たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『モーツァルト』より_モーツァルトゆかりの地をたずねて(4)

2020年04月12日 09時39分56秒 | ミュージカル・舞台・映画
(2014年10‐11月帝国劇場公演プログラムより)

「モーツァルトゆかりの地を訪ねて~井上芳雄 in ザルツブルク&ウィーン~

♬旅の終わりに・・・

 ウィーンに残るモーツァルトの足跡をたどり、彼の暮らした家へ向かう井上。コンスタンツェち結婚後に暮らした家は、現在<モーツァルトハウス・ウィーン>として一般公開されている。2階の窓から見えるのは、静かな小路。いわゆる“売れっ子”の時期にモーツァルトはここで過ごしていた。「忙しかっただろうから、窓からゆっくりと外を見るようなことはできなかったんじゃないかな」と井上は話す。ここで印象的だったのはモーツァルトの数々の肖像画。同じ人物を描いているとは思えない程、まったく印象が違うのだ。

 モーツァルトの人生に添うように旅をしてきた井上が最後に向かったのは、マルクス墓地。彼のお墓がある、と言っても本当にここに眠っているのかは分からない。「そうであろう」と言われている場所だ。草の茂った小道をのぼり、少し開けた場所に、それはあった。大きな墓碑や装飾があるわけではなく、世紀の大音楽家の墓とは思えないぐらいひっそりとしている。花をたむけて目を閉じ、しばし祈る井上。モーツァルトの生きた地でその人生を追い、彼は何を見つけたのだろうーその答えはきっと、舞台の上で見せてくれるに違いない。」











 2020年4月9日、帝国劇場では2000年の日本初演から20年目を迎えた『エリザベート』の幕があがるはずでした。帰省してしまったわたしはチケットを申し込むことすらできていませんでしたが『エリザベート』は心の宝物。初演を観劇したことは、まだ芸大の学生だった井上芳雄さんがルドルフとしてデビューした舞台を観劇したことは人生の宝物。無事に生き延びればまた会えますね。みんなが無事であればまた帝国劇場の幕はあがりますね、必ず。

Show Must Go On!の祈りを込めて・・・。





久しぶりに空を見上げました

2020年04月11日 19時07分08秒 | 日記
 水曜日の午前中、コロナがなければぶらっと訪ねてみようとしていた就労場所の求人に応募する書類を郵便局に持ち込んだ後、久しぶりに空を見上げました。こんな時も季節は巡り、桜の花は毎年変わることなく咲くのですね。東日本大震災のあとを思い出しました。8年前のあの時も満開の桜の花を見上げながら涙があふれそうでした。

 封筒に宛名を書いたとき心が折れそうでした。いま書類を出したところで近くに住んでいない自分が面接に呼んでもらえたらとしても出向けるはずはなく、一年間働いた実績があるとはいえ部屋をひきはらってしまったのでどうにもなりません。またどこか駅の近くに部屋を借りるところからやり直し。一日も早く家を出ていかなければならないのに身動きできずの状態で先は全く見えません。アマゾンで一人暮らし用の炊飯器を買いましたが、自分がまた家賃を払いながら生活していける姿を今は全く想像できずです。遠くに行かずとも近郊の都市の駅近くに住めばと言われるのですが10カ月働いてもうこりごり。自分には無理だとわかったのでその選択肢はわたしの中から消えました。気力を振り絞って先ず職務経歴書の電子ファイルを更新しようとしたとき、自分は10カ月何をしてきたのだろうとしばし考えてしまいました。今はまだ色々と勉強になったはずなのですが、バカだの死んでやるだのと怒られまくった電話の大変さと怒りと憎しみと悪口だらけの職員の陰湿さばかりが思い出されて吐きそうです。残念ながら品性に欠ける方々でした。よく10カ月持ちこたえることができました。

