あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

インド紀行 158 バルコニー

2016-04-10 | インド紀行

 

 

塔は5層で 3階までは赤砂岩

その上の2層は 大理石造りである。

その層との間には バルコニーに設けられていて

各層それぞれ違う デザインになっている。

ジグザクに塔を囲んで全体像に

アクセントを プラスしている。

塔を円状に飾るのは 

イスラム教の代表的装飾である コーランの聖句 


アラビア文字で びっしり刻まれている・

また 1から3層の壁面を垂直に伸びる柱は 

円柱と角柱を組み合わせて

異なる印象を与えている。

 


インド紀行 157 クトゥブミナール

2016-04-09 | インド紀行

 

 

デリー市内に入り 

デリーの三大世界遺産の一つ

「クトゥブミナール」へ

 クトゥブミナールは 市中心部から南にあり

イスラム王朝時代の記念碑的ミナレット

直径14.5mの基壇の上に聳え立つ

72.5m 5階層である。

最初の3階は赤砂岩

その上は大理石と砂岩で作られている。


インド最大の石造建築物といわれ 

1993年に世界文化遺産に登録された。


奴隷王朝のスルタン

クトゥブウッディーン・アイバクが

ヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して

1193年に建てたものであると同時に

礼拝時間を告げる告知塔でもあった。

 

 

 


インド紀行 156 家電事情

2016-04-08 | インド紀行

 

デリーに近くになるにつれ 商店が多くなってきた。

その中 家電の販売店の看板が並ぶ。

ほとんどが 情報家電 白物家電の日本企業の名だ。

中国への売り込みに続き 

ここインドへも進出しているが 


今は 韓国や中国製品進出に押され

その売り上げは 押され気味とか。

今までの日本企業は 

日本で売れて物を このインドで売っていたが

韓国の企業は 

インド人の嗜好に合わせ

カスタマイズした製品を

売り込んでいるのが その理由とか。

 


インド紀行 155 GOOGLE

2016-04-07 | インド紀行

 

 

デリー向けて 8号線沿いに

「goog
le」のビルを見る。

そう 昨年 グーグルインド出身の人が

グーグルのCEOに就いたと

ニュースがあったことを思い起こした。

そのCEO サンダー・ピチャイ氏は

1972年 インド・チェンナイで生まれた 43歳の若さだ。


インドは 世界屈指のIT立国になっており

ピチャイ氏も 学んだ インド工科大学は


MITなど欧米の有名大学の教育水準をしのぐという。

幼稚園から理数の教育がなされ 

更にIT授業もあって 

優秀な学生は 海外留学している。

こんな土壌のなか 即戦力となる 

優秀な人材が輩出・供給され 

グローバル企業に就職し

海外で活躍しているのだ。

 

 

 


インド紀行 154 HERO

2016-04-06 | インド紀行

 

 

インドの二輪車市場でのトップシェアを誇る

「ヒーロー・モトコープ」の工場が見えてきた。

 1984年 インド最大規模の自転車メーカー

ヒーロー・サイクルと日本のホンダとの

合弁会社「ヒーロー・ホンダ」を設立し

インド最大手のオートバイメーカーに成長したが

2010年末、海外拡販を志向するヒーローと

インド国内での拡販を目指す ホンダの思惑の違いにより

合弁が解消となり 

2011年に 現在の社名に変更している。

     「HERO HONDA」

 

 

 

 

 


インド紀行 153 工事現場

2016-04-05 | インド紀行

 

 

日本では考えられないような

道路工事の様子だ。

安全柵 警備員の配置もなく

工事の最中でも通行を許し車は行く

良くも事故が起きないものだ、

 しかし 先日の3月31日 

インド東部のコルカタで 

建設中の高架橋の一部が

約100mの高さから崩落し

通行中の車や歩行者が下敷きになって


二十数人が死亡したニュースがあったが

 

高架橋の工事現場


インド紀行 152 工業団地

2016-04-04 | インド紀行

 

 

デリー向かって国道8号線を行く。

途中 ラジャスタン州「ニムラナ工業団地」の看板を見る。

 このニムラナ工業団地は 

デリーの手前約120kmにあって

日本企業専用の工業団地として整備されており

更に第2期整備も行われている。


2006年7月にジェトロを通じて日系企業への分譲を開始され


2015年現在 不二越(NACHI) ダイキン

豊田合成など46社が進出している。

因みに 更にデリー向けて国道8号線沿いには 

ギロット パワル マネサールと工業団地が並ぶ。

また 2011年現在 インドに進出している

日系企業の数は672社にのぼり


2006年に比べ2・7倍に増えている。

                   ベアリング事業を展開するNACHI(不二越)

 

 


インド紀行 151 路上生活

2016-04-03 | インド紀行

 

ツアー5日目 

約2時間 200km先の デリー に向けて 出発する。 

 途中 街中で路上生活者を見る。

朝食を摂っているところかな?

