アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

寝て起きると弾けている(こともある)

2016年06月22日 | ピアノ
どうしても通らない、うまくいかないところは部分練習する、ってのはいいとして、丁寧に、何回も、練習してもうまくいかなくて、あーごちゃごちゃになっちゃうーー、ってなとき。

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途中で諦めて、練習やめちゃって、夜寝て、朝起きて、翌日。

弾いてみたら、あれすんなり通っちゃった。ってことありませんか。

体感的にはわりと知られた現象じゃないかと思います。でも、ほんとにそんなことってあるもんなのかなぁ、と半信半疑な気持ちもあったりして…

今日、電車の中で読んでいた本「脳が認める勉強法」(ベネディクト・キャリー著)は全然まったくピアノの本ではありませんが、このことについて書いてありました。

寝てる間に、脳みその中がなんか整理されてる、そのことを示す実験としてはたとえばこんなのがあります:

色や模様の違う卵がA, B, C, D…といくつかあって、そのうち二つについて「序列」が示されます。
C < E、A > B、E < A
とかね。

被験者は、それを暗記するように言われるんだけど、直後のテストでは、さっき示されたペアがそのとおり出てきて
C と E、どっちが勝ち?
と聞かれるので、C < E と答えればいいのですが、

12時間後のテストで聞かれる問題はもっと難しくなります。
C と A、どっちが勝ち?
などと、直接は示されなかったペアについて聞かれるので、
C < E、E < A だから C < A
などと組み合わせて判断したうえで答えなくてはいけません。

実験では、被験者を2グループに分けて成績を比較します。
朝覚えて夜テストする(覚醒グループ)
夜覚えて朝テストする(睡眠グループ)

そして結果は?? おわかりと思いますが、睡眠グループのほうがいいのです。覚醒グループの正答率は69%、睡眠グループは93%でした!!

我々が寝てる間に、脳みその中ではこびとさんがせっせと情報を整理して、パターン認識したりしてくれてるのね。

寝るの大事です。

ま、そこまでは、まぁそんなこともあるかなという感じなんですが、最新の研究ではさらにその先があって、

睡眠って、均質なものじゃなくて、深さに段階があるでしょ。レム睡眠と、段階1(導入)~段階4(深い)とあって、それぞれ何を整理整頓するのが得意かというのが違うというんです。

レム睡眠…パターン認識
段階2…動作の整理
段階3、4…暗記(知識)の定着

だから、この本では、大胆な提案をしています。明日テストだ、時間がない!! ってときに、
数学のテストなら…レム睡眠を重視して、夜更かしして勉強し朝はぎりぎりまで寝る。
暗記物のテストなら…深い睡眠を重視して、夜は早く寝て明け方に起きて軽く復習する。

どうでしょうねぇ。素直に、前もって勉強して前夜はしっかり寝たらどうだろうかと思うけど。

ピアノの練習はもちろん、テストもないし(^^;; 「パターン認識」も「動作の整理」も「暗記の定着」も全部必要だから、慌てずしっかり寝たらいい(寝るしかない)んだけど、そういえば、
週末にまとめて練習するよりは、日々分散して練習したほうがよさそうですよね。睡眠が挟まってるから。

とはいえ、生活の都合があるんだから、思ったようにできるとも限りませんけどね~

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「工数」という考え方(ピアノの練習)

2016年06月21日 | ピアノ
ある友人(女性)に「ベランダに植木鉢を置いてたこともあったんだけど、なかなか維持できなくて今は何にもない」と言ったら、

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←あなたにとってピアノを弾く時間とは

「あーわかるー、植物選ぶときって、『工数少ないのはどれか』とか考えちゃうよね」だって。

…「工数」なんて言ってる時点で、あなたも植物育てるのに向いてないと思います(-_-;; ちなみにその観点で選ぶなら「ポトス」一択かと(ミントもなかなかよいという噂が)。

その人は開発系のお仕事してる人だからそういう言葉遣いになったんだけど(私はあまり「工数」とは言わない)、要するに手間のかかり方が「1人日」とか「1人月」とかね、そうやって見積もりを立てたり、膨らまないように管理したりするんだけど、そもそもベランダの植物に水をやったりするのにかかる時間を、「少なく済まそう」とか考えてる時点で