 書類を出すと年前郷里のいちばん近いところで都心での経験を生かして同じように働けるとまだ信じていた頃、車社会の壁をまだ分かっていなかった頃に応募した書類の控えをようやく整理。記憶が一部飛んでいて細かいことはもう思い出すことができませんでした。残念ながら4週間も待たされたりとか振り回される結果となり、今さら思い出したくないことばかりなので忘れることができていてよかったのかもしれません。

 気がつけば久しく美容院に行っていないのでひどい有様ですが、電車に乗ることがなくなり、自転車でスーパーとマックに行くだけなのでどうでもいいといえばどうでもよく、美容院は集団感染リスクから遠くないところにありネットをみると予約はガラ空き。ハロワに出向かないわけにはいかないので離職票が届いたら考えましょう。今はまだまだある溜め込んできたものをコツコツと整理しながら無事に生き延びていくことを目指す日々。孤独ですが先が見えない不安はみんな同じですね。

 テレワークといいますが業務用パソコンを使って、ネットワークにつないで、メールのやりとりやらで完結できていく仕事ってどれぐらいあるんでしょうね、どういう仕事なら可能なんでしょうね。製造業や対面の仕事は無理、郷里近郊、田舎なので運送会社の倉庫がいくつもあります。車こわいですけどね、こんな時にも大型車両を運転して物を運んでくれる人たちがいるからスーパーにもコンビニにも物があってわたしたちは生活できているのだということを再認識。東日本大震災の直後物流がとまったときの恐怖を忘れことはありません。目にはみえないところで多くの力に支えられてわたしたちの生活は成り立っているのだと教えられました。今一度かみしめる日々。なんのために生きているのかわからなくなりそうですが、落ち着いてきたらこの世にいる間にやりたいことリストを心の中でつくりつつ生き延びていく日々。









 苦労して家賃を払い続けたワンルーム、契約するとき、いちばんのネックはすぐ近くにお墓があることだと不動産屋さんから説明を受けましたが、窓からお墓がみえるの、いやではありませんでした。むしろ守られているような心持ちでした。結果的にいちばんのネックは築50年の投資マンションだったことでした。失くしたものを数えても時間は戻りません。今やれることを少しずつと思います。







旅の思い出写真『ロマンティック街道』_ローテンブルクの街並み

2020年04月11日 09時09分20秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
(『地球の歩き方‐南ドイツ編』より)

「ドイツが見えてくる旅のお話~ドイツの看板

 ドイツの街をぶらぶらと歩くのは楽しい。何度も旅した人でも歩くたびに楽しい発見がある。ましてや初めてドイツを訪れた人には、見るもの聞くものすべてに強烈な異文化の香りを味わうことだろう。街でまず目につくのはお店の前に掲げられた看板である。昔は単なる実用品で旅人の目印として役立てばよかった。しかし今では精巧な細工によって装飾品、いや芸術作品になっている。これは金細工のマイスターの手によってできるのだろうか、あるいは鍛冶屋だろうか。いずれにしてもマイスターの国ドイツならではの作品である。

 ドイツで看板といえば、何はさておきロマンティック街道のローテンブルクである。町なかの看板を見て歩くだけでも楽しい。特に市庁舎前の広場からSchmiedgasse鍛冶屋小路にかけての商店街の看板が見ものである。この町では看板を付ける高さ、場所、大きななどが統一されているようで、それでいながら商店のデザインは個性豊かな都市景観となって、観光客たちを魅きつけている。例のマクドナルドの看板もすっかりローテンブルク流に溶けこんでいる。そのいくつかをここで紹介し、簡単なコメントをつけたいと思う。ローテンブルクを訪れる読者のみなさんは、この看板にも目を向けてもらえたらと思う。

