あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

インド紀行 173 棺

2016-04-25 | インド紀行

 

廟内中 央墓室 うす暗い中 

透かし窓から差し込む光に浮かぶ 棺が置かれている。


霊廟の四方の部屋には 「シャー・ジャハーン」の


王子「ダーラー・シコー」など 一族の棺が置かれ


中央の広間には白大理石で出来た

「フマユーン」の棺が置かれている。


この棺も、タージ・マハルに置かれていた棺と同じく

仮の棺(模棺 : セノターフ)で

遺体は この真下に安置されている。

 因みに フマユーン王の突然の死は

1556年 宮廷図書館の階段から落ちたことによる。

また この廟には フマユーン王だけでなく

王妃 王子など
重要な宮廷人

150人が埋葬されているそうだ。

 


インド紀行 172 ドーム

2016-04-24 | インド紀行

 

フマユーン廟の屋根には

高さ 38mの白大理石ドームが乗っている。


また 傘のような小塔(チャトリ)も建ち

インド・イスラム建築の 特徴を表している。

ドームの構造については タジ・マハールでも触れ

二重構造になっていることを 話題にした。

外を巨大な建築に見せるためには

内部を小さくしないと 屋根の部分が支えられないため


外側は 巨大にして 内部を空間にして建

築資材の重さを軽減し


内部に再び もう一つのドームを造ることに寄り 

フマユーン廟の 巨大なドームを支えているのだ。

これも タジ・マハール の建築の手本になっていた。

 

 

 


インド紀行 171 水路

2016-04-23 | インド紀行



 「フアユーン廟」には

水路が張り巡らされている。

 そのすべてが直角に配置されて

四方には大きな池も配置され 水の庭園でもある。

やはり インドは暑い国 

見た目と実際に水路・噴水を設け涼しさを求めて


楽園のような庭園をつくりあげたのではないか。

 
更に 池の水面に廟が写り

天地上下のシンメトリーも隠されている。


これは のちのタージ・マハルの

建築にも応用されている。


下の写真は 水をこの板に流すことにより

せせらぎの音を求め 

更にゴミ除けにもなっている?

そのように工夫されているようだ。

 


インド紀行 170 シンメトリー

2016-04-22 | インド紀行

 

手入れの行き届いた庭園に囲まれ

中央にドームをいただいた

シンメトリー(左右対称)のフマユーン廟だが


水面に映り込むと 天地上下対称にもなる。


シンメトリーの廟は

白大理石と赤砂岩のコントラストが大変美しく


四方のどこから見ても 

同じ形に見えるように設計され


インド初のムガール様式といわれ 

帝国初期のインド・イスラム建築の

傑作と称えられている。 

 

追:
 インド南部では ここ数週間 
気温が45度を超す熱波に見舞われ
熱中症などにより160人以上が
死亡したというニュースがあった。

犠牲者の多くは 屋外労働者だという。
 さらに 深刻な水不足にもなっており
 今後 脱水症状などで死亡する人が
多く見込まれるという。 

 


インド紀行 169 フマユーン廟

2016-04-21 | インド紀行

 

西門をくぐって 池から伸びる水路の先 

正面に「フマユーン廟」が現れた。

10万㎡以上もある敷地の中央に

90m角の基壇が設けられ その上に霊廟が建ち


どっしりと構えている。

この「フマユーン廟」は 

フマユーン皇帝の妃 ハージ・ベーガムによって


9年の歳月をかけて 1570年完成した。

 ペルシアの影響を大きく受けて

インド産の赤い砂岩が巧みに取り入れられ


白い大理石を組み合わせたコントラストが

簡素で美しいと評価されている。


建設以前は 墓を作る習慣のなかった

インドに初めて造られた

本格的なイスラムの霊廟建築で


“庭園の中の廟”ともいわれる最初の建物。


後に建てられた タージ・マハル の手本にもなった。



 

 


インド紀行 168 フマユーン廟・西門

2016-04-20 | インド紀行

 

紅茶店から サウスデリー地区 

ヤムナー河よりにある「フマユーン廟」へ。

 先ず 廟への西門へ向かう。

この門 他にあまり見られない

3曲の屏風のように建つ。


「フマユーン廟」は ペルシア出身の

建築家の親子 2人によって

9年の歳月を経て 完成されたという。


その建築は ムガル帝国の廟建築の

原型を示すといわれている。

1993年 世界遺産に登録された

 

 


インド紀行 167 紅茶

2016-04-19 | インド紀行

 

今度 案内されたのは 市内にある 紅茶販売店

インドは スリランカと並んで

世界最大の紅茶生産・輸出国である。

特にインド北東部では

アッサム・カチャール・ダージリン・ドアーズ地方で

良質な紅茶が生産されていることで有名だ。

店内では 流ちょうな日本語で 紅茶の説明があり

「自社プラントの栽培だから 安心で安全だよ

その分 値札は高いが 

店員に相談してください。」とのこと。

当方は試飲の紅茶を飲みながら 店内を見渡せば

 壁に日本人の写真が飾ってある。

よく見れば 有名芸能人や音楽家で

この店に訪れているようだ。

これも 宣伝材料になっているようです。

 


