あかない日記

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小説家 森鴎外 8 根津神社

2022-08-13 | 人物忌


 根津神社(文京区根津1丁目) 神橋と楼門

 
  (中央公論Adagio 16号)



1706(宝永3)年 
根津神社現社殿が造営された。

五代将軍徳川綱吉が、
綱豊(六代将軍家宣)を世継ぎとしたとき、
その産土神として、
団子坂北の元根津から、遷座した。

 

「青年・ 壱」に根津神社の描写がある。

「坂を降りて左側の鳥居を這入る。
花崗岩を敷いてある道を根津神社の方へ行く。

下駄の磬のように鳴るのが、好い心持である。
剥げた木像の据えてある随身門
から内を、
古風な瑞籬(たまがき)で囲んである。
故郷の家で、お祖母様のお部屋に、

錦絵の屏風があった。その絵に、
どこの神社であったか知らぬが、
こんな瑞垣が
あったと思う。
社殿の縁には、
ねんねこ絆纏の中へ赤ん坊を負って、
手拭の鉢巻を
した小娘が腰を掛けて、
寒そうに体を竦めている。
純一は拝む気にもなれぬので、
小さい門を左の方へ出ると、
溝のような池があって、
向うの小高い処には常磐木
の間に
葉の黄ばんだ木の雑った木立がある。
濁ってきたない池の水の、
所々に
泡の浮いているのを見ると、
厭になったので、急いで裏門を出た。」

 

 

 「我武維揚」とある

 

陸軍軍医であった鴎外が
日露戦争の“戦利砲弾”を

奉納した時(1906・M39年)の台座が
水飲み台として置かれている。
その裏面には
「陸軍医監 森林太郎」の刻字が見える。

 

  

境内にある「文豪憩いの石」は

  鴎外や漱石が腰掛けたと言われる。