 ローテンブルクは名だたる観光地だけあって、やはりホテル、ガストホーフが目につく。

 代表的なものとしてホテル・ティルマン・リーメンシュナイダーを挙げる。おかみが日本に住んだことがある由で、このホテルはいつも日本人でごった返している。看板はライオンが何かを掴んでいる。よく見るとそれは赤い城壁をデザインした紋章だ。赤い城、つまりそれはローテンブルク市(赤い城を意味する)の紋章なのである。ホテルの場合、看板を見ればその名前(屋号)までわかることが少なくない。1年中クリスマスグッズを売っているお店の前に、変な看板がぶら下がっている。よく見れば鉄でできた帽子Eisenhutであり、ホテル「鉄帽子館」なのである。そのほか熊が描かれていればHotel` Baren、つまりホテル「熊の屋」、また金色の鹿の看板がぶら下がっていればGoldener Hirsch「金鹿館」というわけである。

 次は薬屋。マルクト広場の華麗なゲオルクの泉の前にあるマリア薬局。コップに描かれた印は何だろう。杖に蛇が巻きついているのはアスクレピオスの杖と呼ばれ、ヨーロッパ中の薬屋のマークになっている。ギリシア神話の医の神の名前に由来するが、蛇と医薬のかかわりは蛇が毎年脱皮するのが若返りを連想させるのではないかと言われている。

 ひとめ見ればワイン酒場とわかるのは、Burgar Kellerと呼ぶワイン酒場である。中央にワイングラスがあり、その左右にブドウの葉とつるが描かれたデザインは典型的なワイン酒場の看板である。

 パン屋は、二匹のライオンが支え王冠をかぶっているBrezelがパン屋のマークとなっている。私はこれを「8の字パン」と呼んでいるが、ロマンティック街道のあるバイエルン州など南ドイツでよく食べる。塩味の効いた8の字パンはビールのつまみによく合う。その下のプレートには「パン屋・カフェ」と書かれている。

 そのほか鍛冶屋小路からいくつか挙げれば、銀行までハーモニーのとれた看板を出している。ドレスデン銀行の先にあるグリフィンという架空の動物の看板は旅館。体はライオンで頭と翼がワシである。

 ともかくローテンブルクではメルヘンチックな看板巡りをおすすめしたい。

                             藤代幸一」




 わたしが当時持っていた解像度の低い携帯電話で撮ったのはこの2枚だけなのですが、ドイツの看板で検索すると可愛い画像がいっぱい。癒されます。

旅の思い出写真『ロマンティック街道』_ローテンブルグの日時計

2020年04月10日 18時59分53秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 2007年10月22日(月)に訪れたローテンブルグ市内、マルクト広場にある市庁舎の日時計にまつわる伝説。現地で添乗員さんが紹介してくれたお話が『地球の歩き方‐南ドイツ編』にも載っているので振り返り。書きたかったんですね、このお話。

「マイスタートルンクの伝説と祭り

🍷大酒飲みの市長、ローテンブルクを救う

 市議宴会館にあるマイスタートルンクの仕掛け時計に見るように、「マイスタートルンク」はローテンブルクのシンボル。「マイスタートルンク」とは、三十年戦争の時代にローテンブルクを破壊から救ったという大酒飲みの市ヌッシュのこと。

 三十年戦争のさなか、敵軍に囲まれたローテンブルクはついに陥落。敵方の将軍ティリーが、市庁舎に乗り込んできた。しかし、町のお偉方にローテンブルク自慢のフランケンワインでもてなされたティリー将軍はホロ酔い気分で「この特大ジョッキに注がれたワインを一気に飲み干す者がいたら、町を焼き払わずにいてやろう」と言い出した。ジョッキはなんと3.25ℓ入り。受けて立ったヌッシュ市長は、見事にワインを飲み干して、町を破壊から救ったという物語。このときの大ジョッキといわれるものが、郷土博物館に展示されている。

