありません。でも大事な仕事だし、すごく仕組みがややこしいので大変だろうなということはある程度知っている業務内容。来週の月曜日、朝9時半までに会場に辿り着くことができれば、どんなお題がでるのかわかりませんが作文を書いてきます。自分の経験から書けることしか書けません。その前にたどり着けるのか。一昨日ライブビューイングの帰路乗り換えの改札を確認してきましたが慣れてないのでわかりづらいです。都心と違って本数が少ないし乗り換えも階段もホームもせまいし、車輌の数が全く違います。ひとつひとつに慣れていないのでどうでしょうか。資格要件を満たしていない二通目はどうでしょうか。今のところは連絡ありません。心が動きましたが大学の卒論が履修科目を満たしていると判断されたかどうか、はたまた年齢が壁?どうでしょうか。先ずは作文の試験を受験できるなら、昨日気がついた、試験日同じで資格要件を満たしているさらにもうひとつの求人、また用紙をコンビニでプリントアウトして手書き。内容は以前にも手書きしたものとほぼ同じでいい。また封筒に宛名を書いて写真を貼って、全て準備が整ったらまたコンビニでコピーをとる作業を日曜日までにやり終える気力がわたしにあるか。なんのためにこんなすり減るようなことを続けているのかというと、居場所に出会うため、自分の人生を生きていくため・・・。

 なんだかね、一昨日の月組大劇場千穐楽のライブビューイングで、他の組のトップスターは背負っていない、ものすごく大変なものを大羽根と一緒に背中に背負いながら、笑顔で万面方位の心づかいをみせるたまきちの姿を思うと、くさっている場合ではないなという気持ちになりました。心ない書き込みが意図せず目にはいってしまうとなおさら。月娘だった蘭ちゃんが月組を観劇すると、学年が下のたまきちをカッコイイ、カッコイイ、ってブログでほめまくっているの読むとすごく気持ちいいです、というオタクにしかわからない話はまた別にして、もう少しどうでもいい自分語り・・・。

「平成18年10月20日金曜日、くもり 実習一日目

本日の目標

 実習初日、かなり緊張気味である。基本的なことだが、先人の話にしっかりと耳を傾けることから始めたいと思う。


一日のまとめ(考察・乾燥など)

 実習初日、緊張と不安でいっぱいだった。様子がわからずどきどきし、警戒心もあった。(この気持ちを忘れないでほしいとのお話を所長からいただいた。)

実習内容はフリースペースで来所者と接することのみ。プログラムはないので、有意義な時間にするかどうかは自分次第だ。入った瞬間の私の率直な思い。こういう時間になにもしないで過ごしている人達がいるんだ。明確な目的がなく過ごす時間への違和感。どこが病気なんだろうという人もいれば、やっぱり病気なんだと思う人もいて、こんなことを考えていること自体に私自身の中にある根強い偏見を感じる。数年前、母が入院していた病院に行けなかったことを思い出す。自分が傷つくのがこわいから、自分がつらくなるのがつらいから・・・。精神障害者を好きな自分に変わりたい。無理することはないかもしれないがそれぞれ個性をもった固有の人として接することに努めたい。来所者のみなさんそれぞれが強いエネルギーを放っている。オブラートに包まれていない素のエネルギーとでもいったらいいのだろうか。私の中で普段眠らせている感覚が敏感に、活発に動き始めているようだ。非常に疲れるが、深呼吸して肩の力を抜いてやってみたい。


所見欄

精神障害者を好きになる必要はありません。人を好きになってください。自分を好きなることからはじめませんか!

同じ時間を、同じ空気を、同じ場所を感じている、今日初めて会った人達と感じているということを大切にして、まずは空間や空気の流れ等を感じてみてください。

不安や緊張はとても大切な心の動きです。どの様に安心にかわるのか、自分の心のゆれを楽しんでください。」

 大会社で二人分労働し、有給休暇をとるためさらに働き尽くしながらこれをやったのかと思うと我ながらクラクラします。母の病気を受けとめたいと必死でした。ハードで辛い業務でしたが前職のおかげで今は特別感ありません。わたしにとってはよかったかな・・・。
 
 旅日記に美術館めぐりも書きたいところですが今日はこんなんになってしまいました。


 やっと発表された蘭ちゃんの次の舞台、行きたいですが渋谷は遠いなあ・・・。