ベテランから若い選手まで大健闘の日本水泳チームを見ていると、古い人間にとって過去の名選手を思い出す。特にオリンピックには出られなかった古橋廣之進選手の活躍は長く言い伝えられてきた。1948年に開催されたロンドンオリンピックには敗戦国の日独は参加が許されなかった。ナチスや日本軍の残虐行為が記憶に生々しい時代であった。
ところが、日本人の意地をを見せたのが古橋廣之進選手でロンドンオリンピックで1500m自由形競技がスタートしたと同時に神宮プールで古橋選手を含む日本選手がスタートし、オリンピックで優勝した米国マクレーン選手(優勝タイム19分18秒5)よりはるかに早い18分37秒0で泳ぎきった。当時は食糧事情悪く、米も食べられず代用食で我慢していた日本国民の溜飲を下げる出来事だった。
時代は変わり、1956年のメルボルンと60年ローマでのオリンピックの競泳男子自由形では山中毅選手とオーストラリアのローズ選手の4年越しの激闘もすごかった。テレビはなく、ラジオにかじり付いて聞いた思い出がある。2大会ともローズ選手が優勝したがオリンピック以外の競技では山中も勝っていただけに残念だった。ローズ選手は当時としては珍しいヴェジタリアンで強さの秘密も話題になった。