(2014年帝国劇場公演プログラムより)
「ベトナムの現在いま 『ミス・サイゴン』公演に寄せて 早稲田大学教授 坪井善明
★ベトナム戦争=2015年
来年2015年は、第二次世界大戦終了から70周年、日韓条約締結から50周年と様々な記念の年となる。ベトナムに関しては、アメリカと闘った「ベトナム戦争」(現在のベトナムでは抗米救国戦争と呼ばれている)終了の40周年の節目を迎える。『ミス・サイゴン』に登場する一人息子タムも来年には40歳という不惑の年齢を迎えることになる。戦後40年を迎えるベトナムの歴史と現状を、特に米国の関係を中心にお伝えすることにしよう。
ベトナム戦争は、ホーチミン率いる北ベトナム(ベトナム民主共和国)と米国が戦った戦争として記憶されているが、正確には冷戦の最中、米国の支援を受けた南ベトナム(ベトナム共和国)とソ連・中国に支援された北ベトナムが同じ民族同士で戦いあった一種の「内戦」であった。
1975年4月30日、南ベトナム解放民族戦線・北ベトナム軍が首都サイゴンの中心部にあった南ベトナム大統領邸にタンクで進入して、当時の南ベトナム大統領のズオン・バン・ミンが降伏を宣言して、ベトナム戦争は終了したのである。いわゆるサイゴン陥落である。これは、『ミス・サイゴン』に見られるシーンである。
アメリカ人だけでなく、共産陣営に征服されたことを恐れる米軍関係で仕事をした人と南ベトナム政府・軍関係者の家族を中心に、多くのベトナム人が祖国を脱出した。その一人が『ミス・サイゴン』のヒロインのキムである。
だが、脱出は1975年に限らず、1980年代の前半まで約8年間、「ボート・ピープル」という形で行われた。成功率は10%という生命賭けの逃避行に百万人以上のベトナム人が挑戦した。幸運にも、10数万人の人たちが、インドネシアやタイ等の近隣諸国にたどり着いたり、他国の船に救助されたりして逃避行に成功した。そして、大多数は最終的に米国に移住した。米国は、ベトナムの「ボート・ピープル」を寛大に受け入れたのである。
「ボート・ピープル」のあまりの悲惨な運命に、ベトナム社会主義共和国に対する国際的非難も強まり、1980年代中葉から合法的出国の制度が始まった。アメリカ人兵士とベトナム人女性の間に生まれた混血児や多くの南ベトナム政府関係者の家族は、米国やフランス等に居住する親類縁者の支援を受けて、合法的な出国をすることができるようになった。このように、様々な形でベトナムを脱出して米国を中心に外国に新たな生活を始めたベトナム人を「越僑」(えっきょう;OverseaVietnamese)と呼ぶが、現在、その子供・孫・ひ孫を含めて世界中で総勢400万人に達すると言われている。
★枯葉剤被害
敵として激しい戦争を戦った米国とベトナムの間の政府関係は遅々として進まなかった。相互不信が根深ったのである。国交回復が実現したのは、戦争終了後20年経った1995年だった。ビル・クリントン大統領が米国大統領として戦後ベトナムを初めて訪問し、冷え切った両国関係を切り開いたのだ。この米国との関係改善が始まって、ベトナムは東南アジア諸国連合(アセアン)に加盟を許されたのある。そして2001年に米国はベトナムに再恵国待遇を与えた。長い交渉の後、2007年にようやくベトナムは世界貿易機構(WTO)に加盟することが許された。これで、正式に国際的なビジネスシステムに参加することができるようになったのである。戦争が終わって32年経っていた。これ以降、ナイキやマイクロソフト等の米国大手企業も続々とベトナムに進出してきた。
しかし、米越の相互不信が解けない原因の一つに、枯葉剤被害者の問題がある。米国政府は歴代、枯葉剤被害の責任は、まだ科学的因果関係が説明されていないとして、認めておらず、ベトナムに対して一切補償をしていない。ところが、枯葉剤を撒いて発病した元米国兵士とその家族で枯葉剤被害者には補償を行っている。完全なダブル・スタンダードである。ベトナムの枯葉剤被害者の団体は、ニューヨーク地裁に損害賠償を求めて提訴したが、訴えは認められないままである。世界各国のNGOが枯葉剤被害者を応援している。
枯葉剤に含まれるオレンジ・エージェントという物質は、DNAレベルの細胞に作用して損傷させる。それによって、枯葉剤の被害は何世代にも遺伝する。お祖父さんが昔兵士で枯葉剤を浴びたことがあったが、その子供たちにはまったく悪影響が出ずにいて、孫の代になって現れるというケースが続出している。障害を持った赤ちゃんが誕生し、親が驚いて祖父母に詳しく聞くと、母方の祖父が昔戦争中に枯葉剤を浴びたことが判明するというケースが圧倒的に多い。女性の染色体XーXの一方に損傷したDNAがあって、母親には出現しなくて、赤ちゃんに隠れていたもう一方の損傷したX染色体が発現することで障害が生じるからだという。戦争にまったく関係のない第三世代の孫に被害者が出ているし、次の第四世代のひ孫にも発現するとされている。その第三世代を含めて現在枯葉剤被害者は総勢400万人に達する。
その枯葉剤被害の子供たちを治療・リハビリする施設が「平和村」と呼ばれる施設で、ベトナム全国に11か所存在している。ホーチミン市にあるトゥーズ平和村にはシャムの双児で生まれ、日本で分離手術を受けた「ベトちゃん・ドクちゃん」の生き残りのドクちゃんが働いていいて、子どもたちに献身的なお世話をしている。」
」
