元々の発端は地方領主同士の利権争いだったのだが、背後に控えた大国の思惑が嫌な具合に絡んで事態が拗れるだけ拗れたあげく戦争になった。
だから、その日の戦いは、小競り合いと称するには大規模な戦いだったと思う。
丘の上から戦場を見下ろしていた叔父は、騎馬姿のまま傍らの僕に話しかけてきた。
「どうだ?本物の戦場は」
「…… どうにも、実感が湧きません」
眼下では今まさに殺し合いが繰り広げられているが本陣から前線に至るまでに布陣された味方の陣営は厚く、よもや敵がここまで攻め入るとは考えにくかった。だからこそ、叔父もこうして落ち着いていられるのだろう。
「今は騎士見習い身分のお前も、いずれは戦場で槍を携え剣を振るう身となる。今からでも戦場の空気に慣れておくと良い」
叔父の言っていることは本当だ。僕は修行という名目で叔父のところに預けられてはいるが、実際は人質同然の『手駒』だった。叔父は優しかったが、それすらも生殺与奪を握った相手に対する余裕を示しているに過ぎない。
そんなことを考えていると、俄に戦場に乱れが生ずる。圧され気味だった相手の陣が奇妙な馬車を繰り出してきたのだ。
漆黒の衣を纏った御者が引く、鬣まで漆黒の馬が引く漆黒の馬車。
あれはひょっとして最近噂に聞く、などと戦場の誰もが思ったときには既に遅かった。突然爆ぜるように馬車の天井が開き、それと殆ど同時に飛び出してくる人影。
信じられない跳躍力で地面に降り立ったのは、僕よりやや年嵩に見える少年だった。そうはいっても仮面を思わせる兜で上半分が隠れた顔は見えず、やはり漆黒を基調にした極めて簡易な鎧を身につけた体付きから判断してのことだ。
「…… 漆黒の死神」
恐らくは、少年の姿を至近距離で目の当たりにした何人もが呻くように呟いたかも知れない。そして、次の瞬間には鮮血を吹き出して肉片と化した。先程とは違った理由で阿鼻叫喚の巷と化す戦場。
少年の戦い方は情け容赦だけでなく、常識というものもなかった。自分の躰の数倍はありそうな騎士や、時には馬を投げ飛ばし、叩き伏せる。手持ちの武器が使えなくなると敵から剣であろうと槍であろうと、時には戦斧であろうとごく無造作に奪い取り、棒きれのように軽々と振り回した。
ごく稀に少年と渡り合う猛者もいるにはいたが、大概は数合撃ち合った時点で力負けし、命乞いも虚しく死体と化していった。今回の戦でも例外ではなく、殆ど奇跡的に少年の兜に付いた仮面を半分叩き割った剛の者が、己の勝利を確信したまま胴を鎧ごと二つに断ち割られた。
「…… これは、まずいな」
どうやら叔父が撤退を考え始めた時、不意に少年が顔を上げて…… 僕と目が合った。途端に少年は周囲の状況を一切無視してこちらに向かって駆け出してきたようだった。勿論、背後から追撃が掛かるが槍を受けようが剣で切られようが全く構いもせず、また少年の信じがたい速度に追っ手も次々と脱落していき、やがて丘の真下で跳躍した少年は僕と叔父の前に現れた。
「この化け者が!」
叫んだ叔父は一瞬にして叩き潰され、少年は僕の前に立った。その時はじめて、僕は少年がまさしく人形のように綺麗で整った、しかし感情のない顔立ちをしているのに気付いた。
これでおわりか。僕がそう考えたとき、少年は相変わらず表情のないまま、金属を擦り合わせるような声音で呟いた。
「チガウ」
そして、そのまま僕に背を向けると現れたときと同じくらいの速度で駆け去っていった。
そうして僕は叔父の人質という立場を脱し、新しい人生を始めることになったのだが、少年がどうして僕を殺さなかったのか、そして最後に呟いた「チガウ」と言う言葉の意味は、ずいぶん後年になるまで判らなかった。