じゃあ植物置かなきゃいいじゃん

って話であって(それで実際私は植物を置いてないわけだ)、ベランダに植木鉢を置くのは、その時間が憩いであり楽しみである人がすることだよね。

…私も大きくなったら(?)そういう人になる予定なんだけどさっ(^^)

それで、あることにかかる時間を「工数」といって勘定するか、楽しみの時間と考えるかはものすごく違うことなので、だからたとえばその二種類の人種がPTAの「ベルマーク集め」なんかに関わろうもんなら話が合うわけはなくて。

ベルマークを集めてもらえるあの「ちょんぼり」したものにかかる「工数」は、と考えたらそりゃあ割に合うはずがないのでそんな活動やめちまえ、もしやらなきゃいけないとしたら預かって自宅に持ち帰ってちょきちょきしますって。

一方、それを口実に集まっておしゃべりに花を咲かせるところが楽しいと思えばお持ち帰りとかありえないし。

そういう、二つの時間の捉え方を考えてみると、そういえば「ピアノを練習する時間」って、そのどちらとも違うなぁと。

もちろん、ピアノを練習する時間なんてできるだけ少なくしたい、などと考えてるわけはなくて(だったらピアノやってない)、憩いの時間、楽しみの時間であるという面はあるのだけど、でも、それだけじゃない。「憩いの時間」とは言いにくい瞬間もあったりするし、効率というものもやっぱり考えますよね多少。多少だけど。

ただ、今この瞬間が一番心地よいように、癒されるように、というピアノの弾き方もできる。まぁ既にだいたい弾けるような曲をだらだら弾いてハイ次、みたいな、部分練習したりとかはぜんぜんしないで、流し弾き。これはあんまり練習とはいわないかも?? でも別に悪くはないよね、そんな日があってもかまわないとは思うけど。

でもそんな日ばかりじゃ実はあんまり楽しくないかもしれない。というか、楽しむくらいまで弾けるようにするところは練習したわけで、そうでなければ成り立たない(笑)

逆に、「ピアノがうまくなる」なり「この曲を弾けるようにする」なりの目標に沿って、ひたすら効率を追求するというのも…たとえばだけど、次のレッスンまでに練習できるのが10日間におよそ15時間、練習するのはバッハのインベンションとショパンのこれこれと、バッハには5時間、ショパンには10時間かけることにして、ショパンは4ページなので部分練習中心に2時間あたり1ページ、仕上げに全体練習を2時間、なーんてことをやって手帳にチェックつける人もあまりいないだろう(いるかもだけど)。

私も稀に、締切(合わせ練習とか、本番とか)があってぜんぜん間に合ってないときに、「工数」割り振るモードに突入し、がぜん本気に計画立ててがりがり進めることがある。いつもこんなに真剣に練習してたらさぞかし捗るだろうと思うけどそんなことはたぶんできないししたくもない(^^;;

たいていはこの二つのモードの間のどこかで「練習」しているけど、長続きする楽しみのためにはその自分なりのバランスを取るというのが吉だろう。

でも、稀に「工数」モードに入ってるときってハイになってるから、別に嫌々そのように練習してるわけじゃなくて、それを楽しいと感じてるんだよね?? もしかしたら人によっては、ぎゅっと効率よく、かつ進行を管理しつつガシガシ進めることが苦にならない、というかそれ自体がおもしろく楽しくて(癒しというとちょっと違うとしても)、いつもいつもそうやって練習してる人がいるかも。そしたらそれは(うまくなるための)才能があるっていうことになるんだろうな(ある意味)。

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人前でモーツァルト弾くのって、怖い?

2016年06月20日 | ピアノ
もちろん小さいころは怖いもへったくれもないんだけど、なにしろ私の「ピアノ歴」は「エリーゼのために」を最後に途切れていたので、モーツァルトを人前で弾いたことはないかもしれない。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←オフ会などでのモーツァルト頻度はそんなに高くない

でも仮に弾いたとしたら、「エリーゼのために」の録音を聞くかぎりとにかく平板でカタカタと何もおもしろくないけどそれなりに正確なピアノを弾いていたようなので、別にモーツァルトだからどうだということはないですね。単に、「まだソナタじゃなかった」から弾いたことがないんだろう…

