あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

カンボジア紀行(63) 夕日

2014-07-23 | カンボジア紀行

 

 

今朝 アンコール遺跡の朝日観賞を終えているが

 今度は夕日の鑑賞が予定されている。

崩壊が進んでいるタ・ブローム東塔門を抜け 

すぐ東にあるバンテアイクデイ遺跡の
正面にある「スラ・スラン」へ 

「スラ・スラン」は 「沐浴の池」と言う意味で 王が沐浴するための池である。

 ラージェンドラヴァルマン2世 の開教師 の指導により 10世紀中頃に掘られた。

その後、1200年ごろジャヤーヴァルマン7世時代に

 ナーガーの欄干と獅子が取り付けられた。

けれども 40年ほど前に フランスが40年前の発掘調査によると

幾つかの瓶のお棺が見つかったこことにより 

ここは 共同墓地であることが分かった。
 

この貯水池 スラ・スランは東西700m 南北300mで 水は雨水とのこと。

写真撮影は 案内板の下角あたりであったので もう少し左先には

テラスがあって 両側にあるナーガの欄干の端には

ナーガに翼を広げたガルーダが乗った彫刻があり 

水辺へと降りられる階段は 両側を2頭のライオン(シンハ)によって

守られているそうだが 行きそびれた。 


また 我々の反対側からは 日の出を見るための人気の場所でもあった。

 


カンボジア紀行(62) 修復方法

2014-07-22 | カンボジア紀行

 

参道の一角に 修復工事の概要 アフタービフォーの写真が案内板にあった。 

この「タ・プローム」遺跡は 1860年に発見された当時からも

ガジュマルの浸食が進んで 自然の脅威に晒されており 崩壊の危機にあった。

 アンコール遺跡の保存には 過去の状態に戻す復元と

 歴史や社会 自然環境の現況の保全がある。


ここタ・プロムでは 後者の 浸食された状態はそのままにして 

敢えて 修復せずに 自然との共存・現状維持に努める方法を選択している。
 
浸食されていない部分は 修復を行ってはいるが
 
しかし 確実に崩壊が進んでいるのには変わりはない。
 
それ故 この巨大な榕樹が遺跡の上に覆い被さる光景は

訪れる者に 自然の脅威を見せつけている。


 


カンボジア紀行(61) デバター

2014-07-21 | カンボジア紀行

 

 

   

ここにも いくつかのデバター(女神)がいた。

 巨大なガジマルに浸食され廃墟化した寺院の中に

ひっそりと 美しいデバター(女神)が 
刻まれている。

こちらのものは 他の遺跡のものと少々違い 気品とか躍動とかはないが

親しみのある微笑みを浮かべている姿は 庶民的で より身近にさえ感じる。


自然の猛威に晒されている中 

目をつむり瞑想的で 長年闘い耐えている姿は


正に デバター(女神)であり 神秘さが現れている。

 

 


カンボジア紀行(60) 大蛇的な巨木

2014-07-20 | カンボジア紀行

 

東門の壁に 正に”大蛇”が這いつくように見える

樹齢300~400年の巨木がある。

ガジュマルの根は 石の間を喰いこみ 

地の水を求めて突き進み 既に 塀の一角は崩れて

安全のためか補強材の手当てがなされている。


密林の中にあって このような巨木と苔むし 崩れゆく寺院跡は

まさに 神秘的な雰囲気ただよわせていた。 

しかし このように巨木に圧倒されていると 

本来の寺院遺跡には関心が行かず


浸食するガジュマルに目に行き 本末転倒状態になっている。

 

 


カンボジア紀行(59) 有名な巨木

2014-07-19 | カンボジア紀行

 

中央祠堂の南西側の回廊に 

この遺跡内で “最も有名な巨大木”(写真)がある。

見れば見るほど 巨大さと 今も押しつぶしそうな

何本かの根の勢いに圧倒される。


回廊の上にスカートのように広げた根は 

正に巨大な海の “タコ”
がへばりつくように見え
 
その上に 高さ30mを超す巨木には 気持ち悪ささえ覚える。

あらためて 自然の猛威に脅かされる。

 


カンボジア紀行(58) タ・プローム

2014-07-18 | カンボジア紀行

西門全面

 

