あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

島根旅行(50) 玉造温泉

2015-02-20 | 国内・島根

 

今夜の宿泊地 玉湯川沿いに桜並木と旅館などが立ち並ぶ

「玉造温泉」に午後5時過ぎ到着。


松江や出雲大社からも近く 観光拠点として利用されており


高級和風旅館が多く見られるが 他の温泉地と違い


娯楽施設はなく 歴史を重んじた落ち着いた温泉街となっている。

歴史的には 奈良時代に開湯と言われ

出雲国風土記にも記載があり 神の湯として知られ


規模 歴史ともに島根県随一で

 城崎 皆生 三朝の温泉とともに


山陰を代表する温泉地となっている。

玉造という名の由来は この地にある

近くの花仙山から産出される良質の青メノウが採掘できたため

この地の人々が玉造を生業としていたことに

由来していると言われている。
 

 


島根旅行(49) 植田正治

2015-02-19 | 国内・島根

  

伝承館の掲示板に「植田正治」が 松江を被写体にしている
ポスターが貼ってあった。

当方が この写真家・植田正治(1913~2000)を初めて知ったのは
2013年に 生誕100年によることから話題としてとり上げられ
NHKで特別番組として放映された
「写真する幸せ ~植田正治・UEDA-CHOの秘密~」であった。

内容は 砂丘シリーズに加え 異色の作品集「童暦」にも着目し
ドキュメンタリー写真が主流となった戦後試みた
「ギリギリの演出写真」をたどり 
目指した写真の神髄とは何かを探っている。

植田正治は 生涯 故郷鳥取にとどまり 
砂浜や砂丘を大きなホリゾントに見立てた
独特の「演出写真」を撮り続け その作風が「植田調」と呼ばれ 
海外でもそのまま「UEDA-CHO」と表記されるほど
世界でその名を知られる写真家となっている。


鳥取県・伯耆町(ほうきちょう)にある「植田正治写真美術館」には
作品が12,000点が収蔵され また館内から大山を真正面に望み
「逆さ大山」を写す人工池がある。
世界最大規模のカメラレンズを設置した映像展示室では
壁面に投影された「逆さ大山」も見られるそうで 
機会があれば是非訪れてみたい館だ。

 

 


島根旅行(48) 聖徳太子

2015-02-18 | 国内・島根

 

館内には 勾玉の歴史がわかる 「勾玉ミュージアム」を併設している。 

その一角に 2001年に NHKで放映されたドラマ「聖徳太子」の
出演者の写真が飾られていた。

このドラマ 残念ながら見られなかったが
NHK大阪放送局の新放送会館完成記念として制作された。

聖徳太子(厩戸皇子)の名は知っていても 人間像は謎とされている。

その生涯を蘇我馬子との政治的対立や
新羅からの武人との友情を交え 壮大なスケールで描かれている。

主演の聖徳太子に 本木雅弘
聖徳太子を摂政にした推古天皇に 松坂慶子
蘇我馬子に 緒形拳
太子の妻となる刀自古郎女に 中谷美紀
物部守屋に 宝田明

 
その出演者の写真とともに
ここで作られた装身具が飾られている。

 


島根旅行(47) まが玉

2015-02-17 | 国内・島根

 

現在作られる最高級の勾玉等は

当方には到底手にすることができない。

    
しかし ここには天皇家に献上された 写しだが飾られていた。

「古事記」には スサノオノミコトが 八岐大蛇を退治した後

勾玉をアマテラスオオカミに献上し 

これが 皇位継承の三種の神器の一つ 

八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
 に

なったといわれている。



 


島根旅行(46) 伝承館

2015-02-16 | 国内・島根

 
 バスは宍道湖畔 玉造温泉の入り口にある

「いずもまが玉の里 伝承館」へ

この地は 勾玉や玉類の国内有数の生産地。

 今も人々を魅了し 不思議な霊力さえ感じさせる勾玉だが

 ふっくらとして丸みを帯びた「出雲型勾玉」を唯一継承し

勾玉製作の技術を継承する職人の技を間近で見ることができる。

また 
職人に直接指導してもらえる 勾玉づくりなどが体験ができるそうで

「見て」「触れて」「体験する」を売りにしている。


 


