アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

クラシックがクラシックである所以

2017年04月28日 | ピアノ
昨日の記事で、いちいち新しい「システム」作られちゃうと、ある程度それに「慣れる」というか「つかむ」までその曲が楽しめないので、いちいちめんどくさいという、

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←十二音技法とか何がいいのかわからんけど

聞く側の勝手な感想を述べましたが、考えてみれば過去の大作曲家もその時点で何かしら新しい「システム」を作っては世に問うてきたわけで…

モーツァルトでもベートーベンでもドビュッシーでもね。

ただ、私(たち)がそれにいちいち違和感を持たないのは、そのシステムに既に慣れちゃってるからで、でもその「慣れる」までには実は膨大な時間をつぎ込んでいますよね。そういう、時間の投資(音楽教育というか)をすることによって、より深く音楽が楽しめているわけで。

クラシックの大作曲家として残っている人たちは、新しいシステムを作りそれによって曲を作り、人々がそれに十分「洗脳(?)」されてシステムについてはもはや新奇性を感じなくなったあとでも、やっぱり色褪せない魅力、曲の中の意外感(未聴感?)というものがあって、百年、二百年経っても飽きずに広く演奏され/聴かれている。

一方、そうやって残らなかった作曲家というのは、新しい「システム」が洗脳に失敗した(受け入れられなかった)か、新奇性が感じられなくなるとそのまま飽きられてしまったか。

この「時代のふるい」というのがものすごく確かだという事実に支えられているのがクラシック音楽の魅力なんですよね。

曲が作られたばかりのときには、たとえばモーツァルトよりサリエリのほうが確立した人気を持っていたりとかいうことがあるけれど、ずっと時が経ったあとは、サリエリが聞かれることはほとんどない。

ただし、陳腐な音楽だとクラシックとして生き残れないというのはたぶん確実だとしても、その逆はあるのかもしれないですよね。つまり、優れた音楽なんだけれども、たまたま埋もれてしまったという…

あるいは、システムが斬新すぎて受け入れられなかったけれど、さらに時代が流れたら再評価されるかもとか。

それは「ロマン」ではあるけれど、これを追究するのはとても効率の悪い話で…いくら鉱物資源があるといっても、掘ることに経済合理性がない埋もれ方してたら鉱床とは呼ばないみたいなもん(^^;; だけど、たまたますばらしいものを引き当てたらそれはうれしいに違いない。

一般のピアノファンとしては、ほんとにまったく知られてない曲であればそもそも知りようもないんですが、そこまでじゃないけどマイナー曲を引っ張り出して弾いてみたら、案外よかった、というのはささやかな「ロマン」でしょう。アルカンの「バルカローレ」とか「ファ」とかはあんまり知られてないけどわりとよかった、ということでは自分的成功例です。まぁ、知られてないといったってふつーに楽譜入手できるんで秘曲でもなんでもないですけどね。

たいていは、有名曲を弾いてみると、うーんやっぱりうまくできてるなぁ…有名なのはワケがあるんだなぁ…と思うことがほとんどです。

そういう「ふるい」にかかってない、現代音楽(できたて)が玉石混交なのは当たり前です。ハズレを引きたくなければ鉄板のクラシック曲…

そして、どれが時代を越えて残っていくんだろう、と予想する楽しさも味わうならぜひ現代音楽!! って感じでしょうかね。

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする