あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

カンボジア紀行(18) 天国と地獄

2014-06-08 | カンボジア紀行

                     閻魔大王のヤマ神は 18本の手に剣を持ち 牡牛に乗った姿で描かれている。



第一回廊・南面東側には 乳海撹拌に次ぎ 有名な
死後の世界を表した

 西から東に 長さ66m に及ぶ 壁画「天国と地獄」がある。

極楽界・裁定・地獄の上下3層で 時系列的に描かれ 

途中からは ヤマ(閻魔大王)が現れると天国と地獄の2層になっている。

天国は 輿に乗った王族が日傘や団扇 蠅を追う扇を持つ従者を従え整然と行進をし。

扇の数が多いほど 位は上とのこと。


地獄では 舌抜き 火責め 針責め 鞭打ちなど 責めの苦を受ける人々の姿があり

また 閻魔大王に減刑を懇願する人々

 痩せ衰えた亡者が首に縄をかけられて数珠繋ぎになり


象の鼻で逆さ吊りされている亡者など 

見せしめのごとく ”拷問”の数々が描かれている。

あな恐ろしや!
 

 

          下段左に地獄へ落される人たちが見える。 落とされた後は厳しい責めが行われる。

 

 


カンボジア紀行(17) 乳海撹拌

2014-06-07 | カンボジア紀行

 

第一回廊・東面には アンコールワットの壁面浮き彫りの中で

 最も有名な「乳海攪拌」がある。

神々と阿修羅たちが不老不死の薬アムリタを造り出すため

マンダラ山を采配者とし 大蛇を 綱代わりに海をかき混ぜるという。

(てっきり綱と思っていたら”大蛇”そうだ。)

ヒンドゥー教の天地創造の説話が 全長50mにわたり描かれている。

大亀クールマ(ヴィシュヌ神の化身)の背に大マンダラを載せ 

両側から神々(右側)と阿修羅(左側)が大蛇(ヴァースチ)の

胴体を綱として引き合う大綱引き。

綱引きをしながら大海を1000年も続きかき回すと大海は乳色の海となり

当然 1000年もかき回されたら 魚も粉々状態で乳白色になるでしょうね。

 海中から天女アプサラや ヴィシュヌ神の妻となるラクシュミーが生まれ

最後に不老不死の薬「アムリタ」が得られたという神話。

面白いのは 神々は阿修羅に比べて人数が足りなく 

最後尾にはサルの将軍ハヌマーンが加わっている。

また 敵対する神々と阿修羅が 秘薬を造り出すために協力し合っているのだ。

しかし 後に 阿修羅たちは神々に騙されたことに気付き 一戦を交えることになり

最後には戦いに敗れて地獄に追い落とされてしまった。

神様の世界にあっても 悪い者には嘘をついている。 

 人間臭いですね。
 

 


カンボジア紀行(16) デバター

2014-06-06 | カンボジア紀行

 

 

アンコールワットには 高さ約1m 上半身裸の

デバター」(女神)を 数多くみることができる。

その一体一体 顔や薄衣 装飾品が微妙に違い

 何かしら気品が漂って魅力的だ。

しかし 女官や踊り子をモデルとして彫られていて 

たまたまアンコールワットにあるので女神になっている。

この踊り子は カンボジアのアプサラダンス(宮廷舞踊)の踊り手で

天女の舞いを踊る踊り子。

当方には 踊るというよりも 「お・も・て・な・し」の歓迎のポーズで

回廊に招きいれているようにも見えた。 

乳房の部分に光沢がみえるが これは かつては

金箔を貼るため漆を塗っていたのが

長年にわたり人に触れて光っているとか。
 

 


カンボジア紀行(15) 第一回廊

2014-06-05 | カンボジア紀行

 

朝日観賞を終え 聖池脇を通り 回廊左(北西)側階段を登り 第一回廊へ進む。

第一回廊は、東西200m 南北180m の壁には多くの彫刻が施されている。

その主なものは

神々と阿修羅が不老不死の妙薬を手に入れるために

海を千年以上かきまわし続けたという 

ヒンドゥー教の天地創造の物語“乳海攪拌

インド古代の事詩“マハーバーラタ”の戦闘場面

天国 閻魔大王 地獄の責め苦に苦しむ人々を

上下三段に生々しく描いた“天国と地獄

などが彫られているが 
よくも これだけ彫刻したものと感心される。

 

 


カンボジア紀行(14) 朝日観賞

2014-06-04 | カンボジア紀行

    

                                                                  6:28 撮影

 

6時12分 アンコールワットをシルエットに 

東南の方向から 赤く輝く太陽が昇り始める。

一斉にシャッター音が 鳴り始める。

水面に上下対称 鏡に映したように 寺院が浮かび上がってくる。

しかし 今朝は 快晴のため 雲がない! 

写真で見るような 朝焼けに染まる寺院のシルエットは

 残念ながら見られなかった。

快晴過ぎるのも考えもの 

少々の雲は 空の いや”写真の褄”になりますね?