🍷マイスタートルンクの祭りを見物しよう

 この伝説は、毎年行われる「マイスタートルンク」で歴史劇として上演され続けている。祭りの日は、兵士姿や中世の衣装を着た人たちが町中にあふれて、ローテンブルクはまさに中世の世界。祭りのクライマックスは豪華な時代衣装を着た人たちによるメインストリートのパレードや、マルクト広場で披露される羊飼いのダンス。歴史劇のチケットは€6‐14。歴史マーケットや野営会場には入場券(€2.50)が必要。

 「マイスタートルンクの祭り」は例年聖霊降誕祭(5‐6月頃)に行われるが、2008年は5月9日‐12日の開催予定。

 詳しい日程やプログラムはインターネットでも入手でき、劇のチケットのオンライン予約も可能。www.meistertrunk.de

 旅行日程にお祭り見物を加えると、より思い出深い旅ができる。」

  気がつけば十数年越しで、やっと書けました。先が全く見えない不安な毎日。捨てたもの、失くしたものを数えても時間は戻らない。生き延びて、落ち着いた時何をしたいのかを念じる。

 一日も早く世界に平和が訪れますように・・・。

 一日も早くまた大きな翼に乗って安全に飛び立つ日が訪れますように・・・。 










また日比谷で会いましょうね

2020年04月10日 09時14分48秒 | ミュージカル・舞台・映画
一路真輝さんのブログより

「2020年04月08日(水)

皆様に
悲しいお知らせをしなくてはなりません。

「モダンミリー」全公演
中止が決定いたしました。


極上の素敵な
舞台になると確信していました。
観て頂けないのが残念でなりません。

でも
でも
仕方ありませんね。

今は
ただただ
皆様のご健康をお祈りするだけです。


自宅で
粛々とこの困難な状況が収まるのを
待つしかないです。
待つしか……。

           一路真輝」

朝夏まなとさんマネージャー公式ツィーターより

「朝夏まなとマネージャー@asakamanatomg 4月8日

稽古場の稽古が中断されたまま、劇場へ荷物を受け取りに。
組まれたセットを見上げたら、キャストやスタッフさん皆の想いが伝わってきて胸が締め付けられた。悔しい。この気持ちを忘れずにいつかミリーが披露できる日を信じて、今は過ごそう。元気でいよう。この事態でも働いて下さる皆様に感謝して。」

 あらためて上演される日を楽しみに待っています。いっちゃん、まあ様、生き延びてまた日比谷で会いましょうね。

また劇場で会えるよね

2020年04月09日 22時29分14秒 | ミュージカル・舞台・映画
加藤清史郎君のインスタグラムより

「皆さま、健康な日々を過ごされていますでしょうか。僕はとても元気です。

 本日、5月8日に日生劇場にて初日を迎え、東京、そして大阪で上演する予定でした、Disney 『NEWSIES』The Broadway Musicalの全公演中止が発表されました。この作品を楽しみにして下さった皆様、本当に本当に申し訳ございません。

ブロードウェイで上演されていたディズニーミュージカルの”日本初演キャスト”としてこの作品に(出演)できることの喜びと誇りを胸に、これまで稽古に励んできました。
一つ一つのシーンをカンパニー全員で丁寧に作り、作品が完成に近づけば近づくほど、一刻も早くお客様にこの作品をお届けしたい!という思いがこみ上げるばかりでした。

覚悟はしていました。ただ正直なところ、まだ実感が湧いていません。いや、実感が湧いているのか湧いていないのかすらも分からない、と言った方が合っているかもしれません。
ですが、今は皆さん一人一人の命と、周りの人達の命を守るべき時です。世界中の皆さんが一刻も早くこの闇から抜け出すために、やれることをやりたいと思います。

皆様もご自愛下さい。

加藤清史郎」

 清史郎君が謝らなくていいんだよ。無事に生き延びればまた劇場で会えるよね。東宝さんが同じキャストのスケジュールを調整するのは大変なことだと思う。来年は無理でも再来年?『ニュージーズ』が上演されることになった時にはあちこちの抽選に申し込んでジャニーズファンに負けないようチケットをとるべくがんばる。その頃には清史郎君のファンクラブが設立されてキャスト先行予約もあると嬉しいな。清史郎君が日比谷に戻ってくるのを見届けるまでは、帝国劇場の舞台に戻ってくるのを見届けるまでは死ぬわけにいかない。

