西念寺 (新宿区若葉2-9)
11月4日は 服部半蔵が亡くなった日
服部半蔵は 戦国時代から江戸時代に
かけて松平氏から徳川氏の麾下で活躍し
代々「半蔵」を通称の名乗りとした
服部半蔵家の歴代当主。
なお、忍者だったのは
初代半蔵の保長だけであり
2代目以降は
忍者ではなかったといわれる。
1596(慶長元)年11月4日死去
説明文には
「新宿区指定史跡
服部半蔵の墓
昭和59年(1984)7月6日指定
服部半蔵(1542~96)は、
本名を正成といい、
徳川家康の三河以来の旧臣で、
家康16将の1人に数えられる武将である。
「鬼の半蔵」として知られ、
元亀3年(1572)三方ヶ原の戦い、
天正18年(1590)小田原攻めで
功をあげ知行8千石を賜り、
同年の家康の江戸入府後は、
江戸城西門近くに居を構え、
城の警備等にあたった。
半蔵門の名は彼の名に由来する。
半蔵は、天正7年(1579)
家康の長男信康が切腹する際
介錯役を命じられた。
しかし、これを果たせず、
晩年、信康の菩提をとむらうため
麹町清水谷に庵を建て、
西念と号し、仏門に帰依した。
文禄2年(1593)には
家康から寺院を
建立するよう内命をうけたが、
慶長元年(1596)11月、
55歳で没した。
西念寺は、半蔵の没後完成し、
寛永11年(1634)江戸城の
外堀拡張・新設の際現在地に
移転したものである。
平成17年2月
新宿区教育委員会」