あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

カンボジア紀行(78) 立ち退き

2014-08-07 | カンボジア紀行

 

 

  トンレサップ湖の見学後 再び シェムリアップ市内に戻る途中

 シェムリアップ川沿いには まだまだ多くの人々が生活を営んでいる。


 川にせり出してバラックが立ち並びスラム化しており

 また川の汚染も進んでいる。

 行政は いま生活環境や観光美化 護岸等から

立ち退きを促しているが 遅々と進んでいない

 しかし 市内に近づくほど 新しい橋が架かり

 環境整備は少々進行してはいるようだが

その環境・美観等ワープしたような落差がある。

 



 

 

 

 

 


カンボジア紀行(77) 水上の駅

2014-08-06 | カンボジア紀行

 

この建物は 水路上にある土産店・売店と食堂であるが ツアー一行もここで小休止。

当方は 日本の道の駅に似た「水上の駅」と見たが。

テーブル席もあって 別の客が トンレサップ湖で取れたエビを茹でたものが

名物とかで ビール片手に食べていた。


別室では トンレサップ湖の生態や水上生活の様子を

伝える写真や道具が資料館のようにある。

店脇の生簀には ワニが飼育されていたが

 売店には ワニの干物・靴・鞄もあった。


しかし ワニの肉は食べないそうですが。

 また 2階は展望台になっていて トンレサップ湖を360度見渡せ
 
周囲の水上家屋をも 近くに見ることができる。

 

 


カンボジア紀行(76) 水上の教会

2014-08-05 | カンボジア紀行

 

ポルポト時代の影響なのか シェムリアップ市内では教会を見なかったが
 
ここに 水に浮かぶ珍しい教会があった。


資料によれば 
このカトリック教会は

 地域の子ども達を対象に識字教育 衛生教育などを行なっている。


また 湖畔の陸地は 主に多数民族である「米の民」クメール族が住み 


一方 湖には「魚の民」ベトナム人の多くが暮らし別の世界が展開している。


何世紀も前から カンボジアは ベトナムによって国土を侵食され

 内戦時代は 軍事的にも 政治的にも 支配されてきた事から

 クメール人のベトナム人に対する悪感情は しばしば 社会の問題となっている。

そのため 特にトンレサップ湖内に住むベトナム人の中には

 陸地のクメール人社会と接触を持たず 

湖上にある独自のベトナム人社会の中だけで 暮らしている人々もいる。

それ故 子ども同士の交流を通して 

クメール人とベトナム人の和解を目指しているそうだ。


ここにも 目に見えない時事問題が潜んでいた。

 


カンボジア紀行(75) 漁業

2014-08-04 | カンボジア紀行

 

トンレサップ湖は 水産資源が豊かで 

300種以上の淡水魚が生息しているそうだ。

水上生活者は100万人がいるが 

この人々を食べさせるだけの豊富な魚が捕れて 


その恩恵を受けて 更に市場に売って生計を立てている。


しかし この水産資源の豊富ゆえメコン川を辿って ベトナムから難民が押し寄せ

 
水上生活者の半分は ベトナムからの難民とか


また カンボジアの国民一人あたりの淡水魚漁獲量は 年間約20 kgと世界一。

しかし 雨季は 稚魚を育てるため 禁漁期となっており

 収入を得るのは 乾季だけのため

 
年を通じて十分な収入を得ていないとのこと。

 


カンボジア紀行(74) 水上生活

2014-08-03 | カンボジア紀行

 

このトレンサップ湖の上に生活する人々は 100万人にも及び 集落を形成し

学校・市場・診療所・警察・教会等 生活に必要なものは

全て この湖上に浮かび 一つの町となっている。

このトンレサップ湖 雨季乾季により 3倍も面積を変えるため護岸がなく

水上生活者は 水位の増減とともに 年に5~6回移動している。

それ故か 住民の多くは 住所もなく 身分証明書をも持っておらず
 
陸上で働くことも ままならない状況にある。

水上での生活は 漁業ではあるが 主に自給自足で

 中には ワニや豚も飼育し 水耕栽培もしている。


そんな日常生活の様子は 

NHk―BS 「アシア食紀行~コウケンテツが行くカンボジア 」や


「ぐるっと インドシナ半島3000キロ」でも放映され


発電機も備え 電気機器もある そんな実生活を見ることができた。

 