 4月ってこんなに寒かったかしらっていうぐらいに冷え込む毎日。くしゃみがでたり寒気がしたりするだけで不安になる毎日。孤独な毎日。劇場という特別な空間の香りがなつかしくてたまらない毎日。次に観劇するときは今までよりももっともっと大きな拍手を送りたという気持ちを糧に生きる毎日。その時が訪れるまで死ぬわけにはいかないとの気持ちをもって生きる毎日。

 清史郎君も憲ちゃんも元気でね、また劇場で会おうね。その時を楽しみに、おばちゃんも自分を捨てずどうにかこうにか生き延びていこうと思う。



『エリザベート』『ニュージーズ』と演出作品の中止が決まった小池先生のことも心配だけど、きっと次なる大きな構想がもうありますよね。宝塚でも東宝さんでも次の先生の演出作品も期待しています。

生きていればきっとまた会えるよね

2020年04月08日 22時46分33秒 | ミュージカル・舞台・映画
 帝国劇場も日生劇場もシアタークリエも、みんなが無事に生き延びることができれば、必ずまた幕が上がるよね、『ミス・サイゴン』も『エリザベート』も、生きていればきっとまた会えるねよね。次に観劇するときは一回一回を今まで以上に大切にしたい。そして大きな大きな拍手を送りたい。涙なってますが、その時を楽しみに生き延びていくのだとの気持ちを強く持ちます。今は生き延びる、それだけ。 






































ミュージカル『モーツァルト』より_モーツァルトゆかりの地をたずねて(3)

2020年04月07日 18時59分25秒 | ミュージカル・舞台・映画
(2014年10‐11月帝国劇場公演プログラムより)

「モーツァルトゆかりの地を訪ねて~井上芳雄 in ザルツブルク&ウィーン~

♬ウィーンで感じるモーツァルトの息吹

『エリザベート』日本初演に出演後、井上はこの劇場で『モーツァルト』を観劇しているという。その時は、「『エリザベート』と同じ作家の作品だから観てみよう」くらいの気持ちで、まさか自身がヴォルフガングを演じることになるとは思ってもみなかったそうだ。久しぶりにこの劇場を訪れた井上は「コンパクトな濃密さに圧倒される。劇場という空間はただでさえ濃密だけど、中でもスペシャルな劇場」と思い入れが強い様子。

 ここでは、2000~2001年のウィーン公演でレオポルト役を演じたアンドレ・バウアー氏と会う。『エリザベート』のフランツ・ヨーゼフ役も演じた彼は、とても紳士的で穏やかな佇まいで、初対面で少し緊張の面持ちだった井上も次第に笑顔で話し始める。お互いの役への取組み方、モーツァルトの人物像の捉え方、そして音楽談義など、国は違えど同じ作品を愛する者同士、話は尽きない。バウアー氏が初めてレオポルトを演じたのは今の井上よりも年下の時だったそうで、それに井上が驚く場面も。限られた時間ではあったがしっかりと親交を温め、固い握手を交わして二人は別れた。


♬リーヴァイ氏との再会

 続いて向かったのは、シェーンブルン宮殿。ハプスブルク家の夏の離宮として建てられたこの宮殿は、クンツェ&リーヴァイ作品ファンには聖地とも言える場所ではないだろうか。ここで井上は、シルヴェスター・リーヴァイ氏と数年ぶりに再会した。宮殿の展示品、数々の名画を案内してもらい、そして氏の部屋にお邪魔した。