  アンコールトムの勝利の門を抜け シムリアップ川を渡って

クランク状の道を 東に 300m進み


土産物屋が立ち並ぶ前で下車。
 

そこは 「タ・ブローム」 の西塔門の入口前だった。


「タ・プローム」は 「梵天の古老」を意味し
 
クメール帝国の王都(城都)アンコール・トムを建設した

スーリヤヴァルマン7世(在位1181~1220年頃)が 

1186年 母の菩提を弔うために建立した寺院。

後に ヒンドゥー教の寺院に改宗された。

そのため 仏教色の強い彫刻の多くが削り取られている。


東西1km 南北600mという広大な敷地内に 

 高僧18人 2740人の僧侶  2202人の使用人 615人の踊り子を含め

約12000人が住んでいたと碑文により伝えられ
 
その当時は 一つの都市のような寺院だったという。


しかし この寺院がアンコール遺跡の中でも人気があるのは 

熱帯雨林の巨木・スポアンガジュマル)の脅威に

晒されている遺跡を見られることにある。


  


カンボジア紀行(57) プラサット・スゥル・プラット

2014-07-17 | カンボジア紀行

横一列に12の塔が並ぶ

 

象のテラスに面して 王宮前広場の東側横一列に

 「プラサット・スゥル・プラット」が見える。
 

これは「綱渡りの塔」という名で呼ばれており

 王宮前広場に集まった観客のために塔の前に綱を張って

綱渡りを見せたということや 王に誓いを立てる場所だとの

諸説があるが 真偽は不明。


いずれにしても ここでサーカス的な催し物が繰り広げられたことは

 アンコールワット的な意味合いより アンコールトムは庶民的で親しみやすい。


12の塔は ラテライト(土の一種)を主要材料として造られており

 王に捧げられた宝物などを収納する儀式に用いられたと見られる。


ここも 日本のJSA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)によって

考古学・建築学的な調査・修復が行われている。

 

 


カンボジア紀行(56) ガジャシンハ

2014-07-16 | カンボジア紀行



ガルーダとシンハが一体化したインド神話の聖獣の

ガジャシンハ」がテラスを支えている。

  その表情は それぞれ違う。

  「ガルーダ」とは インド神話の聖獣で 鷲の頭とくちばし・翼と爪・脚を持つ鳥人。

  また 「シンハ」とは 獅子・ライオンを意味する。

  良く見ると ガルーダの天敵であるナーガを握っている。 

  この「ガジャシンハ」は カンボジア王国の国章にも使われている。

カンボジア王室の紋章を挟んで 二頭の動物がおり

 
向かって左にいるのが象の鼻を持つ獅子であるガジャシンハで

 
右にいるのがシンハ。


この二頭は 王家のための五層の日傘を捧げ持っている。

 


カンボジア紀行(55) 象のテラス

2014-07-15 | カンボジア紀行

 


バプーオンの入口 北側 に「象のテラス」が 約300mも続いてあるが

果たして 何頭の象が彫られているのか。

 

象のテラスは バイヨンと同じく ジャヤバルマン7世によって

 

12世紀末に建てられた


王族の閲兵用の場所として使われていたが

 テラスの土台・壁に ”象” が描かれていることからこの名が付けらた。

また 北側には 3つの頭を持つ象がハスの花をからめ取っている。

この「象のテラス」の奥は 王宮の塔門へ続き 

手前の道は 一直線に東に1km先「勝利の門」へ向かっている。 

このテラスの北側には 三島由紀夫の戯曲にもなった「ライ王のテラス」が

あったが 見学には至らなかった。

 

 


カンボジア紀行(54) バプーオン寺院

2014-07-14 | カンボジア紀行

空中回廊の先に ピラミット型の寺院が見える。

 

バイヨン寺院の北門を出て 北へ向かう。
 
左手奥に「バプーオン寺院」が木立の間から見えてきた。
 

バプーオン寺院は 11世紀中頃 ヒンドゥー教の神シヴァに捧げられ

 ウダヤーディチャヴァルマン2世 の国家的寺院として築かれ

「隠し子」と言う意味をもつ 3層のピラミッド型寺院である。


バプーオン様式の原型となる。

東塔門から 高さ2mの円柱列に支えられた

200mの長い空中回廊は 中央へと導く参道として

アンコール・ワットと同じように地上と天界とをつなぐ

虹の架け橋の意味もある。
 

見どころは 14世紀に作られたと言われる

西側壁面全体を使って 幅約70m 高さ約3,5mもある巨大な寝釈迦像。

また 階段を登った第2回廊 西側の壁面にある「隠し子」伝説の壁画があるそうだ。

 

