行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

現代の焚書坑儒

2014-06-04 23:14:21 | Weblog

遙かなり天安門事件をブログに書いて5年経ったが、残念なことに中国政府は本日も「(政府発表319人死者)たいした事件ではない、当時の政府の行動は正しかった」と声明を記者会見で読み上げ、再調査や評価についてはにべもなく拒否している。それどころか70人の民主化運動家を拘留し、ネットでのブログで天安門事件という言葉が出てるだけで削除し、NHKなど海外放送が天安門事件にふれると放送を遮断するという有様。たいした事件でないならこうした弾圧はしないはずだが共産党の一党独裁体制が崩れることを恐れての行動だ。

かつて、秦の始皇帝は儒教を弾圧し、民間にあった医薬・卜筮(ぼくぜい)・農事などの実用書以外の書物を焼き捨て、始皇帝に批判的な儒家約460人を坑(あな)に埋めて殺したといわれる。これを「焚書坑儒」というが、現中国政府のやってることは「焚書坑儒」とどこか似かよっている。焚書はネットやテレビ放送の遮断、坑儒は民主運動家の拘留と読み替えられる。

5年も経ってるのに、いっこうに民主化が進まないどころか後退している。今や経済大国かつ軍事大国、中国の行く末は不気味だ。


2009年6月4日のブログ再掲
遙かなり天安門事件
あれから20年になる。私が電機労使の訪中団で初めて中国を訪れたのが1989年4月29日、中華全国総工会の招きであった。今では考えられないパトカー先導付き、通る信号はいつも青といった歓迎ぶりであった。ところが天安門に近づくと大勢の若者が集会を開き、北京市内の中心部でデモをやっていた。デモをしている若者はにこにこと楽しそうであった。中国も民主化への道を歩み始めたとさえ思えた。ただ、交通整理をしている警官は丸腰でデモ隊のコントロールにはまるで素人のようで、日本の機動隊みたいな警官は見あたらず、出てくるとなるとすぐ軍隊になるのかとチラッと思った程度であった。

その日は中南海の首相官邸で羅漢秘書長(日本だと官房長官)と周恩来の部屋で会談した。主たるテーマは電機産業の対中投資であったが、天安門のデモのことも話題になった。羅漢さんは私たちの子供もデモに参加しているので先鋭化はしないで収まると楽観的であった。

私たちはその後北京を離れ、地方周りをして帰国したが、天安門では民主化を要求して学生達がハンガーストライキに入り、地方からも続々と学生が上京しだし、5月18日にはハンガーストライキをやめるよう趙紫陽総書記が説得までしたが、共産党の保守派、特に李鵬首相(当時)が対決姿勢を打ち出したことで学生たちは急進化し、運命の6月4日には軍隊が戦車まで繰り出して弾圧した。民主化路線を取ろうとした趙紫陽は失脚し、中国共産党の一党支配は続いている。社会主義市場経済と称しているがあのときに民主化へ前進していればもっと早く発展へのスタートがきれ、地域格差や貧富格差が激しくない結果になったのではないだろうか。中国のバランス良き発展には政治の民主化が欠かせない。

コメント
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