時は流れて、大学生のころ、今度はフルート。

フルート同好会というぬるーいサークルで、人前で演奏するようになったんだけど、フルート曲っていうのが、妙に古い(バロック)のと、妙に新しいのばっかりで、その間が非常~に少ない。ない、わけじゃなくて少ないんだけど、ピアノだったらレパートリーの中心に当たるようなショパン、シューマン、ブラームスといった時代のものがほとんどなくて、あってもなんか超絶技巧をひけらかす系の、吹きたくもなし吹けるわけもなし。

だから貴重なレパートリーとしてモーツァルトの曲というのは気にはなったんだけれどもね。これがどうにも恰好がつかないというか、まともな演奏にならない。音が裏返ったり、音色が済んでいなかったり、間違った音を吹いたり、リズムがヨレたり、とにかく「なんかしたらアウト」「とてつもなく残念」で、傷のない演奏ができたらそこがスタートライン(だとしたら一生吹けない。当たり前だけど)。

だから表面上はずっとややこしいフランスの新しめの曲とかに走るんだけれども(^^;; (多少違った音を吹いても誰もわかりゃしない) まぁ間違ったら即わかるとはいえバッハやテレマンならまだしも人前で吹けるんだよね。あの違いはなんなのかしら。

モーツァルトは、穢れなく、あくまで純粋に美しく弾かねばならないみたいな…

そしてそのあと、ちょうど私が社会人になってすぐぐらいに放映されていた、ワルター・クリーンの「ピアノでモーツァルトを」という番組でその「呪縛」はさらに強固なものとなり(そのあたりのことは記事に書いたことがある「ワルター・クリーンのモーツァルトの呪縛」)、

そこからまた、イングリット・ヘブラー(この人の演奏がまたもうほんとに澄んだ美しさなの)のモーツァルトソナタ全集を買ってしまったためにその呪縛はさらにさらに強靭なものとなり、

…ということは、大人再開ピアノに辿りついたときには既に、「人前でモーツァルトなんか弾けない」というのは鎧レベルに強化されていたんですよ。そのとき30代後半。

それが今、50歳目前の今となってみると、その呪縛の「呪」の字も、というか「じ」の字(^^;; すら残っていなくて、けど呪縛がどのようなプロセスで解けていったのかの記憶があやふや。

ひとつには、年を重ねていくにつれ、ツラの皮が厚くなるとともに、「できるだけうまく見せたい」というような見栄のあたりがすり減ったというのが大きいとは思う。確かに、モーツァルトはちょい間違えただけですぐバレる曲の筆頭ではあるんだけど、まぁごまかすのうまくないしどうせどの曲だってミスしたらわかるわね、四の五の考えても無駄。。

もうひとつは、いろいろな機会に「大人ピアノ」を聞くうちに、そういった素人ピアノの演奏の魅力っていうのが、「傷のない演奏の上に」築かれるという性質のものでないってことが実感できたということかな。

モーツァルトの曲は、いろんなところにいろんな仕掛けがあって、実におもしろく(人を食ったようなところも)できていて、平板どころではない。それを「これはおもしろい」「これはきれい」「おっとこんな展開」と楽しんで弾いていたらそれはそれで聞くほうもそんなにつまらなくはないんじゃないかと(イングリット・ヘブラー路線でなくても)。

モーツァルトなんか弾けない、のコンプレックスの中には、「音階とかちゃんと練習してないし」というのもあったりしたのだけれど、ごくきれいに粒を揃えて快速に軽やかに、現実には弾けてなくても自分の弾きたい音階のそういうイメージ(?)を持って弾けば「そう弾きたいのかな」ということくらいは伝わるかもしれない…という、「妄想がだいじ」とおっしゃるおゆき先生の影響も大きいのかもしれない。
#おゆき先生は妄想だいじとはいったけど、音階弾けてなくてよいとはいってない

ともかく、今年も何かモーツァルトをどこかで弾きたいと思ってるんです。でも、「とりあえず手に当てとくぞプロジェクト」も佳境なので(というかてこずってるので)どうも時間的に辻褄が合ってないかもしれない。

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書道のレッスン、ピアノのレッスン

2016年06月17日 | ピアノ
先月、「体験レッスン」しましたが、結局申し込んでまた書道レッスン(という名目の部活母ランチ)行ってきましたよ~

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一回のレッスンでは、11枚の半紙をもらって、2枚書くと先生のところへ持って行って見てもらいます。
これを5回やると、10枚使うでしょ…

最後の一枚は、今日練習した課題の「仕上げ」的に書く場合と、次回練習する課題の「予習、お試し」的に書く場合があるようです。私は今回、「体験レッスン」に引き続き取り組んでいた初課題「天地玄黄」にマルをもらって(?)次回の「宇宙洪荒」を書いてみました…む…難しいっ!!

