龍宝寺さんは大船フラワーセンターから徒歩約3分にあります。でも知らない人が多いのはトンネルの向こうにあるからね。

龍宝寺さんは、玉縄城二代目城主北条綱成が1503年(文亀3年)に建てた瑞光院がこの寺のはじまりです。
1575年(天正3年)玉縄城4代目城主北条氏勝が3代目城主氏繁を弔うため現在の地に移し、氏繁の戒名から「龍宝寺」となった。玉縄北条氏の菩提寺として栄えた。
現在の建物は、1951年(昭和26)火災にあい山門と鐘楼だけ残ったが1959年再建。
山号:陽谷山龍宝寺
宗派:曹洞宗(鎌倉では珍しい宗派です)
茅葺きの山門を抜けると、右手に玉縄民族資料館&旧石井家住宅(17世紀末頃建築の名主の家)。左手に幼稚園があります。
現在、芍薬・フランス菊・黄菖蒲・矢車菊が見頃。


奥の軽トラは、植木屋さんのもの。調度お手入れの最中でした。

ン?何これ??

以前にはこんなんなかったような…。
説明板発見:玉縄北条氏供養塔
1512(永正9年)年伊勢宗瑞(北条早雲)が玉縄城を築城し、小田原城の支城として関東進出の重要な役目を果たしてきました。
戦乱の渦中に、その名を轟かせた北条綱成・氏繁・氏勝は玉縄城主としてよくこの地を治め、外に向かっては勇猛果敢に戦いました。
この供養塔は、龍宝寺住職4世良順和尚が建てたものです。(推定元和年間ー寛永5年頃)元は、現在の栄光学園の敷地内にありましたが、造成工事のため龍宝寺墓地裏の尾根上に移設しました。
このたび、玉縄城築城500年を記念して参詣し易いこの地に再度移設しました。
なお、この供養塔は旧地に建っていた頃、いつも倒れていて誰かが直しておくとすぐにまた倒れるので土地に人は「ぶっけり仏」と呼んでいたとの事です。 平成24年5月吉日
やっぱコレ新しいんだ。

龍宝寺さんはこの時期芍薬が綺麗ですが、墓地の歩道はフランス菊が綺麗なの。

あと。黄菖蒲も見頃。
え~と?これは何だっけ??山門の横にありました。ジャーマンアイリスが咲いてます。
確か新井白石の碑もあったハズ。
あ。この過去記事ね。大船の龍宝寺(2011年7月18日)の記事
予定では大船駅へ戻り鎌倉駅へ移動。ツツジの垣根が綺麗な安養院と苔寺の妙法寺へ行くつもりだったんだけどね。
暑い~~
何この暑さっ!?
気温は急上昇。夏日になってしまった~~。
いや~~んっ!!私まだヒートテック着てるの~~
。

という訳であえなく帰途につきました。や。無理はイカン。まだ暑さに身体が慣れてないからねえ。
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東京タワーの下にある南極観測犬タロとジローの像が撤去とか。
う~む。昭和の象徴の東京タワーの下にタロとジローそして仲間達の像があるのは正しい配置だったと思うんだけど、撤去する理由がわからない。
YHAOO!の画像ニュースで見てみたら、撤去じゃなくて移転するんだってあったけど…。心配なのは、移転するのがタロとジローの像だけかもしれん…。という事です。東京タワーの下には、生還出来なかった仲間の像もあるのです。
タロとジローの仲間?(2009年4月28日)の記事
おそらく移転先は、立川の極地研究所らしいけど。そもそも「タロとジローの像の移転費用がない!と撤去します!」と言ってたから、仲間の像の行く末がとっても心配。
ちなみに~。なぜ撤去なのか?本音は「この場所に五輪誘致のPR花壇を作る」からだってさ。なんだかね~。

龍宝寺さんは、玉縄城二代目城主北条綱成が1503年(文亀3年)に建てた瑞光院がこの寺のはじまりです。
1575年(天正3年)玉縄城4代目城主北条氏勝が3代目城主氏繁を弔うため現在の地に移し、氏繁の戒名から「龍宝寺」となった。玉縄北条氏の菩提寺として栄えた。
現在の建物は、1951年(昭和26)火災にあい山門と鐘楼だけ残ったが1959年再建。
山号:陽谷山龍宝寺
宗派:曹洞宗(鎌倉では珍しい宗派です)
茅葺きの山門を抜けると、右手に玉縄民族資料館&旧石井家住宅(17世紀末頃建築の名主の家)。左手に幼稚園があります。
現在、芍薬・フランス菊・黄菖蒲・矢車菊が見頃。


奥の軽トラは、植木屋さんのもの。調度お手入れの最中でした。

ン?何これ??

以前にはこんなんなかったような…。
説明板発見:玉縄北条氏供養塔
1512(永正9年)年伊勢宗瑞(北条早雲)が玉縄城を築城し、小田原城の支城として関東進出の重要な役目を果たしてきました。
戦乱の渦中に、その名を轟かせた北条綱成・氏繁・氏勝は玉縄城主としてよくこの地を治め、外に向かっては勇猛果敢に戦いました。
この供養塔は、龍宝寺住職4世良順和尚が建てたものです。(推定元和年間ー寛永5年頃)元は、現在の栄光学園の敷地内にありましたが、造成工事のため龍宝寺墓地裏の尾根上に移設しました。
このたび、玉縄城築城500年を記念して参詣し易いこの地に再度移設しました。
なお、この供養塔は旧地に建っていた頃、いつも倒れていて誰かが直しておくとすぐにまた倒れるので土地に人は「ぶっけり仏」と呼んでいたとの事です。 平成24年5月吉日
やっぱコレ新しいんだ。

龍宝寺さんはこの時期芍薬が綺麗ですが、墓地の歩道はフランス菊が綺麗なの。

あと。黄菖蒲も見頃。

確か新井白石の碑もあったハズ。
あ。この過去記事ね。大船の龍宝寺(2011年7月18日)の記事
予定では大船駅へ戻り鎌倉駅へ移動。ツツジの垣根が綺麗な安養院と苔寺の妙法寺へ行くつもりだったんだけどね。
暑い~~


気温は急上昇。夏日になってしまった~~。
いや~~んっ!!私まだヒートテック着てるの~~



という訳であえなく帰途につきました。や。無理はイカン。まだ暑さに身体が慣れてないからねえ。

東京タワーの下にある南極観測犬タロとジローの像が撤去とか。
う~む。昭和の象徴の東京タワーの下にタロとジローそして仲間達の像があるのは正しい配置だったと思うんだけど、撤去する理由がわからない。
YHAOO!の画像ニュースで見てみたら、撤去じゃなくて移転するんだってあったけど…。心配なのは、移転するのがタロとジローの像だけかもしれん…。という事です。東京タワーの下には、生還出来なかった仲間の像もあるのです。
タロとジローの仲間?(2009年4月28日)の記事
おそらく移転先は、立川の極地研究所らしいけど。そもそも「タロとジローの像の移転費用がない!と撤去します!」と言ってたから、仲間の像の行く末がとっても心配。
ちなみに~。なぜ撤去なのか?本音は「この場所に五輪誘致のPR花壇を作る」からだってさ。なんだかね~。