こんなにピアノが好きになるんだったら、あんなに早いうちにピアノやめなくてもよかったのにねぇ…
中学受験で忙しくて、とかならまだわかるけど、まったく忙しくもなんともない小学三年生。はやっ!!
←合唱は嫌いじゃないが自分の声は嫌い(笑)
それから、ヤマハでピアノを再開するまではるばる30年間。
30年間、というとブランクとして長すぎるようでもあるが…っつか長いが…
それに、ピアノを止めるにしてもそんなチェルニーもインベンションもやる前にやめちゃうとなんにも残らないという説もあるが…
でも自分では、まぁなんとなくだけど、バイエルからブルクミュラー25番まで(+エリーゼのために)だけでも、それをやってあったのとまったくなくて大人からやったのではたぶんかなり大きく違っていただろうと思っている(別に大人から始めるピアノが楽しめないというような意味ではまったくないが)。
ちゃんとつながっていると感じる。
でももしかすると、「つながっている」度合がわりとしっかりしているような気がするのは、この30年間に音楽そのものから離れていたわけではないことが効いているのかもしれない。
たぶん、大きな効果があったことのひとつは、「合唱クラブ」である。
これは、小学校の正課クラブで、週一回、授業1コマ分でやるだけなのでいわゆる部活的な重みとはまったく違うけれど、とにかく小学校5年生と6年生のときは「合唱クラブ」に所属していた。
声変わり前の年齢なので、男女合わせてもソプラノとアルトの2パートのみ。
指導者は、学校の音楽の先生(音楽の授業で教わってた先生と同じ)。この人は、小学校の音楽教師としてはなかなか変わった人で、なにしろ自分では「ひと声」も歌わない。決して!! 見本が必要なら誰か指名して歌わせる。よほど自分の声が嫌いなんだろう…
一方、ピアノはめっちゃうまくて、伴奏なら自在にこなすし、というか作曲が本職(?)らしくて、音楽之友社から合唱曲集も出てたからプロである(あれ? 公立小の先生との兼業はありだったのかな??)
私が在学してたころ、その先生は、ちょうどその小学校のために「月のうた」という合唱の小曲を毎月ひとつ作っていた。その先生が書く合唱曲は、伴奏が凝ってておしゃれで、私はけっこう好きだった。
その曲の発表は、お昼の校内放送で行われる。放送室は狭いので、合唱クラブの子がみんなでぞろぞろ行くわけにはいかない。ソプラノとアルト各1名で代表して行って歌う。
このとき、必ずアルト代表として行っていたのがなんと私だった。声がよかったわけでも歌がうまかったわけでもなんでもないが、ただ、譜面が読めて、アルトを歌わせても音程とリズムがずれない人材がほかにいなかったからである。
ともあれ、大勢で2パートに分かれて歌う…2人で歌う…ソプラノを聞きながらそれに合わせてアルトを歌うという経験がたくさんできたことはとてもとてもよかった。しかも指導者は滅多にないほど、音楽の実力がある人だった。今思えば。(小学校で音楽を教える先生の音楽力はピンキリで、というかそんなにたいしたことないのが通例であることは子どもたちの小学校生活を通じてよくわかった)
考えてみれば、ピアノを習っていたときって、アンサンブルというのはほとんどやらなかったわけで
(発表会で、連弾枠? みたいのがあったが、だいたいきょうだいで習ってる子がやるものだった)
これは貴重な体験でしたね。
アンサンブルをする、という意味でももちろん重要だけど、
ピアノというのがそもそもひとりアンサンブル(笑)なので
ひとりでピアノを弾くんだって、「ソプラノを聞きながらそれに合わせてアルトを歌うという経験」はきっと、ないよりあるほうがいいのだ。
そして、私が「合唱クラブ」でスムーズに活躍(?)できたのは、幼いころからのピアノで得た読譜力(ソルフェージュ力)であったわけで、すべてのことはつながってるのだ、ちゃんと。
「音楽」、楽しむ、という一貫性で。
「そんな早くにやめちゃうんじゃムダ」というようなものではない。
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中学受験で忙しくて、とかならまだわかるけど、まったく忙しくもなんともない小学三年生。はやっ!!

