アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

結局、中庸が吉かと

2014年02月19日 | 生活
昔の(またろうが赤ん坊だったころ)常識に従えば、アレルギー予防のために、怪しいもの(卵、牛乳など)の離乳食はできるだけ遅めにするのがいいって話だったんですよね。

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さらには、妊娠中や授乳中にそういうのを避けるという話もあって、まじめでストイックな人ほど「○○断ち」をしていることがありました。

で、私はまじめでもストイックでもないので、なんでも普通に食べてましたが…

10年以上経って常識も変わると、あれは意味がなかったということになり、あまつさえ、離乳食に入れるのを遅らせたことにより、アレルギーを助長したかもしれないってことになるのは、なんだか切ない。

私が、くだんの記事
食物アレルギー そば・ピーナツ 母親9割が離乳食で与えず 環境省調査
を読んだとき、どういう違和感を持ったのかっていうのは、なんだか、説明しにくいんだけど、

…うん。もちろん、常識が変わったんなら、それは大いに広報してほしいと思うし、現状が旧来の常識に従ってしまっている実態も、調査で明らかにするのはいいと思うよ。でもね…

まず、見出しにくるのが、「母親…与えず」。記事中も、「母親の年齢が高いほど離乳食の開始時期が遅い傾向にあった。」「中でも、そばは88%、ピーナツは95%が1歳を超えても食べさせていなかった。」などと続く。

そしてそれを、専門家コメントで「食べさせる時期を遅らせても食物アレルギーの予防効果はない」「摂取開始時期が遅い方がアレルギーとなりやすいことが示されている。」とばっさり切る。

母親の無知蒙昧か怠惰が望ましくない現状を引き起こしたといわんがばかり。専門家コメントで切るべきは、その心得を世間に流布した過去の専門家じゃないんですか??
(そのほか、母乳だったら母親に決まってるけど、離乳食だったら母親って決まってないだろうが!! というツッコミも入れたいがそれはさておくとする)

上記の私の反応を、妙に防衛的、妄想的だと思う人もいるかもしれないとは思うけれど、子どものあれこれを何でも母親のせいにされてきた黒歴史がどうしようもなくそうさせるんです。別に私のオリジナルではなく、不出来だったり病気を持っていたり何かしらツッコミどころのある子を持った母親が広く持っているトラウマだと思います。「まぁ、かわいそう」みたいな(以下略)

それでね、改めて思うことは、何か新常識が言われたときに、それにあんまり素直についていくのはやめよう、というか、極端に従うのはやめよう、ってこと。

何かばっかりたくさん食べるとか、逆に、何か絶対食べないとか、もちろん食に関してだけでなく生活全般についてだけど、極端なこと、不自然なことを奨められて、それに従うのは危険だと思う。常識が変わったときに裏切られるから。自分の内なる「あたりまえ」からあまり大きく逸脱してまで何かガンバル、のはやめておこうってこと。もっとも、自然や本能から遠ざかっている「自分」の感覚がどこまで信頼できるのかって問題はあるんだけど。

幸い、我が家の離乳食については、保育園でやってもらってた部分も大きいし、自分でもあまりまじめじゃなかったから、どっち向きにも極端でない線でおさまっていた。(けどねぇ、そもそもピーナツってわざわざ離乳食に入れなくないですか?)


(参考:離乳食の開始時期)
授乳・離乳の新ガイドラインの表1、表2を見ると、時代の変遷がわかって興味深い。

昭和60年といえば、私が子どものころ(←嘘)。平成7年といえばまさに私の子育て期にあたる(こっちはほんとう)が、ずいぶん後シフトしているのがわかる。そしてさらにその10年後には、その傾向が強まっている。

私が赤ん坊のころの数字も見てみたい。母から聞いた話によると、そのころは「より早く」がよしとされる時代(高度成長期?)だったので、「もう○○まで食べさせている」が母親同士の微妙な自慢のようなものだったりしたとか。それも困るわねぇ。

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コメント (6)
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