カンボジア紀行(73) 水上学校

2014-08-02 | カンボジア紀行

 

この水上の建物は 小学校のようです。

この学校も 水の上にあるため 湖の水位により年に1~2回移動することもある。 

カンボジアの義務教育は 日本と同じ6・3制の無償で受けることができる。

だが 就学児童は年々増加してはいるが まだ少ない現状にある。


学校に行けない理由は 日々の生活が精いっぱいであって

 一家の手伝いやらで 高学年になるほど 働き手となるということによるようだ。

加えて 学校が遠くて通うこともできないこともある。


ここも 中学校は10km以上離れた シェムリアップ市にしかない。


先のシェムリアップの小学校でも話題にしたが

国内に小学校は7000校ほどあるが 

しかし 教師の数が足りなく 学校としての機能を果たせないところもある。

こうしたことは ポル・ポト時代に教育制度が破壊され

 現在も その影響が大きい。

 


カンボジア紀行(72) 子ども2

2014-08-01 | カンボジア紀行

少々疲れたようですね・・・

 

この少年 船頭さんの子供で 船の発着時には 

小さい体ながら長い竿やロープ扱いなどして


お手伝をしていました。

また 船内をまわり 乗客の肩たたきをして チップも稼いでいました。

このようにして カンボジアの子供達は一家の支えとして良く働きます。

なお 学校は2部制で 午後から学校に行くとのことでした。
 

 

子どもたちの移動手段は 

写真のように 盥を一寸法師のごとく上手に操り


学校に お使いに使っているようです。

 


カンボジア紀行(71) 子ども1

2014-07-31 | カンボジア紀行

 

船が出航すると 間もなく 

後ろから物凄いスピードで モーターボートが追いかけてきて


我々の船に並走し 横付けする否や 

かわいい女の子が軽業師のごとく 飛び乗ってきた。

 ビール・ジュースを一杯にした駕籠をぶら下げている。

来る船 来る船に飛び乗り 物売り 

こうして子どものころから 

水上生活する一家の手助けをしている少女でした。

この少女が立ち去ると 

今度は 首の蛇を巻きつけた女の子の舟が並走する

 写真を撮らせて 
金銭にしている。

 


カンボジア紀行(70) 船着き場

2014-07-30 | カンボジア紀行

 

トンレサップ湖のクルーズのため 「チョンクニア」の船着き場へ 

チョンクニアは トンレサップ湖に浮かぶの水上村で

 7つの集落から構成されており
人口は約6900 人。

桟橋越しに プノン・クロム山が見え その麓にはリゾート施設がある。

これらは 韓国資本のリゾート施設のようです。

カンボジアに来て 韓国資本の進出が目につき 日本の進出はいまいちで

シェムリアップ市内では韓国料理の店が多くまた観光客も多く見られた。


しかし 集落の家々とリゾート施設の落差に 違和感を強く感じられた。

 


カンボジア紀行(69) トンレサップ湖

2014-07-29 | カンボジア紀行

 

カンボジア3日目を迎える 天気は雲ひとつない!快晴

 シェムリアップから南約12km シェムリアップ川に沿って 

30分ほどにある 「トンレサップ湖」へ


トンレサップ湖は カンボジアの中央にあって

 その大きさは 海と見違うほどで
 

乾季には琵琶湖の3倍 雨季にはその5倍ほどになり

『伸縮する湖』と言われ

 東南アジア最大の湖だと言う。


なお クメール語で 「トンレ」は “川”  「サップ」は “淡水湖”を意味する。


我々が訪れたときは 丁度雨季から乾季へ

 その水量は減少へと向かう時期であった。


 


カンボジア紀行(68) アプサラ・ダンス

2014-07-28 | カンボジア紀行

 