 実は宮殿の一部の部屋は、賃貸住宅として一般市民に貸し出されている。ここに別宅を持つリーヴァイ氏に会うことが今回の旅の大きな目的でもある。氏の部屋は、なんとエリザベートの寝室だった部屋の真上に位置しているという。洗練された調度品が揃い(キャビネットの中には日本公演で進呈された大入り袋も!)、部屋の窓からはシェーンブルン宮殿の見事な庭園が一望できる。

 リーヴァイ夫人のモニカさんはエリザベートの世界的な遺品コレクターであり、美術館級の品々が飾ってあるのだが、その中にはなんとエリザベートの名刺もあった。リビングの一角にはベーゼンドルファー社のグランドピアノがあり、そこにはリーヴァイ氏の名前が刻まれている。世界に一つだけの貴重なピアノで、なんと「僕こそ音楽ミュージック」を井上の歌に合わせて演奏してくれるという。ヴォルフガング役のファイナルを迎える井上にとって、このうえない機会だ。

 リーヴァイ氏の優美な演奏で紡がれる音楽に乗った井上の歌声には、広大な宮殿中をその想いで満たすかのような力強さと情感が溢れていた。「リーヴァイさんの演奏で歌うことができて、本当に良かった!」。声を弾ませる井上に、音楽への喜びに溢れたヴォルフガングの姿が重なる。リーヴァイ氏からは「“ヨシさん&リーヴァイさん”でツアーをしましょうか?(笑)」との提案まで飛び出し、久々の再会とは思えないほど和気あいあいと盛り上がる二人だった。

 その夜、井上はリーヴァイ夫妻と小熊氏とでディナーへ。美味しい食事とオーストリアのワインとともに、『モーツァルト』の話はもちろんのこと、他のミュージカル作品やウィーンの街の歴史、果てはリーヴァイ夫妻の仲の良さの秘訣まで、次から次に話が溢れてくる。日本公演初日での再会をしっかりと約束し合ったリーヴァイ氏との時間は、井上が「濃い時間だった!」というほど。この再会が、きっと新たな“ヴォルフガング”役へのアプローチに繋がるに違いない。








ミュージカル『モーツァルト』より_モーツァルトゆかりの地をたずねて(2)

2020年04月06日 20時20分07秒 | ミュージカル・舞台・映画
(2014年10‐11月帝国劇場公演プログラムより)

「モーツァルトゆかりの地を訪ねて~井上芳雄 in ザルツブルク&ウィーン~

♬ウィーンで感じるモーツァルトの息吹

 モーツァルトが青年期から亡くなるまでを過ごしたウィーンでは、まずブルク公園のモーツァルト像とご対面。ト音記号をかたどった花々を見下ろすように立つこの像は、写真を撮る観光客が入れ代わり立ち代わりやってくる。そんな様子を眺める井上。「モーツァルトは思いのまま才能のままに生きたイメージ。そこが自分とは違って、これまで演じるのが難しかった。それだけではないモーツァルトを発見できたらいいな。」ウィーンの街は、井上の抱くモーツァルト像に何をもたらしてくれるのだろうか。

 少し曇った空の下、井上はアン・デア・ウィーン劇場を訪れた。1801年にエマニュエル・シkネーダーが建設し、1999年に『モーツァルト』が初演された記念すべき劇場であり、同じくクエンツェ&リーヴァイ作『エリザベート』も1992年にここで初演された。7‐8月はバカンスシーズンで休館しているのだが、エンツェ&リーヴァイ作品には欠かせないプロダクション・コーディネーターの小熊節子氏のご助力により、今回は特別に入ることができた。」

→まだ続きます。

ミュージカル『モーツァルト』より_モーツァルトゆかりの地を訪ねて(1)

2020年04月05日 20時54分48秒 | ミュージカル・舞台・映画
(2014年10‐11月帝国劇場公演プログラムより)