そういや、なにしろ私はピアノのレッスンでふだんマルもらうことないので(自分で勝手に切り上げてしまう)ちょっと新鮮です。もしかして慣れてきたら、「この課題うまくいかないからもうやめて別のにする」とか「これじゃなくてこれやりたい」とか書道でも言い出すかもしれないけど(笑)今は右も左もわかんないので素直です。

自分なりに書いてみて、先生に見てもらってアドバイスをもらう、というのは、
ピアノのレッスンとほぼ相似形ですよね。

ただ、書道がピアノのレッスンと違うところは、複数の試行を並べて比べられちゃうところです。これはすごい!!

今、持っていったtry1とtry2…、それと、前回お取り置きしてあるtry0もいっぺんに見渡して比較ができます。
ピアノのレッスンでは、仮に数回弾いたものが録音してあっても、そうは一望(一聴?)できません。

ここが改善されている、ここはちょっと失敗してしまった、など、四文字書く中では結構ドラマがあり、何もかもうまくいったということはないものですが(ピアノで一曲弾くのと同じね)、でも、前回のベストと比べると、やはり確実によくなっている…ということが素人目にもはっきり見える。

同じ課題を書いたものを、何枚もいっぺんに見るとちかちか混乱してしまうのですけど(ゲシュタルト崩壊)、先生はさすが慣れていて、「これは四文字のバランスがとてもいいけれど、「天」のはらいに失敗しているところが惜しい」「これは形がよいけれど、この線を書くときにちょっと一本調子というか、まっすぐすぎて筆らしくなくなってしまった」など、違いを的確に把握して教えてくれます。

先生にアドバイスをもらうと、具体的な注意事項…この線よりこの線が短めなほうがいいとか、高さはこちらがちょっと低いほうがいいとか、そういうことがはっきりとわかります。変な話で、そんなことはお手本見てるんだから最初っからわかってるだろうに、なぜだかやらかしちゃうんですよね?? なんかと似てませんか?(^^;;

そして、その具体的な注意事項を念頭に置いてまた書いてみるとき、あまりそれらのアイテムをいっこいっこ確認するような書き方をしてしまうとこれがどうにも不自然な仕上がりになったりします。考えすぎちゃったーリズムが悪かったーというような。けれどそれを何度か繰り返して自然にそれらの注意事項が守れるようになると、ステップを一段上ったようで、ちょっといい字になるんですよ。これまた、なんかと似てますね~

(私といっしょに習ってる人が、「先生、無理ですよ~できませんよ~」と抵抗して、先生に「大丈夫できますよーやってみてください」なんて押し問答してるところまで似てます)

というわけで、ピアノと習字、意外と似ていると思った私です。

ただ、習字のほうでは、前回と今回が一か月以上空いているけどその間(いうまでもなく)一度も筆を持っておらず、でも書いてみるとちゃんと着実に進歩してるんですよね。さすがに、ピアノでこうはいきません(笑)

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するんじゃなかった、という手術または検診

2016年06月15日 | 生活
白内障ってのはレンズが濁っているのだから、それを取り除けば光が通るはず、というのは理屈としては正しく聞こえるけれど、その手術をしたほうがいいかは別の問題。

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バッハさんも、手術したあげくにやっぱり失明するわ激痛だわ、あげくに亡くなったのだからほんとに気の毒である(人類にとっての大きな損失でもあった)。

テイラーと大して変わらない時代の、ジョンはジョンでもジョン・ハンターは、衛生環境の整わない戦場で手術をするより、放置のほうが生存率が高まることを数で示し、手術しないことを主張したのに…あんだけ切るの好きな人が…そして上司に睨まれたんだけど。

もちろん現代日本ではジョン・テイラー並みのヤブ医者は医者として存在しないこと(存在してはいけないこと)になっているのでそこまでの心配はない。医者も、理屈から考えてこれで治るハズといって切る判断をしていいわけではなく、切るのと切らないのとどちらが患者の利益になるのか実証的に(科学的に)判断する、ことになっている。