影絵に続き 舞台では 

子どもたちの子猿と阿修羅の戦いを踊りにした場面に続き 

カンボジアの伝統舞踊 「アプサラ・ダンス」が演じられる。

アプサラ・ダンスは 9世紀に宮廷舞踊として生まれ

アプサラとは 『天使・天女』を意味し 

踊りは神への祈りとして捧げられていた。


アンコール遺跡のレリーフにも数多く登場する踊りで 

踊り子の反り返った手と指の動きが特徴的 

手は蛇の頭 足は蛇の尻尾をと それぞれの手や指の動きには意味があり

 花の芽生えから実が落ちるまでを 生命の一生・儚さに例えて表現されている。


踊り子は 王室古典舞踏学院で養成されていたが

 ポル・ポト政権時代には 宮廷古典舞踊は王政を祭わるものとして

300人を超す先生や踊り子のほとんどが 処刑の対象となってしまった。


また 踊りの記録なども焼き払われてほとんどが消失したそうだ。

しかし 残った指導者の力で 今日までになったという。



カンボジア紀行(67) 影絵

2014-07-27 | カンボジア紀行

 

カンボジアでは 影絵を「スバエク」といい

 昔のアンコール時代には王宮でしか見ることができなかったが

 シェムリアップは この影絵の発祥の地とも言われている。

スバエクとは 人や動物の皮 皮膚を意味する。

きれいになめした牛の皮で作られている人形を

 大きなスクリーンの後ろで セリフや歌を歌いながら


伝統的な音楽に合わせて コミカルに動く。

 
上演された物語は 農村の光景で農夫ボアが奥さんと一緒に

水牛と連れて出かけ一人の農夫ソーと知り合うが

 その農夫ソーが奥さんがあまりに美しいので気に入ってしまう。

そこで水牛を戦わせ

「勝った方が奥さんを自分のものにできる。」

という賭けをしてしまう。


結果は ボアの牛が首の骨が折れて負けてしまうが

 しかし 奥さんを渡したくないボアは ソーと喧嘩になって

 そこへ 警察官が駆けつけ 二人は叱られてしまう。」という筋書きであった。


カンボジア紀行(66) ツアー3日目の夕食

2014-07-26 | カンボジア紀行

 

ツアー3日目(シムリアップ2日目)の夕食は

 前回話題の「山本日本語教育センター」の


真向かい国道6号を挟んである 

現地旅行手配専門会社「JHCアンコールツアーセンター」に案内される。


1階が土産物店 2階が「ラッキーレストラン」 別棟にはマッサージハウスがある。

ここで働く全員が 山本日本語教育センターの学生・卒業生で

 日本語を実践的に学ぶとともに 生活費も得ているとのこと。

その2階に 150畳敷きの部屋「さくら」に案内される。

野菜 豚肉 白味魚を煮込んだ カンボジア名物「クメール鍋」を

摂りながらの ディナーショー

カンボジアの伝統舞踊「アプサラダンス」と影絵「スバエク」を鑑賞となる。

カンボジアの2大伝統劇を 同時に観賞できるのは 市内ではここだけだそうだ。

 

 


カンボジア紀行(65) 日本語教育センター

2014-07-25 | カンボジア紀行

 

前回 現地ツアーガイドさんの話題でしたが

その日本語を学んだ施設「山本日本語教育センター」は

 市内 国道6号沿いにあった。

この「山本日本語教育センター」は 長い内戦により

疲弊したカンボジアの復興に役立てるため 


また カンボジアの友好を深めるために地元の理解と協力を得て

 山本宗夫氏が 1996年に設立した。

 

カンボジアで日本語を学びたいと願う

意欲的な若者への教育に力を注いでおり


これまでに500名以上の卒業生を送り出している。


その卒業生の9割が日本語を使った 観光ガイド 

空港・ホテルの職員 遺跡調査の通訳として活躍しているそうだ。



因みに 山本氏は この功績により 公益財団法人・日本財団から

平成25年度社会貢献者表彰を受賞している。

 

 


カンボジア紀行(64) 現地ガイド

2014-07-24 | カンボジア紀行

 

写真は クロマーが似あう 現地ガイドさん

 日本語が 流ちょうであるので どこで 学習したのかと 尋ねると

「自分は まだ 日本には行ったことはありませんが

 ここシムリアップで日本人が 主催する日本語教育センターで

日本語を 1年間学みました。」 とのこと

また 肩腕に付けたアンコールワットの絵があるワッペンとこの上着は

 アンコール遺跡群のガイドの国家資格を表すものとのこと。