「ベトナムの現在いま 『ミス・サイゴン』公演に寄せて 早稲田大学教授 坪井善明
★ベトナム戦争=2015年
来年2015年は、第二次世界大戦終了から70周年、日韓条約締結から50周年と様々な記念の年となる。ベトナムに関しては、アメリカと闘った「ベトナム戦争」(現在のベトナムでは抗米救国戦争と呼ばれている)終了の40周年の節目を迎える。『ミス・サイゴン』に登場する一人息子タムも来年には40歳という不惑の年齢を迎えることになる。戦後40年を迎えるベトナムの歴史と現状を、特に米国の関係を中心にお伝えすることにしよう。
ベトナム戦争は、ホーチミン率いる北ベトナム(ベトナム民主共和国)と米国が戦った戦争として記憶されているが、正確には冷戦の最中、米国の支援を受けた南ベトナム(ベトナム共和国)とソ連・中国に支援された北ベトナムが同じ民族同士で戦いあった一種の「内戦」であった。
1975年4月30日、南ベトナム解放民族戦線・北ベトナム軍が首都サイゴンの中心部にあった南ベトナム大統領邸にタンクで進入して、当時の南ベトナム大統領のズオン・バン・ミンが降伏を宣言して、ベトナム戦争は終了したのである。いわゆるサイゴン陥落である。これは、『ミス・サイゴン』に見られるシーンである。
アメリカ人だけでなく、共産陣営に征服されたことを恐れる米軍関係で仕事をした人と南ベトナム政府・軍関係者の家族を中心に、多くのベトナム人が祖国を脱出した。その一人が『ミス・サイゴン』のヒロインのキムである。
だが、脱出は1975年に限らず、1980年代の前半まで約8年間、「ボート・ピープル」という形で行われた。成功率は10%という生命賭けの逃避行に百万人以上のベトナム人が挑戦した。幸運にも、10数万人の人たちが、インドネシアやタイ等の近隣諸国にたどり着いたり、他国の船に救助されたりして逃避行に成功した。そして、大多数は最終的に米国に移住した。米国は、ベトナムの「ボート・ピープル」を寛大に受け入れたのである。
「ボート・ピープル」のあまりの悲惨な運命に、ベトナム社会主義共和国に対する国際的非難も強まり、1980年代中葉から合法的出国の制度が始まった。アメリカ人兵士とベトナム人女性の間に生まれた混血児や多くの南ベトナム政府関係者の家族は、米国やフランス等に居住する親類縁者の支援を受けて、合法的な出国をすることができるようになった。このように、様々な形でベトナムを脱出して米国を中心に外国に新たな生活を始めたベトナム人を「越僑」(えっきょう;OverseaVietnamese)と呼ぶが、現在、その子供・孫・ひ孫を含めて世界中で総勢400万人に達すると言われている。
★枯葉剤被害
敵として激しい戦争を戦った米国とベトナムの間の政府関係は遅々として進まなかった。相互不信が根深ったのである。国交回復が実現したのは、戦争終了後20年経った1995年だった。ビル・クリントン大統領が米国大統領として戦後ベトナムを初めて訪問し、冷え切った両国関係を切り開いたのだ。この米国との関係改善が始まって、ベトナムは東南アジア諸国連合(アセアン)に加盟を許されたのある。そして2001年に米国はベトナムに再恵国待遇を与えた。長い交渉の後、2007年にようやくベトナムは世界貿易機構(WTO)に加盟することが許された。これで、正式に国際的なビジネスシステムに参加することができるようになったのである。戦争が終わって32年経っていた。これ以降、ナイキやマイクロソフト等の米国大手企業も続々とベトナムに進出してきた。
しかし、米越の相互不信が解けない原因の一つに、枯葉剤被害者の問題がある。米国政府は歴代、枯葉剤被害の責任は、まだ科学的因果関係が説明されていないとして、認めておらず、ベトナムに対して一切補償をしていない。ところが、枯葉剤を撒いて発病した元米国兵士とその家族で枯葉剤被害者には補償を行っている。完全なダブル・スタンダードである。ベトナムの枯葉剤被害者の団体は、ニューヨーク地裁に損害賠償を求めて提訴したが、訴えは認められないままである。世界各国のNGOが枯葉剤被害者を応援している。
枯葉剤に含まれるオレンジ・エージェントという物質は、DNAレベルの細胞に作用して損傷させる。それによって、枯葉剤の被害は何世代にも遺伝する。お祖父さんが昔兵士で枯葉剤を浴びたことがあったが、その子供たちにはまったく悪影響が出ずにいて、孫の代になって現れるというケースが続出している。障害を持った赤ちゃんが誕生し、親が驚いて祖父母に詳しく聞くと、母方の祖父が昔戦争中に枯葉剤を浴びたことが判明するというケースが圧倒的に多い。女性の染色体XーXの一方に損傷したDNAがあって、母親には出現しなくて、赤ちゃんに隠れていたもう一方の損傷したX染色体が発現することで障害が生じるからだという。戦争にまったく関係のない第三世代の孫に被害者が出ているし、次の第四世代のひ孫にも発現するとされている。その第三世代を含めて現在枯葉剤被害者は総勢400万人に達する。
その枯葉剤被害の子供たちを治療・リハビリする施設が「平和村」と呼ばれる施設で、ベトナム全国に11か所存在している。ホーチミン市にあるトゥーズ平和村にはシャムの双児で生まれ、日本で分離手術を受けた「ベトちゃん・ドクちゃん」の生き残りのドクちゃんが働いていいて、子どもたちに献身的なお世話をしている。」
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