ただそうやって真剣に誠実に専門家が考えても、やはり意見が割れたりするような微妙なケースになると、結局患者個人としては悩ましいのだけれども…


と、バッハから無理やり話をひっぱったが、いくら偉大でも死んでからそんなに経ってる人については今更どうでもよいので、というかどうすることもできないので、気になっているのは福島の甲状腺癌の話である。

原発の事故を受けて、福島の子どもたちについては大規模に検診を行うことになり、調べてみたらばずいぶんな高率の癌発生。多くの手術が行われた。

そんだけの癌が原発事故が原因で起きたんだったらそれはもう大問題なんだけれども、
今のところ、常識的には(?)原発事故とは無関係ということになっている。

無関係といいきれるのかどうかについても疑問がないわけではないけれど、
まぁとりあえず無関係だということにするならば、今度は
過剰診療(手術)ということがこれはこれでとても大きな問題だ。

ふつう、検査もしない、手術もしない、のほほんと暮らしているところ、
検査をして(これだって負担だ)、手術をして(これはもうめちゃくちゃ大変、リスクもあるし)これがしなくてすむものなんだったとすると大損だ。これは、誰のせいなの??(*)

…無関係といえるのかどうかを判断するための論点がよくまとまっていたページ「福島・甲状腺がん「多発」? 原発事故との関連は」がありました。

検査すると見つかってしまう論というのは、
・早期発見した(ふつうならもっと年月経ってから見つかるはずのものがまとまってみつかっているのかもしれない)
・潜在癌を見つけた(ふつうなら一生気づかずにすごすはずのものがみつかっているのかもしれない)
ということの影響を言っているのですが、

いずれの効果も考えられるけれども、
・手術してみたら転移などの率が高く、通常の基準でも手術適応であったこと
・二巡目検査で新たに見つかったものは「急成長したもの」なのではないか
・子どもの検診でそんな率の潜在癌がみつかるのはおかしいのではないか
などの疑問点があり、「いらんもん見つけただけだ」とすっぱり結論するほどには明らかでない。

そして、癌発生率の高さが原発事故のせいではないとする人たちが使っている根拠についてもまとめられていますが
・被ばく線量がチェルノブイリよりも小さい
・放射線被ばくから4年以内の発症は早すぎる
・ベルラーシと患者の年齢分布が異なる
・汚染度との相関がみられない
これがね。またいろいろはっきりしない点があってなんとも…

それで、このページの結論は、「関係あるとも、関係ないとも、現時点ではいいきれないということで、これについては私もほぼ同意します。

でもね…さらに「じゃあどうすればいいのか」ということについて、このページの筆者にはまったく同意できませんわ。

この筆者は、検査範囲を広げ(大人にも、あるいは福島以外にも)、体系的・継続的な検査を行えるように、人的・予算的な体勢整備その他の必要性について述べているのですが。

結局のところ過剰医療過剰手術だったごめんなさいって結論になる可能性(これもけっこうある)を考えたら、検査を受けたり(子どもに)受けさせたりする気には到底ならない。

検査って、たかが検査と思う人もいるだろうけど、検査して、何かわかったら、気になるでしょ? 福島の子どもたちも結局は手術受けたわけで、検査するってことは、見つかったら手術するって話に直結しているんです。ほんとうに、手術受けたほうが得なのかどうかを知らないで、気軽に検査しちゃうってのは、なんか変だと思います。

もちろん調査して、良くも悪くも実態がわかるとすればそれは社会的な利益だけれども。そのためにこの身を(または子どもの身を)提供するのかどうかという…

私が妊娠したころは、出生前診断の出たてで、血液だけで検査できるってんで気軽に受けた人も多かったけど、あれは偽陽性が多かったから、羊水検査して(痛いしリスクもある)超不安な一か月とかを過ごして、それで「大丈夫です」ってことになり、それは結構だけれども心配して痛い思いして安くはないお金を払っただけ大損って人もけっこういたんですよ。

みんな(特に日本人?)検査好きだよねぇ、私はそんなに好きじゃないです。甲状腺癌の件でいえば、原発の影響なのかどうかが簡単にはわからないとしても、まずは何は切ったほうが「ほんとうに」お得なのかどうかってところをはっきりしてほしいものです。


(*)誰ってそりゃ、原発のせいです。結論がこっちだとしてもものすごい罪深さ。

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