あられの日記

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明月院と北条時頼公

2010年12月05日 04時28分07秒 | 鎌倉
北鎌倉駅に10時22分に到着して、ゆっくり歩いて明月院に10時33分に到着した。
拝観料300円を支払い境内へ。
するとすぐに上り坂がある。

が!
坂を登る前に目指すは、「北条時頼公の墓所」
目印はこのお堂。
ここを左折するとあります。
ちっこいのっが。
以前紹介した円覚寺にある佛日庵。あそこの北条時宗公のお墓は立派でこれこそ鎌倉時代の総理大臣のお墓にふさわしい規模でした。北条一族の墓2008年12月19日の記事参照してね。
それにくらべると何でこんなにしょぼいの??と、頭を捻りたくなる所存。
墓所前にある立て札によりますと。
「宝ギョウ印塔・五輪塔等の部材を組み合わせた石塔で石積みの壇上に安置されている。
このあたり一帯は時頼公が寂した最明寺の故地である。
父は時氏、母は安達景盛の娘で賢母と言われ、徒然草(第184段)にも登場する松下禅尼の次男として、安貞元年(1227)生誕。
祖父三代執権、泰時の善政の後を受け継ぎ、寛元4年(1246)19歳で5代執権職につく。
ますます北条政権を確固たるものに築き一族の全盛期を迎える一方では禅宗に深く帰依した。
建長5年(1252)中国の高僧、大覚禅師(蘭渓道隆)を開山に迎え、わが国最初の禅の専門道場、建長寺を創建。
康元元年(1256)には、この地、最明寺において、建長寺開山大覚禅師を戒師とし30歳の時出家。
僧名は覚了房道崇と号し執権職を長時に譲る。
弘長三年(1263)11月22日、37歳の生涯を終える。」
階段を上がって境内の奥へ。
ここで振り返ることをおすすめします。

明月院さんの紅葉は、入口が一番おすすめなのです。
ここでオレンジ色を満喫してから進みましょう。

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