だから、その日の戦いは、小競り合いと称するには大規模な戦いだったと思う。
丘の上から戦場を見下ろしていた叔父は、騎馬姿のまま傍らの僕に話しかけてきた。
「どうだ?本物の戦場は」
「…… どうにも、実感が湧きません」
眼下では今まさに殺し合いが繰り広げられているが本陣から前線に至るまでに布陣された味方の陣営は厚く、よもや敵がここまで攻め入るとは考えにくかった。だからこそ、叔父もこうして落ち着いていられるのだろう。
「今は騎士見習い身分のお前も、いずれは戦場で槍を携え剣を振るう身となる。今からでも戦場の空気に慣れておくと良い」
叔父の言っていることは本当だ。僕は修行という名目で叔父のところに預けられてはいるが、実際は人質同然の『手駒』だった。叔父は優しかったが、それすらも生殺与奪を握った相手に対する余裕を示しているに過ぎない。
そんなことを考えていると、俄に戦場に乱れが生ずる。圧され気味だった相手の陣が奇妙な馬車を繰り出してきたのだ。
漆黒の衣を纏った御者が引く、鬣まで漆黒の馬が引く漆黒の馬車。
あれはひょっとして最近噂に聞く、などと戦場の誰もが思ったときには既に遅かった。突然爆ぜるように馬車の天井が開き、それと殆ど同時に飛び出してくる人影。
信じられない跳躍力で地面に降り立ったのは、僕よりやや年嵩に見える少年だった。そうはいっても仮面を思わせる兜で上半分が隠れた顔は見えず、やはり漆黒を基調にした極めて簡易な鎧を身につけた体付きから判断してのことだ。
「…… 漆黒の死神」
恐らくは、少年の姿を至近距離で目の当たりにした何人もが呻くように呟いたかも知れない。そして、次の瞬間には鮮血を吹き出して肉片と化した。先程とは違った理由で阿鼻叫喚の巷と化す戦場。
少年の戦い方は情け容赦だけでなく、常識というものもなかった。自分の躰の数倍はありそうな騎士や、時には馬を投げ飛ばし、叩き伏せる。手持ちの武器が使えなくなると敵から剣であろうと槍であろうと、時には戦斧であろうとごく無造作に奪い取り、棒きれのように軽々と振り回した。
ごく稀に少年と渡り合う猛者もいるにはいたが、大概は数合撃ち合った時点で力負けし、命乞いも虚しく死体と化していった。今回の戦でも例外ではなく、殆ど奇跡的に少年の兜に付いた仮面を半分叩き割った剛の者が、己の勝利を確信したまま胴を鎧ごと二つに断ち割られた。
「…… これは、まずいな」
どうやら叔父が撤退を考え始めた時、不意に少年が顔を上げて…… 僕と目が合った。途端に少年は周囲の状況を一切無視してこちらに向かって駆け出してきたようだった。勿論、背後から追撃が掛かるが槍を受けようが剣で切られようが全く構いもせず、また少年の信じがたい速度に追っ手も次々と脱落していき、やがて丘の真下で跳躍した少年は僕と叔父の前に現れた。
「この化け者が!」
叫んだ叔父は一瞬にして叩き潰され、少年は僕の前に立った。その時はじめて、僕は少年がまさしく人形のように綺麗で整った、しかし感情のない顔立ちをしているのに気付いた。
これでおわりか。僕がそう考えたとき、少年は相変わらず表情のないまま、金属を擦り合わせるような声音で呟いた。
「チガウ」
そして、そのまま僕に背を向けると現れたときと同じくらいの速度で駆け去っていった。
そうして僕は叔父の人質という立場を脱し、新しい人生を始めることになったのだが、少年がどうして僕を殺さなかったのか、そして最後に呟いた「チガウ」と言う言葉の意味は、ずいぶん後年になるまで判らなかった。