途中では 歩道に敷物もなく 

死人のように 直に寝ている人も見たが


こちらは完全に 道路を住居代わりにしている。

テント 水がめ かまど ベット まであり

生活用具一式が 揃っているようだ。

日本では 四季があって こんな生活はできないが

インドの気温は 夜になっても 寒さは感じられず 

温暖であるから できるのかもしれない。

また 当然 排泄行為も同様なんでしょう。

しかし こんな生活していても お咎めはないのだろうか

当然 お咎めがあれば こんな風景はないでしょうね。

ここにも カースト制の影があり 

各層によって 職業・結婚・交際・慣習や居住地域までが

厳しく 決められているが 

それ以下のアチュート(不可触民)といわれる

最下層の人たちは 路上で生まれ

一生 路上で生活し

路上で 死んでいくといわれている。



インド紀行 150 チェス

2016-04-02 | インド紀行

 

ホテルの片隅に大きなチェス盤に
チェス用の人形等が並べられている。


何故ここにと 思ったら 
チェスは インドが 発祥だった。

資料によれば
このチェスの起源には 諸説があるが
一般的には 古代インドの戦争ゲーム
チャトランガ が起源であると言われている。


日本においては 同じチャトランガ系統のゲームである
将棋の方が チェスよりも遥かに競技人口が多く
両者は 基本的なルールが似ていることから
チェスは 西洋将棋と訳されることもある。


一方で チェスと将棋は チャトランガが
異なるルートで 東西に伝播し
それぞれ異なる変遷を遂げたものであるとされ
盤の広さや 駒の性能 取った駒の扱いに
関するルールの違いなどから
両者は 似て非なるゲームであるとも評される。

チャトランガとは サンスクリット語で
「4つの部分」を意味し 四人制ルールもあったが
二人制のルールでは 象 馬 戦車 歩兵が
軍隊を構成していたといことで 
これらを形どった駒が並んでいたのだ。

 

 


インド紀行 149 夕食

2016-04-01 | インド紀行

 

 

夕食は レストラン「マーブルアーチ」で

当方も ダンスショーのあと高揚し 

また 今夜はインド最後の宿泊になる

ビールは 一番有名なキングフィッシャーをオーダーする。

料理の種類も多く カレーは食傷気味だが 美味しかった。

ツアーでは 珍しいことに 特に調理長自ら

お出ましいただき 料理の説明があった。

 

 


インド紀行 147 ラジャスタンダンス

2016-03-30 | インド紀行

 

   



 夕食前 ホテルのレストラン

 「マーブルアーチ」前にある中庭で


 ラジャスタンダンスのショーが行われ

 舞踊ステージ周りに用意された

 椅子に座って見学する。


 ラジャスタンダンスとは

 ラジャスタン州の民族舞踊のこと。


 足に鈴をつけて踊るのが特徴で 

 カラダをツイストしたり 

 揺らしながら音楽に合わせて軽快に踊るが

 今夜のダンスは 頭の上に壺をいくつも積み重ねて

 踊る女性たちのダンスで

 ひとつずつ壺を足しながら踊るが

 2拍子のリズムで乗りが良い 

 最後には 6つの壺が頭上にあった。



  

 

 


インド紀行 146 ジャイ・マハル・パレス

2016-03-29 | インド紀行

 

 

ツアー4日目の宿泊は ジャイプールの

「ジャイ・マハル・パレス」 

インドの高級ホテルチェーン 

タージグループの宮殿ホテルのひとつ。


18世紀中盤に建てられた

州大臣の公邸を改装したホテルで 


館内は すべてフロアは大理石張りで

豪華な家具や調度品が並ぶ。


客室は 
赤と青を基調とした部屋があるが 

我々は 青の部屋であった。


部屋のカーテンを開けると 

手入れの行き届いた 大きな庭が目の前に広がるが


敷地は広く 外の景色が見えないように考えられており


街の喧噪からも 遮断されている。



インド紀行 145 風の宮殿

2016-03-28 | インド紀行

 

 

シティ・パレスの見学を終え 

旧市内にある「風の宮殿」(ハワー・マハル)へ

この建物も シティ・パレスの一部で 1799年に

ジャイプル 5代当主プラタプ・スィンにより建てられた。


ピンク色をした砂岩を外壁に用いた 5階建ての建造物で

953の小窓が通りに面している。


当時 イスラムの影響を受け 

姿を見られることを禁じられていた宮中の貴婦人たちが

宮殿から続く細いトンネルを通ってこの風の宮殿に来て

この小窓から 自らの姿を外から見られることなく

街の様子を見たり 祭を見て楽しむことが

できるようになっている。

また この多くの小窓と 透かし彫りを通して 風がとおり

暑さ対策が施されている構造となっていることが 

この宮殿の名前の由来ともなっている。

正面から見ると 幅広く奥行があるように見えるが

実態は 厚みのない屏風のような建物となっている。

 

 


インド紀行 144 蛇使い

2016-03-27 | インド紀行

 

 

宮殿を出たところに人だかりが

その中に インドコブラを操る ”蛇使い” がいた。

さすがに 獰猛なコブラなので遠巻きに見ている。 

かつて日本の芸人「東京コミックショー」の

蛇使いのコントを思い起こしたが・・・。


ウィキペディアによれば 

「コブラの動きは、笛の音で反応してものではなく、

蛇使いが足でカゴを叩く振動や目の前で

笛の動きに反応している。

インドが発祥で 数十万人もの蛇使いがいたが、

2000年代後半からインド当局が

野生生物保護法の適用が厳格化し

コブラの捕獲が事実上不可能となり

また 警察による摘発も進んだため、

2010年代に入るとインド国内からは

急速に姿を消している。」という。