島根旅行(45) 宍道湖

2015-02-15 | 国内・島根

 

 

バスはさらに進み 右手の山陰本線と並行しながら 

左手に宍道湖をみて 国道9号を東に走る。

この宍道湖は 松江市と出雲市にまたがる湖で

外海とは隔たりが大きいものの 

主に境水道・中海・大橋川を介して接続し

淡水湖ではなく 汽水湖となっている。

周囲約45km 全国で7番目に大きく 魚種が豊富で

特にシジミは 松江を代表する味覚として有名になっている。

もう一つ 宍道湖の名を高めているのは 湖を赤く染める「夕日」で

「日本の夕日百選」にも登録されて感動をよんでいるそうだが

まだその時間ではなく 雲間からの日差しが湖面に輝いていた。



島根旅行(44) 斐伊川

2015-02-14 | 国内・島根

 

 

 出雲大社の参拝を終え バスは一路松江方面へ向かう。 

途中 斐伊川を渡るが

斐伊川は 島根県内を流れる一級河川で

古事記にも ”肥河” として載っており 

日本における代表的な天井川として知られる。

古くから度々洪水があって 

これが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説の元になったともいう。

洪水の原因は 上流が風化しやすい花崗岩質の土地であること

 もう一つに ”採鉄” が原因とも。

洪水は たびたび川の流れを変え 

その都度 流域の住民を苦しめていたため

近世には 川の流れを変えて 宍道湖に注ぐようになっている。

 

 


島根旅行(43) 祖霊社

2015-02-13 | 国内・島根

 

千家国造家よりさらに西方に 大きな瓦屋根の建物がある。

この建物は祖霊社(正式:出雲大社教祖霊社)。


資料によれば その歴史は1875(明8)年に始まる。


前回話題の 出雲大社教初代管長 千家尊福公が 


大国主大神さまが「幽(かくれ)たる神事」を 

お治めになる御神徳を現されることから 

今現世に生かされている人々が亡くなって後も
 
その御霊が安らかに家の守護神として鎮まって戴けるよう

大神さまに安寧をお願いしお守り戴くための葬祭(葬式)を行い

 “御霊さま” に永久に安らかにお鎮まり戴く

時々の追遠のお祭り(法事)を行う処として建立された。

現在 檀家(斎家)は 大社町内外に2000戸以上あり

祖霊社も 他のお社のように 自由に参拝できるそうだ。



島根旅行(42) 千家国造家

2015-02-12 | 国内・島根

 

神楽殿を南に出て すぐ右手に 

出雲大社の宮司にして 出雲国造の千家家の お屋敷がある。

出雲大社 創建以来 天照大神の子の

天穂日命を祖とする 出雲国造家が祭祀を担ってきた。

現在の宮司は 2014年9月7日に 

千家 国麿 氏が 85代権宮司に就任している。

現在は 典子さまも ここにお住まいのことと思います。

宮司の正装の紋様は 

神社本庁の定める黒綾文輪なし 裏同色平絹ではなく


黒綾にご神紋である 二重亀甲剣花角 の文様を 練り込んでもので


他になく 特徴的なものになっている。

 

 


島根旅行(41) 一月一日

2015-02-11 | 国内・島根

 

  

神楽殿の前に「一月一日」の碑があった。

出雲大社第80代宮司 千家 尊富 氏が作詞した唱歌「一月一日」の碑である。

千家尊富氏は宮司を退いてからは埼玉、静岡、東京の知事を務め

司法大臣になった人物で

詩人 歌人としても有名。

刻まれた歌詞を見れば

「年の始めのためしとて 終りなき世のめでたさを

松竹立てて門ごとに 祝ふ今日こそたのしけれ

初日の光差し出でて 四方に輝く今朝の空

君がみかげにたぐえつつ 仰ぎ見るこそ尊けれ」

と自然に 口遊んでいた。

 この 千家尊福 公の像が 勢溜門脇に 

高さ2m 左腰にサーベルをつるし

 
右手に帽子 左手に手袋を持ち ひげを生やし


磨き上げられた銅像があった。

 