その数分後には  完全に夜が明けて 現実に戻ったように ・・・

 


カンボジア紀行(13) 聖池

2014-06-03 | カンボジア紀行

 

「聖池」には 移り行く日の出の変化ともに 遺跡群を池に映す

“逆さアンコールワット遺跡”を撮る絶好の場所。

当初 日の出を見るのはと 現地ガイドに案内された場所(下写真)だが

たしか 池に映るアンコールワットを 写真で見ていたので ここではないと

単独行動で園場所を探し 当方がこの聖地に辿りついたときは 

既にカメラ持参の人々で埋め尽くされていて 入り込む余地は
ない。

やっとのことで入り込むが ポジション的には気に入らず

また絶好の位置を求めていくが

日の出の時間が刻々と迫り 焦ってしまう。 

この立ち並ぶ人々 皆外国人 カンボジアの人はいない。

アンコールワットは 世界遺産の中で7番目に登録されている

ほとんどの観光客は この光景を求めてきているのでは・・・と思うほど

 

 


カンボジア紀行(12) 夜明け前

2014-06-02 | カンボジア紀行

                       中央は「西塔門」 王朝時代には象を利用し出入りしていた「象の門」が両脇にある。

まだ明けやらぬ暗闇の中 

アンコールワット西参道前の広場でバスを降り

 
徒歩で 両側濠の中 石畳道を 西塔門へ。
 

正に 初日の出詣での気分を想い出す。

東南アジアの多くの寺院は 東向きだが

 アンコールワットは 西向きに建てられ


東西約1.5km 南北約1.3kmの環濠に囲まれ 

幅約190m 長さ約600mもある城郭造りの構造になっている。 


アンコール(王都)ワット(寺)とは“王都の寺”を意味する。

また 中央伽藍は須弥山を表し 周囲の尖塔はヒマラヤ連峰 

そこへと続く真っ直ぐな参道は 現世と天界を結ぶ虹で

 外側の環濠は大海を意味するという。

1992年 アンコール群遺跡の一つとして世界遺産に登録された。

 


カンボジア紀行(11) 入場証

2014-06-01 | カンボジア紀行

 

 ツアー3日目 アンコールワットの朝日観賞のため 4時半起床

ホテルから マイクロバス向かうが

途中 アンコールワットへの入場証の発行所へ立ち寄る。

チケットの受け取りかと思いきや 

窓口で 顔写真撮影のため カメラに向かって笑顔を・・・

数分で 名札ケースに入れられた顔写真付きの1日入場証を受け取る。

こんな所で IT化されており

こんなに早く 事務手続きが行われることに驚き!


入場証の料金は 有効期間により定められている。
 
 1日券 $20

  3日券 $40
  7日券 $60 

チケットには 「ISO14001」とあり ISOに登録しアンコール遺跡も

環境保全のためいの活動をしているが この取得には 上智大学が貢献している。


また この入場券で シムリアップ周辺の遺跡の見学が可能である。

時々 検札もあるので 注意が必要とのこと。

 


カンボジア紀行(10) ホテル(ツアー2日目)

2014-05-31 | カンボジア紀行



ツアー2日目の宿泊は カンボジア・シェムリアップの

パシフィック・ホテル・シェムリアップ」 

空港からの国道6号線沿 市街地の一番手前にあり どっしりとした重厚感が漂い

 客室は 全236室あって 我々の部屋は 広々としてフローリングで高級感があった。


 敷地も広く 中庭には塩水プールもある。

ここで明日と”連泊”になるが 明日は早朝に 

アンコールワットの”朝日観賞”のスケジュールが組み込まれている。

 早々に床へ

 


カンボジア紀行(9) 夕食

2014-05-30 | カンボジア紀行

 

ツアー2日目の夕食は シェムリアップ市内のレストラン「トロピカル

カンボジアまで来て 店の名に反して 何と中華料理でした。

  
ターンテーブル2卓の席に着く 食事の途中 参加者の自己紹介があり 

本日 誕生日を迎えられた方がおられ 皆でハッピーバスディを唄って祝し

 添乗員からは 後ほどプレゼントがあった由。

旅先で 自分の誕生日に ツアー仲間から祝ってもらうなんて 素敵ですね!

