行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

玉川上水を世界文化遺産に

2015-05-18 23:43:42 | Weblog

徳川家康が豊臣秀吉の要請?命令?により江戸に移った時、江戸の水は掘っても掘っても塩水だった。水は命でありその調達は絶対に必要だった。荒川からの水を引いたりしたが、多摩川の水を何とか江戸にという大構想が徳川幕府にとって必要だったことは肯ける。羽村から四谷まで43Kmの水路を困難な工事をやり遂げた玉川兄弟の功績は大だ。欧州に行くとローマ時代の水道橋が各地に残っているが玉川上水はなだらかな平野の中を掘ったわけで、水を流すのに苦労しただろう。途中には立川断層があり、そこをこえるのに苦労した痕跡が残っている。

しかも、1653年に着工し同年内に完成するという当時の公共工事としては最速で、如何に幕府が力を入れていたかが判る。上水道として考えられていたが、途中何カ所からは分水し、農業水としても利用している。私は羽村から井の頭まで歩いたが、途中自分の住んでる昭島近くの福生市熊川や砂川で分水し、農業の発展にも寄与してきた。

素晴らしいことは建設されてから360年余、玉川上水は保全され、実用されてきたことだ。明治以降、玉川上水の管理が重要だと言うことで上水が流れる三多摩地区は神奈川県から東京府に移されたほどだ。この玉川上水を世界文化遺産にという動きがあるが、いまでも飲める清流が大都会の中にあること自体世界に大きな影響を与えることから是非世界文化遺産にと願う。

昨日も新緑の中、玉川上水縁を散歩したが、武蔵野市がウオーキングラリーをやっていて多くの市民が参加してた。三鷹から拝島までは散歩道が整備され、途中には足湯まであり、ハイキングコースとしては年寄りも楽しめる。

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