インド紀行 166  タタ・ノア

2016-04-18 | インド紀行

 

前回 TATAに触れたが

さらに 市内で走る タタ・ナノの車を見た。

2008年 タタ・モーターズが

売り出した 小型乗用車だ。

インドでの自動車普及を目指し

10万ルピー
(発表当時のレートで約28万円)と


驚異的な廉価での販売ということで

世界的ニュースになった。


ナノ以前で インド最安価だった 乗用車は

マルチ・スズキ・インディアの「マルチ・800」で

価格は 20万ルピーだった。


インド紀行 165  TATA

2016-04-17 | インド紀行



クトゥブミナールの見学終えて

 デリー市内を走る「TATA」のバスをみる。

日本でバスの生産といえば 三菱 いすゞ 日野になるが

TATAは ムンバイに本社を置くインド最大の自動車会社

タタグループを構成する主要企業のひとつであり

インド国内のほか タイ アルゼンチン

南アフリカにも生産拠点をもつ。


データは 2005年と古いが 

商用車のバス・トラック部門では世界5位。


インド国内では商用車のシェアの60%を持っている。

乗用車分野への進出は 

後発ながら インド国内第2位のシェアがある。


1位は マルチ・スズキ・インディア。

 

 


インド紀行 164 イーマム・ザミーン廟

2016-04-16 | インド紀行

 

こちらは トルキスタンの聖人を祀る

「イーマム・ザミーン廟」

 1538年 フマユーシ帝の時代に

造られた初期ムガル建築の霊廟だ。

西側の壁にはメッカの方向を示す

ミフラーブが造り付けられ 

入口上部には建物の歴史が

アラビア語で書かれている。

 

写真は 12本の壁柱に支えられた

八角形の基部に支えられたドーム。

見ようによっては 蜂の巣を思わせる。

 

 


インド紀行 163 クワットゥルイスラムモスク

2016-04-15 | インド紀行

 

こちらは「クワットゥルイスラムモスク」

27以上ものヒンドゥー教や

ジャイナ教の寺院を取り壊し

 
残骸を再利用し建てたモスクだ。

ハスの花やアラベスク模様など

多彩なデザインが
混在させた

インドとイスラム建築が

融合された建築になっている。

 

クトゥブ・ミナールとこれら諸宗教のモスク

 寺院の複合建築群を含めて

世界遺産に登録されている。

 

 


インド紀行 162 ビュースポット

2016-04-14 | インド紀行

 

 

ガイドが ビューポイントがあると

案内されて見る クトゥブミナールと鉄柱。

 しかし このクトゥブミナール

 南側の広場から全容を見ると

イタリアのピサの斜塔と同じように

少々傾いているのがわかるそうだが

当方には分からなかった。

ま~ よく見ないとわからない程度のようだ。

 

 


インド紀行 161 錆びない鉄柱

2016-04-13 | インド紀行

 

クワットゥルイスラムモスクの前に

黒光りのする”鉄柱”が立っている。

グプタ王朝時代の4世紀に建造された

高さ7m 重さ6トンのチャンドラヴァルマンの鉄柱。

今は ただの鉄柱だが

創建当時は 天辺にヒンドゥー教の

ヴィシュヌ神を乗せた ガルーダ(神鳥)の

彫像があったといわれている。


1500年経った 今でも錆びがないのは

鉄の純度が100%近くあって

世界七不思議の一つにもなっている。


また この鉄柱に背中をぴたりとつけ

後ろに両手を回して 指先がつけば

幸せになれるとの 言い伝えがあるようだ。

でも 鉄柱は 囲いの中にあった。


 

 


インド紀行 160 幻の塔

2016-04-12 | インド紀行

 

 

こちらは 建設半ばで放棄された

“幻の塔” アラーイー・ミナールになっている。

 

クトゥブ・ミナールより2倍高い塔を建てようとした

アラウッディー王が作った基礎部分だが。


戦乱により暗殺されてしまって

その計画は幻となってしまった。

完成すれば 

インドで最大のイスラム塔になるはずだった

 


インド紀行 159 最先塔

2016-04-11 | インド紀行

 

創建当時のミナールは

7層で 高さが 100mほどあった。

しかし 現在はそれよりも先端部分が

25mばかり低くなっている。


それには 1803年の地震による

飛行機が接触した 人為的に破壊した

または 落雷によるなど 諸説あるようだが

落雷説が有力のようです。

 しかし 写真では 飛行機によるかと思わせるようだ

また 911のアメリカ同時多発テロ事件の

ツインタワーを思い起こすほどだった。

 
塔の内部には 378段の螺旋階段があるが

自殺の名所となったため

今は 上ることを禁じられている。