 

 


カンボジア紀行(8) 政党

2014-05-29 | カンボジア紀行






















シムリアップ市内にある
「カンボジア人民党」オフィス

 
ここで カンボジアの政党の話題を

カンボジアにおける主要政党は
1979年から1991年にかけて

続いた”カンボジア紛争”の当事者である
カンボジア人民共和国(人民革命党)と

ポル・ポト派を主体とする
民主カンボジア連合政府に参加していた

勢力(クメール人民民族解放戦線
・フンシンペック)の流れを

汲んでおり 紛争当時の
親越(人民革命党→人民党)と

反越(サムランシー党
・フンシンペック→
カンボジア救国党)」の

対立構図が そのまま
現在まで持ち越されている。



2013年の総選挙では、
人民党が過半数を維持したが

、サム・ランシー党と人権党が
合同して発足した
「カンボジア救国党」も

改選時の倍増に近い
議席を躍進した。

   
◆カンボジア人民党は
 1979年に再建された
  カンボジア人民革命党
(1991年10月に
現党名に改称)を
 前身とする政党。

◆フンシンベックは
 正式名称「独立・中立・平和
 ・協力のカンボジアのための
 「
民族統一戦線」。 
 1981年に結成され 
   民主カンボジア連合政府
(3派連合政府)の
一翼を担った。

 


カンボジア紀行(7) カンボジア国旗・国歌

2014-05-28 | カンボジア紀行

                  

  

カンボジアに入国しましたので カンビジアの概要を

国旗は 上から 青・赤・青が用いられ

中央に白いアンコール・ワットを表したものになっている。

現行の国旗は、1993年の王政復興の際に制定されたもので

青=王権 赤=国家 白=仏教徒 を表している。


 カンボジアの国歌は 「王国」。

この曲は カンボジアの民謡を元に 1941年に国歌に制定され

194年のフランスからの独立時に改めて独立国の国歌に採用された。


歌詞は三部構成 第一部 カンボジア国王を

 第二部 古代カンボジアの宮殿の美しさを

第三部 仏教を信奉するカンボジア人を褒め称えている。


しかし この国歌 いくつかの変遷を経ている。


         1970年 シアヌーク国王がクーデターによって追放時には この国歌も廃止。
1975年 クメール・ルージュの政権時は この国歌は復活したが
翌年には 他の曲に置き換えられた。
          1993年 王党派であるフンシンベック党の政権時には またこの国歌は復活した。

 

 

 


カンボジア紀行(6) シムリアップ

2014-05-27 | カンボジア紀行

シェムリアップ市内をゆったり流れる「シェムリアップ川」



世界遺産 アンコール遺跡群の観光拠点 ここ「シェムリアップ」

 カンボジアのシェムリアップ州の州都で人口20万人弱。

首都プノンペンからは 北西250kmにあって 首都に次ぐ都市。 

シェムリアップ川岸に広がる 市街地には6万人の住民がいる。


カンボジアの他の多くの町と同じく 

いくつもの“ワット”(寺院と僧坊)の周りに発展した村が

ひとまとまりになって発展してできた町で 

“シェムリアップ”とは 『シャム(現在の隣国タイ)を追い出す』という意味。


 17世紀に当時のクメール人(カンボジア人)が

シャムのアユタヤ王朝の軍隊に勝利したことに由来するという。

町は 観光が主で 世界遺産を保有することから 

多くの観光客が訪れているが 高層ビル的な建物はない。

それは アンコール・ワットの中央祠堂(高さ65m)よりも高い

建物の建設が規制されていることによる。

 

 


カンボジア紀行(5) カンボジア王国

2014-05-26 | カンボジア紀行

                                          

 

カンボジア王国(通称カンボジア)は インドシナ半島に位置し

 近世においては フランスの植民地であり

 1993年 いままでの他国からの支配からのがれ

 現体制の立憲君主制国歌を確立した。

特に当時 国連の『カンボジア暫定統治機構』代表として

日本人の明石康氏が 大きく貢献している。

その国境として 東にベトナム 西にタイ 北にラオスに接し

 南は南シナ海に面している。  
首都はプノンペン。

国土の面積は18万余km2で日本の約半分 人口約1338万人 


国民の90%以上がクメール語(カンボジア語)を話し 


仏教を奉ずるクメー人である。

気候は 亜熱帯モンスーンで 乾季と雨季に分けられる。

日本との時差は 2時間遅れ。


通貨単位は 「リエル」だが 旅行中 ドルが使えるので

両替することがなくお目にかからなかった。

 


カンボジア紀行(4) シムリアップ空港

2014-05-25 | カンボジア紀行

 

約1時間のフライト 機内でカンボジアへの「入出カード」と「税関申告書」を書き終わらぬ内  

 アンコールワットの南西に位置する 「シェムリアップ国際空港」に到着する。

 遺跡保護のため 原則的に南西側滑走路から着陸し

 離陸は 北東側滑走路を使用しているそうだ。


また 田園の中 こじんまりとしており タラップから降りて

自分の足で 眼の前にある赤い屋根のターミナルへ。


ターンテーブルも 2機しかないが 荷物の受け取りはスムーズにいく。

 
ホーチミンでは 40人乗りの大型バスであったが

 玄関前には ツアー用の20人乗りのマイクロバスが待機していた。

こちらでも大型バスに 18名がゆったりと 乗車できるものと思っていたが

あてが外れた。

なお ここシムリアップでは 大型バスの運行は 

遺跡への影響等が考慮されて 大はばに制限されているようだ。