あかない日記

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信州紀行 軽井沢23 三笠ホテル3 晩餐会

2020-02-06 | 国内・長野

 

「軽井沢の鹿鳴館」とも
呼ばれた三笠ホテル

当初は外国人の利用が
主であったが 
次第に近衛文麿、
大隈重信、澁澤榮一
団琢磨など日本を代表する
政財界人や文人墨客などが
滞在するようになる。

そんな様子の写真
「三笠ホテル 晩餐会」が
ロビーの壁に飾られている。

Web上の写真には 
出席者全員が写っている。

右側から

①西尾忠方
 (ただみち・1884-1958)
 華族、子爵
   東京帝大卒、政治家、実業家

②近衛文麿夫人〔千代子〕
   毛利高範子爵の次女

③徳川慶久夫人〔實枝子〕
   (1891-1933・1908結婚)
    有栖川宮威仁親王の次女

 徳川慶久(1884~1922)は
       徳川慶喜の七男、公爵

④里見 弴(1888~1983) 小説家
  弴の妹・有島愛は
    旧三笠ホテルの経営者 山本直良の夫人

⑤有島 武郎 (1878-1923) 
   小説家、里見 弴の実兄 人妻と心中

⑥毛利高範子爵夫人
  〔後妻 井伊直威の娘・賢子〕

 夫・毛利高範(1867-1939)華族、
  子爵、貴族院議員、
  毛利式速記術の創始者 

 ⑩長女・久子 :黒田長和夫人
 ②次女・千代子:近衛文麿夫人
    (1896-1980)

    三女・泰子 :近衛秀麿夫人
      (1920結婚・1956離婚) 

⑦徳川義親(1889~1976)
  植物学者、公爵、貴族院議員、
  尾張徳川第19代目当主

⑧山本直良 (1870-1945)
  旧三笠ホテルの経営者

⑨黒田長和(ながとし・1881-1944)
  華族、男爵、衆議院議員

⑩黒田長和夫人〔久子〕
  毛利高範子爵の長女

⑪近衛文麿 (1891-1945) 公爵、政治家
⑫山本直良夫人〔愛〕
 有島武郎・里見弴の妹

 (*ホテルの写真には写っていない)

  


信州紀行 軽井沢22 三笠ホテル3

2020-02-05 | 国内・長野

ロビー

 

「じゅうたん」(複製) 図柄
色等は当ホテルで長く
使われていたものを京都西陣で
複製した。

「ソファー」(修理・復元)
従来からのソファー修理、復元。

ひじ掛け、背もたれ等の
ふくらみに馬の毛が入っている。
布地はフランス製。

 

天井から下がるシャンデリア

 

説明には  1906(明治39)年の
開業当初からのもの。

最初はアセチレンガスを使用
ホヤにガラスの使われていた
時もあった。




暖炉とピアノ

      


三笠ホテルのロゴは
山本直良の義弟で
画家・有島生馬
(1882~1974)がデザイン。



どっしりとしたカウンター

 

 


信州紀行 軽井沢21 三笠ホテル2

2020-02-04 | 国内・長野

八角の塔屋と非対称形が
荘厳さを表している。

 

大勢の政財界人などに利用され
「軽井沢の鹿鳴館」
とまで言われたが

経営は赤字続きであったという。

1925(大正14)年には
山本直良は経営権を

明治屋社長の磯野長蔵
(1874~1967)を譲っている。

その後も 赤字経営は
変わらなかったようだ。

1941(昭和16)年から始まった
太平洋戦争で
日本の戦局が不利に
傾き東京での空襲が始まると

万平ホテルがソ連、トルコ、
ドイツ大使館などの疎開先となり

軽井沢は 各国大使館・公使館の
疎開先となった。

三笠ホテルにも
外務省軽井沢出張所が置かれ

昭和19年から20年まで
休業することになった。

更に敗戦後も国内のホテルと
同様、米軍に接収された。


1952(昭和27)年 
接収解除後は、万平ホテルの
山名傳兵衛が
支配人となり
「三笠ハウス」として再開し

1970(昭和45)年に
廃業されるまで使われた。

その後 建物は日本長期信用銀行
(現新生銀行)の所有となり

1980(昭和55)年 
軽井沢町に寄贈された。

なお、その間に建物は
約70m南から現在地まで曳家され

保存修理工事が行われている。

 

明治以降の近代日本の著名な
建物が消えつつある中にあって

1905(明治38)年に
建築された三笠ホテルは

木造純西洋式ホテルとしては
札幌にあると豊平館
(1880・M13)に次ぐ

古い建物として高く評価され
1980(昭和55)年に国の
重要文化財に指定された。

1983(昭和58)年から
一般公開され
軽井沢町の
観光名所の一つになっている。

 

現在の玄関に直接して
2階への階段があるが

かつてはロビー側に玄関があった。

 


信州紀行 軽井沢20 三笠ホテル

2020-02-03 | 国内・長野


旧三笠ホテル  

 

 

旧軽井沢ロータリーから
北に一直線上に延びる道
 「三笠通り」

新日本街路樹百選にも
選ばれている。

その途中に
「旧三笠ホテル」がある。

旧三笠ホテルは
1906(明治39)年から
1970(昭和45)年まで

営業していた三笠ホテルの
建物の一部を軽井沢町が
保存・公開している施設。


追:耐震補強と
保存補修工事のため
2020年から数年間 休館する。

三笠の名は 
敷地前方の愛宕山が奈良県の
三笠山に似ているところから

有馬生馬、里見弴らによって
付けられた。


“西洋文明の薫り漂う旧三笠ホテル”

三笠ホテルは
東京帝大農学部卒で

日本郵船や明治製菓の
重役を務めていた

実業家 山本直良
(1870-1945)によって

1904(明治37)年着工し
2年後の1906(明治39)年
創業された。

当初 山本直良は 
軽井沢に25万坪の土地を
求め牧場経営を計画するが

土地が適さないことから
これを断念、代わって
ホテル経営を計画している。


なお 作曲家・山本直純
(1932-2002)は 
山本直良の孫にあたる。

この純洋式ホテルは
設計・監督・棟梁が
すべて日本人で

施工も地元の人々が
担当している。

その特徴は 
デザイン的にも優れた技巧が
随所に施されとり

湾曲したブラケット(腕木)
で支えられた軒

太い縁取りの窓枠と
幾何学模様のガラス窓 

階段の手すり 鶴と松を
組み合あせた浮彫の
カーテンボックス等

設計は 岡田時太郎
(1859~1926)が担当するが

辰野金吾の下で
日本銀行本店建設工事に
従事した経歴を持ち

後年は満州で事業家として
活躍した建築家である。

茨城県牛久市の
牛久シャトーの設計者でもある。

牛久シャトー(1903築)