「モーツァルトゆかりの地を訪ねて~井上芳雄 in ザルツブルク&ウィーン~

♬ザルツブルク~モーツァルト生誕の地へ

 2002年の日本初演からヴォルフガング役を演じ続け、今回、最後となる同役に挑む井上芳雄。この夏、モーツァルトの足跡を改めて辿るため、井上はオーストリアに飛んだ。約半日のフライトを経て最初に着いたのは、モーツァルト生誕の地ザルツブルク。彼ゆかりの建物や音楽が街中に溢れている。空港から市街地に向かう車の中でそんな街並みを眺めていると、ザルツブルクに来た実感がジワジワとこみ上げてくる。井上とモーツァルトを繋ぐ、素敵な出会いの数々が待っているはずだ。

 カフェや雑貨店などアンティークな店が立ち並ぶゲトライデガッセの一角に、モーツァルトの生家がある。1756年1月27日にモーツァルトが生まれたこの建物には、彼が使用していた楽器類や一家の肖像画などが展示されており、ガブリエレ・ラムザウアー博士による案内のもと、展示品を興味深げに見る井上。7歳のモーツァルトの肖像画の前で足を止め、マリア・テレジアから下賜された大礼服を着て無邪気にほほ笑む姿を見て、「天真爛漫な愛される子だったんですね」と感想を漏らす。対照的なのが、亡くなる2年前のモーツァルト“未完の肖像画”。実はこの絵は彼の妻コンスタンツェの、姉アロイジアの夫ランゲが書いたものだ。「年を取って見えるけど、どこか子供っぽさも残ってる・・・」と井上はつぶやいた。

♬生まれながらにして神の子だった?!

 続いて向かったのは、ザルツブルク市街を流れるザルツァッハ川を挟んだ対岸にある、モーツァルトの住居。緑に囲まれた中庭のカフェでは、ランチを取る人や観光の休憩にお茶をする人の姿もチラホラ。ここを案内してくれたのはホハンナ・セニグル博士。一般公開されているエリアの他に、地下に保管されている普段は見ることのできないモーツァルトの直筆楽譜や演奏旅行中に家族とやりとりしていた書簡などを特別に見せていただく。

 貴重な資料と対面した井上は、「とても綺麗な楽譜。音符が踊っているみたいですね。劇中で譜面を書くシーンがあるけれど、本物をみたことで、また違った気持ちで書けそう」と思いを馳せていた。そしてモーツァルトから父レオポルトへ送った手紙の中には、なんと劇中の歌詞に通じる文面が。「『僕こそ音楽ミュージック』と同じ内容が書かれてる!クンツェさんはここからインスパイアされたのかな?」と思わぬ発見に興奮気味の井上だ。

 そして、さらに貴重な資料との出会いがあった。モーツァルトが洗礼を受け、そして何百回とオルガン演奏をしたザルツブルク大聖堂の近くにある資料館に、彼の洗礼名簿が残されていた。そこに記されていた洗礼名は、“ヨアネス・クリソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツァルト”。ギリシア語で“テオフィルス”は“神に愛されし者”という意味だ。この名のラテン語読みである“アマデウス”を気に入って使うようになったそうである。劇中のナンバー「モーツァルト!モーツァルト!」には“神の子モーツァルト!”という歌詞もあるが、彼の才能は生まれながらにして約束されていたのだ。

 実はザルツブルクを巡ったこの日は、偶然にも世界的に有名なザルツブルク音楽祭の初日。各国から音楽家や音楽愛好家が集結して華やかな賑わいを見せており、大聖堂前の広場では重い思いに音楽を奏でる人があちらこちらにいる。井上も思わず足を止めて聞き入る場面も。井上とモーツァルト、そして“音楽”との浅からぬ運命を感じたこの地を後にし、緑豊かな夏のオーストリアの山々を抜けて、一路ウィーンへ向かう。」








2018年の『モーツァルト』で古川雄太さんがビジュアル撮影の時身につけたお衣装、芳雄さんが着用していたものとのこと。