それから、ヤマハでピアノを再開するまではるばる30年間。
30年間、というとブランクとして長すぎるようでもあるが…っつか長いが…
それに、ピアノを止めるにしてもそんなチェルニーもインベンションもやる前にやめちゃうとなんにも残らないという説もあるが…
でも自分では、まぁなんとなくだけど、バイエルからブルクミュラー25番まで(+エリーゼのために)だけでも、それをやってあったのとまったくなくて大人からやったのではたぶんかなり大きく違っていただろうと思っている(別に大人から始めるピアノが楽しめないというような意味ではまったくないが)。
ちゃんとつながっていると感じる。
でももしかすると、「つながっている」度合がわりとしっかりしているような気がするのは、この30年間に音楽そのものから離れていたわけではないことが効いているのかもしれない。
たぶん、大きな効果があったことのひとつは、「合唱クラブ」である。
これは、小学校の正課クラブで、週一回、授業1コマ分でやるだけなのでいわゆる部活的な重みとはまったく違うけれど、とにかく小学校5年生と6年生のときは「合唱クラブ」に所属していた。
声変わり前の年齢なので、男女合わせてもソプラノとアルトの2パートのみ。
指導者は、学校の音楽の先生(音楽の授業で教わってた先生と同じ)。この人は、小学校の音楽教師としてはなかなか変わった人で、なにしろ自分では「ひと声」も歌わない。決して!! 見本が必要なら誰か指名して歌わせる。よほど自分の声が嫌いなんだろう…
一方、ピアノはめっちゃうまくて、伴奏なら自在にこなすし、というか作曲が本職(?)らしくて、音楽之友社から合唱曲集も出てたからプロである(あれ? 公立小の先生との兼業はありだったのかな??)
私が在学してたころ、その先生は、ちょうどその小学校のために「月のうた」という合唱の小曲を毎月ひとつ作っていた。その先生が書く合唱曲は、伴奏が凝ってておしゃれで、私はけっこう好きだった。
その曲の発表は、お昼の校内放送で行われる。放送室は狭いので、合唱クラブの子がみんなでぞろぞろ行くわけにはいかない。ソプラノとアルト各1名で代表して行って歌う。
このとき、必ずアルト代表として行っていたのがなんと私だった。声がよかったわけでも歌がうまかったわけでもなんでもないが、ただ、譜面が読めて、アルトを歌わせても音程とリズムがずれない人材がほかにいなかったからである。
ともあれ、大勢で2パートに分かれて歌う…2人で歌う…ソプラノを聞きながらそれに合わせてアルトを歌うという経験がたくさんできたことはとてもとてもよかった。しかも指導者は滅多にないほど、音楽の実力がある人だった。今思えば。(小学校で音楽を教える先生の音楽力はピンキリで、というかそんなにたいしたことないのが通例であることは子どもたちの小学校生活を通じてよくわかった)
考えてみれば、ピアノを習っていたときって、アンサンブルというのはほとんどやらなかったわけで
(発表会で、連弾枠? みたいのがあったが、だいたいきょうだいで習ってる子がやるものだった)
これは貴重な体験でしたね。
アンサンブルをする、という意味でももちろん重要だけど、
ピアノというのがそもそもひとりアンサンブル(笑)なので
ひとりでピアノを弾くんだって、「ソプラノを聞きながらそれに合わせてアルトを歌うという経験」はきっと、ないよりあるほうがいいのだ。
そして、私が「合唱クラブ」でスムーズに活躍(?)できたのは、幼いころからのピアノで得た読譜力(ソルフェージュ力)であったわけで、すべてのことはつながってるのだ、ちゃんと。
「音楽」、楽しむ、という一貫性で。
「そんな早くにやめちゃうんじゃムダ」というようなものではない。
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