島根旅行(40) 国旗掲揚塔

2015-02-10 | 国内・島根

 

神楽殿の前に 大きな日の丸が掲揚されている。

注連縄の大きさや重さも凄いが

こちらの掲揚塔の高さ 47mもあって 掲げらている日の丸の旗は

写真では その大きさはわからないが

日本一大きく なんと縦9m×横13.6mで75畳分もある。

毎日 掲揚されているそうだが 旗の重さも49kgあるそうで

これを担当する人は大変だなと思ったら

電動で行っているそうだ。納得!

因みに 
この掲揚塔は 昭和11年に奉納されて 

現在の掲揚塔は 平成15年に奉納により立て替えられている。

 

 

 


島根旅行(39) 注連縄

2015-02-09 | 国内・島根

 

拝殿にも奉納されていたが 

ここ神楽殿にも 大きく重量感ある注連縄が奉納されている。

長さ13m 周囲9m 重さ5tあって 日本一の大きさだ。

注連縄は「標縄」「七五三縄」とも書くが

神前または神事の場に不浄な物の進入を禁ずる印として

張る神垂(かみしで)をつけた縄のことで

一般的には右縫いの注連縄が多いのだが

出雲大社をはじめ島根県では 左縫いの「大黒締め」といわれ

独特の技法で縫われた注連縄のところが多いとのこと。

 

 


島根旅行(38) 神楽殿

2015-02-08 | 国内・島根

 

 

西の門から川を渡ったところに神楽殿がある。

案内板には「婚儀殿」とあって

一般の婚儀は こちらで執り行われる。

のちに 典子様の婚儀は こちらかと思ったが 拝殿で行われたらしい。

朝夕のおまつりの他 御神楽や御祈祷が奉仕されている。


神楽殿は 1879(明12)年 出雲大社教の創設当時

その教化のために本殿とは別に

大国主大神を祀ったことに由来している。


現在の神楽殿は 1981(昭56)年に造営され

270畳敷き大広間もあって

正面破風の装飾には 神社建築にはめずらしい 

ステンドグラスが使われている。


島根旅行(37) 本殿

2015-02-07 | 国内・島根

左手前が筑紫社で奥に本殿

 
 出雲大社は 実は西側が正面なのだそうだ。

拝殿 八足門と参拝して 

またまたこちらで参拝することになった。

本殿は 高さ24m 日本の神社で最大で

妻入りで九本の柱を田の字型に並べ「大社造」と言われている。

平成25年の「平成の大遷宮」によって修造された。

 遷宮とは 御神体や御神座を本来あったところから移し

社殿を修造し 再び御神体にお還りいただくことだが

その意味には諸説ある。

 
 (1)木造建築の建物を維持していくため

      (2)社殿の建築など様々な技術を継承していくため
   (3)神社は清浄であることが必要なため

 などと言われていまる。


島根旅行(36) 屋根材

2015-02-06 | 国内・島根

 

社務所に 60年間 出雲大社を支えてきた屋根材(ヒノキの皮)の一部が
飾られ その屋根材を使って縁結びのお守りとして売られていた。


このお守り 出雲大社の遷宮が完全に終わる 
平成28年までの期間限定品だそうだ。

御本殿の修造は 大屋根檜皮(ひわだ)の撤去などを経て
新しい檜皮による葺き作業が 平成24年3月に完了し
その
夏に 新しく生まれ変わった御本殿ができた。

 この修造には 震災被害にあった東北地方の木材なども使われ
銅板などは130年ぶりに「ちゃん塗り」と呼ばれる特殊な塗装を施されている。
そして大屋根には 約70万枚もの膨大な檜皮(ひわだ)が敷き詰められた。

因みに 檜皮は防水性に優れ 伝統的木造建築の最高の屋根材といわれている。

出雲大社では 一般の約1.5倍の長さの檜皮が用いられ
御本殿大屋根の面積は 約180坪 軒先の厚さは約1mにもなるそうだ。