12月19日の「ここが源氏物語の藤壷」の記事ですが、なんか疑問が残っていたのですね。
で、一つ正解を見つけました。
私の本棚で小学館の「源氏物語図典」というのを見つけまして…。持ってるのを忘れてました。
それによりますと、現在の京都御所は土御門東洞院殿と呼ばれた里内裏の一つがあった所で、北朝の光厳天皇が元弘元年(1331)9月以来皇居でありつづけたもの。
え~と。
源氏物語の成立はそれより300年位前なんですね。
つーことは、御所の場所も建物も違っていた訳です。
で。。
トップ画像の上部青枠で囲ってある部分が現在の京都御所における藤壷(飛香舎)の場所です。
下の図は平安京の内裏図で、青枠で囲ってあるのが源氏物語の時代の藤壷の場所です。
建物の形も違うんでしょうね。
下の画像は現在の京都御所の藤壷。
ちなみに、源氏物語の中には3人の藤壷が登場します。
というのも、本に載ってました。
本って置いてあるだけでは単なる荷物。使わないと知識にはならないんですね。
はあ~。
で、一つ正解を見つけました。
私の本棚で小学館の「源氏物語図典」というのを見つけまして…。持ってるのを忘れてました。
それによりますと、現在の京都御所は土御門東洞院殿と呼ばれた里内裏の一つがあった所で、北朝の光厳天皇が元弘元年(1331)9月以来皇居でありつづけたもの。
え~と。
源氏物語の成立はそれより300年位前なんですね。
つーことは、御所の場所も建物も違っていた訳です。
で。。
トップ画像の上部青枠で囲ってある部分が現在の京都御所における藤壷(飛香舎)の場所です。
下の図は平安京の内裏図で、青枠で囲ってあるのが源氏物語の時代の藤壷の場所です。
建物の形も違うんでしょうね。
下の画像は現在の京都御所の藤壷。
ちなみに、源氏物語の中には3人の藤壷が登場します。
というのも、本に載ってました。
本って置いてあるだけでは単なる荷物。使わないと知識にはならないんですね。
はあ~。