 バプーオン寺院脇の聖池


カンボジア紀行(53) カンボジアの気候

2014-07-13 | カンボジア紀行

天候は晴れ 気温は35度を示している。 (10/29 15:00 バイヨン寺院内にて)

 

カンボジアは 熱帯性モンスーン気候に属し 

気温は 年間を通して20度から35度。


ただし 乾季の最も暑い時期は40度以上になる。


季節は、雨季と乾季に二分され 5月から10月までは雨季になる。


雨季は インド洋とタイ湾からの湿った南西季節風が

インドシナ半島に流れ込むため大量の雨が降り
 
特に9・10月は激しいスコールに見舞われる。


乾季は 11月から翌年4月までで 

乾燥した北東季節風によって雨はあまり降らないので
晴れた天気が続く。

なお3・4月は渇水期になるため 最高気温が40度になることもある。

 

今回のカンボジア旅行は 心配していた天候にも恵まれた。 感謝!

 

 


カンボジア紀行(52) バイヨンの微笑

2014-07-12 | カンボジア紀行

 

バイヨン寺院には 四面仏顔塔が49基も林立している。

かつて 観音菩薩(四面仏顔)は 196体(49×4)あったが

今は173体になっている。

観音菩薩は、人々の音(声)を観て(聞いて) 

その苦悩から慈悲を持って救済する菩薩であるので
 
人々の悩みに応じて千変万化の相となるといわれる。


それ故 どれ一つとして同じ表情のものがないものの

 いずれも穏やかな微笑を見せている。

しかし 最近の調査では これは特定の宗教のもではなく
 
つまり 観音菩薩ではなく 
尊顔」としているようだ。
 
その中で最も有名なこの尊顔は


アーモンドアイと厚い唇の表情から造られた

 神秘的な微笑は「バイヨンの微笑」といわれ

その造形美術は クメール独特の美意識によるものとされている。

 

 


カンボジア紀行(51) デバター

2014-07-11 | カンボジア紀行

 

バイヨンにもデバターが彫られている。

バイヨンのデバターは アンコールワットと比べ 顔もユーモラスに表情豊かに

 
また 直立的ではなく 足を大きく曲げて踊る姿に彫られている。

 王様に使える直属の女官としてではなく 

こちらは 正に 踊り子としてのデバターになっている。

  大胆に魅惑的なダンスは躍動感にあふれ 

素材は荒く 密林に囲まれ廃墟に近い中にあって 

ここにだけが なまめかしく

 スポットライトがあてられているようにも思えた。

 

 


カンボジア紀行(50) 後方支援

2014-07-10 | カンボジア紀行

  

  

                     闘鶏の賭け                               亀を尻に噛ませる女!ユーモラスな場面も



ここに描かれているのは 兵士の闘いだけでない。

 他の壁画と違いその戦争に補給役として従軍した一般庶民の姿も描いているは驚きだ。

神話や政治を背景としているアンコールワットの王朝のレリーフよりも

こちらの方は 漁 狩り 炊事 闘鶏 将棋 相撲 出産場面など

 日常的な庶民の生活などが 
生き生きと描かれて親しみがもてる。 

この時代には闘鶏もあったことも分かる。

投網をし魚を捕る  憂さ晴らしの宴会か・・・・

今問題となっているが 戦争には支援部隊が必要なのは明白

 はたして 従軍〇〇〇は?

 

 


カンボジア紀行(49) 第一回廊

2014-07-09 | カンボジア紀行

 

寺院は 第一回廊(外側)は160m×140m 

第二回廊(内側)は 70m×80mの 二層の回廊に囲まれており


第一回廊は、建設当時にあった屋根は 

今は落ちて 開放的なギャラリーになっている。

アンコール王朝にとどめを刺したシャム族が破壊したという。


回廊の高さは 約10mで その壁面は三段に区切られ レリーフが刻まれている。

  

南側には クメール軍の行進が かなり繊細に描かれている

行軍の中には 髪形からクメール兵士と中国などからの傭兵とを見分けることができる。

また 水牛の血の入った酒を飲むと戦いに勝てるとのことで

 水牛が生贄にされる場面もあった。